障がい者の障がい感 ~障がい者じゃない挑壁者!~
こんにちは。初めてのnoteの記事です。私は、トップの写真にあるように、電動車椅子に乗った姿で生活をしています。世間一般では障害者と呼ばれている身体なのです。現在39歳、今の身体になったのは、23歳の時。改めて考えると、この身体になって16年間生活をしてきました。そんな私は、講演活動の講師を行うこと300数十回…自己紹介では、「[挑壁者]の毛利公一です、仕事は…」と話し始めます。
障がい者は嫌いな言葉
今の身体になる前は、棒高跳びのアスリートでした。様々な怪我もしましたが、どれも治るものばかりでした。その時の私は、障害なんて全く気にした事がありませんでした。そんな私が今や障がい者。昔もこの言葉に違和感を感じていましたが、自分がなってみると、更に違和感…それどころか、嫌悪感を感じてしまいます。障害者、害にさわる人と漢字で表記されます。
#アスリート #障がい者
その当事者である私達は、周りの人に嫌な思いをさせているわけでも、するつもりもありません。何かを壊すつもりもありません。誰かを恨んでいるわけでもありません。
ただ単に、私達は、1人ではできない事が多いだけです。そして、私達は誰もが当り前に持っている権利を持ちたいだけなのです。同じところを歩き、同じものを見て楽しみ、同じ場所で味わい、同じように喜んだり悲しんだりしたいだけです。それを妨げてしまって、私達を弱者・できない人・かわいそう等にしてしまっているのは、社会や制度なのです。
だから、害に障るという表記、またひらがなになったとしても、読んでしまうと同じものになってしまうその言葉自体、人間に向けての言葉としては不適切だと思っています。
障がい=苦手なこと、その人の壁
障がい者には、確かに1人で、できないという側面があります。例えば、頸髄損傷( C3レベル)で、重度身体障がい者と呼ばれる私は、様々なことが1人でできません。動くのは首から上だけしか動きませんから、手足を使うことはできません(苦手です)。首から下は汗をかきませんから、体温調節ができません(苦手です)。首から下は感覚神経が麻痺しましたから、熱いとか冷たいとか、痒いとか、痛いとか…等感じることができません(苦手です)。生きる上で私の大きな壁です。
しかし、これは苦手なだけと捉えています。体温調整は、氷や水や湯や毛布を使うとできます。色々な物を工夫をしてセットすることで、飲み物を飲んだり、顔が痒いときに掻いたりします。電動車椅子を顎で運転して、街中を歩きます。パソコン操作を顎仕様のマウスを使って操作して、仕事をします。
ちなみに障がい者ではない皆さんは、皆さんの1人でできない所(苦手な所)をどのようにしていますか?誰か他の人にやってもらおうと思います。この方法を、同じく私も使うと、1人手伝ってくれる人がいれば、手を挙げることができます。文字を書くことができます。ビールのジョッキを持つこともできます。2人手伝ってくれる人がいれば、自分の足で立ち上がることができます。3人手伝ってくれる人がいると、自分の足で歩くこともできます。国内旅行、海外旅行だってもちろん行くことができます。
障がいとは、ただ単にその人の苦手なことと捉えてしまうと、いわゆる健常者も障がい者ということになります。つまり、障がい者も健常者も、誰かに助けてもらって生きている人達なのです。
壁に挑戦している人
そこで私は、障がい者という言葉に変えて、新しい言葉を使っています。私は自分の障がいといわれる部分を、私が生きる上での壁だと思って、またこの障がいから来る社会の生き辛さを、私達の壁だと思っています。そして私達は、その壁に挑戦をしているのです。
私以外の人達も、よく生きたい、よくなりたり、働きたい、社会に出たい、今のまま維持したい…と思っているのではないでしょうか。そう思いながら、それぞれの壁に挑戦している人達が、これまで障がい者と呼ばれているのです。だから私は、障がい者ではなく、これに挑戦している「挑壁者」という言葉を使うのです。
中には、できないや苦手の壁を超えた人達もいるでしょう。こちらは、「超壁者」と言うべきかもしれません。私はこれまでにも、呼吸の壁、外出の壁、仕事の壁…沢山の壁を超えてきました。しかし、今もなお、もう一度立って歩くことに挑戦し続けています。リハビリを続けています。常に新しい壁を見つけ、自ら動き、挑戦していく…そんな挑壁者であり続けます。そしてこの言葉の考え方で、障がい者のイメージを変えることが、私にしかできない事なのだと思っています。
#挑戦 #リハビリ