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終末予報

 朝、テレビのスイッチを入れると、ちょうどニュースが始まった。テレビの向こうでは黒髪ロングの女性キャスターが一礼した。

「おはようございます。世界の終わりまであと一ヶ月となりました」

 と高らかな声で、キャスターのお姉さんはいつも通りの笑顔で番組を進行していく。今までと変わらない、いつも通りの放送。ただ、世界の終わりがすぐそこまで迫っている事実を正確に伝えてくれる。

 「終末予報」は朝の七時から国営テレビで放送される十五分間の番組だ。世界が滅ぶまでの残り日数を毎日カウントダウンするのが主な内容で、世界各国でも同様の番組が放送されている。世界中の人々が世界滅亡と共にある日常を過ごしているというわけだ。

 この時間、僕は朝食を摂るようにしている。「終末予報」を観ながら朝食を摂るというルーティンはこの頃すっかり定着している。ちなみに今朝の食事は白ご飯に味噌汁、焼き鮭にたくあんというラインナップ。味は可もなく不可もなし。

 テレビの画面が切り替わると、高名な宗教家が講演台の後ろに立つ姿が映された。立派な袈裟を身に纏った彼は、落ち着いた声色で世界滅亡に至るまでの経緯を語り始めた。

「今から一年前。地上に神が現れて、世界を滅ぼす宣言を下しました。人類はあまりにも罪を犯しすぎたため、一度世界を初期化すべしとのお考えでした。

 その宣言を聞いた世界中の人々は騒然としました。ある者は自暴自棄になって犯罪に手を染めて、ある者は世界が滅ぶ前に自ら命を絶ったといいます。世界中がパニックに陥ってしまう中、神はこう仰いました。

 “煩悩具足の衆愚たる人間たちよ、鎮まりたまえ。汝ら、滅びることを恐れるな。肉体は滅びれども、魂は永劫不滅なり。こたびの滅びは無への回帰にあらず。新たなる世界創造のための加行(けぎょう)なのである。”

 そのお言葉に世界中の人の心が鎮められて、以降は目立ったパニックは起こらなくなったといいます。

 そして、約束された終末の日まであと一ヶ月となりました。皆さん、残りわずかな余生を悔いのないようお過ごしください」

 宗教家の話が終わると画面は切り替わり、キャスターのお姉さんが再び映される。

「続いては、『きょうの終活』のコーナーです。今回ご紹介するのは、先日世界旅行を終えたばかりというご夫婦です」

 『きょうの終活』は世界滅亡の日までの準備活動を示す「終活」に取り組む人々の様子を紹介するコーナーだ。

 今日の出演者であるご高齢の夫婦は、終末の宣言以前は仲が悪かったという。子どもが独立して、夫婦だけの生活になっても満足に会話が無かったらしく、一時は熟年離婚の危機も迫っていたという。
 そこでかの宣言が発せられて、世界が滅びることを意識し出した矢先、どちらからともなく世界旅行を提案したのが始まりだったらしい。

「二人きりで旅行だなんて、上手くいくはずがないと思ってました。予想通り、旅の最初の頃は全く会話も弾みませんでしたし、せっかくの観光も楽しめませんでした」

 そう語るおばあさんの顔はにこやかだ。その隣で静かに話を聴いているおじいさんも、穏やかな表情を浮かべている。

「ですが、様々な国を渡るうちに自然と会話の数が増えていきました。あの料理が美味しかったとか、目的地に着くまであとどれぐらいなんだとか、ささいな会話が積み重なっていって、徐々に笑う回数も増えていったんです。そうそう、ドイツの古城街でおじいさんが迷子になっちゃったことも──」
「おい」

 おじいさんが照れ臭そうに制止し、おばあさんは嬉しそうに笑う。この二人がかつて離婚しそうな関係だったとはとても思えないほど、仲睦まじい様子がテレビに映し出されていた。

 それからも二人の思い出話に花が咲き、『きょうの終活』が終わった。そして今日の放送も終わりとなる。

「それでは皆さん、良い終末をお過ごしください」

 お姉さんのお決まりの台詞を聞いてから、テレビの電源を消す。それから身支度を済ませて、街へと出る。

 外は快晴だ。すれ違う人々は誰も彼もが活き活きとしていて、街全体が眩い光に包まれている。

 世界滅亡まで、あと一ヶ月。街を行き交う人々は自分のやりたいことを思う存分やり尽くしていて、きっと思い残すことは何もないのだろう。だからこそ、みんなの姿が輝いて見えるのだ。

 では、僕はどうだろう? 何の憂いもなく、このまま世界が滅ぶのを受け入れられるのだろうか。今こうして街を出歩いている目的は何もない。世界滅亡までにやりたいことも、特にない。周りの人々が充足感に満ち溢れている中、僕一人だけが取り残されている。

 両親は終末の宣言が下される前に事故で亡くなってしまった。僕も後を追おうかと思ったが、それは両親のためにはならないと思い直し、今に至るまで一人で生き続けている。しかし、その日々もあと一ヶ月で終わりだ。

 自然と早足になる。時間に追われているわけでもないのに。街の景色がみるみるうちに変化していく。世界が早送りになったかのように、人も建物も何もかもが過ぎ去っていった。大通りを抜けて、路地裏の近くを通り、そこで、


 子猫を見つけた。


 足が止まった。子猫は毛布が敷かれた段ボールの中に置かれている。黒、茶、白色のまだら模様な毛並みは薄汚れていて、誰かに飼われているようには見えない。

 つぶらな瞳が僕をじっと見つめて、弱々しい鳴き声が僕の鼓膜を震わせた。

 この猫も独りなのか。親猫も飼い主も側にいなくて、たった一匹でこの街の片隅に追いやられている。僕は妙な親近感を覚えた。

 一歩ずつ近づいていって、段ボールのフチに触れて、子猫を持ち上げる。思ったよりも軽く、子猫が転がらないよう細心の注意を払う。家に着くまでの間、子猫は一切抵抗するそぶりを見せなかった。


 こうして世界滅亡一ヶ月前に新しい同居人が増えた。猫の飼い方はまるで分からなかったので、ネットで逐一調べた。使う予定の無かったお金は次々と猫のお世話に必要な物資に変えていった。

 動物のお世話なんて小学校で飼っていたウサギ相手にしかやったことがなかった。エサは定番のキャットフードを買ったが、子猫は半分ほど食べ残した。トイレの躾は思うようにいかず、リビングの床にフンが転がってしまった。体を洗おうとしても暴れ回ってしまい、子猫よりも僕の方が濡れてしまった。

 子猫の世話に奮闘すること丸二日。そこで一番大事なことに気がついた。名前だ。
 猫の名前といえば、タマとかミケとかがメジャーなんだろうけど、せっかくの名前なんだからもっと考えてあげたい。ネットも本も使わず、椅子にもたれてあれこれと考えていると、

「ニャー」

 と子猫が僕の膝に飛び乗ってきた。会って間もないのに、もう僕に懐いている。シャワーは嫌がる子猫だったが、僕の家にいること自体は嫌がらなかった。同じ独りもの同士、シンパシーを感じたのだろうか。少なくとも僕は感じている。

 膝の上で体を丸める様子を見ていると、思考が覚束なくなり始める。

「にゃー、ニャー、ニャンだ……ニャン五郎」
 特に意味のない独り言に、子猫はパッと顔を上げた。そして僕の顔を見つめてくる。
「ニャン五郎?」
「ニャー」

 気に入ってくれたのだろうか。首元を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らした。
 子猫の鳴き声を肯定の意味だと捉えて、名前を“ニャン五郎”に決定した。

「おはようございます。世界の終わりまであと一日となりました」

 世界滅亡の日が明日に迫っても、相変わらずお姉さんは笑顔で番組の進行を務めていた。そんな通常運転で、「終末予報」の最終回は始まった。
 テーブルに朝食を並べた後、プラスチックの皿にキャットフードを入れて、机の下に置く。

「ニャン五郎、ご飯だよー」

 軽快な足音を鳴らして、ニャン五郎がキャットフードにかぶりつき出す。元気な食べっぷりを横目に、僕も食卓に着く。

 明日の正午には世界が終わりを迎える。そのため、通常のテレビ番組は昨日のうちに全て放送を終了した。今日はどのチャンネルでも神に祈りを捧げる映像が流れている。明日には全ての放送局が休止するようだから、もうテレビは観なくていいかもしれない。

「明日でこの世界は無くなってしまいます。しかし、恐れることはありません。神様は全ての人たちを優しく包み込んでくださいます。そして、新たな世界を創りたもうて、そこで私たちは次なる生を謳歌するのです」

 お姉さんは微笑んだ。今まで見たこともない、喜怒哀楽のどれとも言えないほど曖昧な笑顔だった。

 ニャー。足元を見ると、もうご飯を食べ終えたニャン五郎が僕を見上げていた。

 ニャン五郎と出会うまでに感じていた焦りはとっくに失せている。街中を歩いていても疎外感を覚えることは無くなり、ニャン五郎と過ごす日々に満足するようになっていた。

 しかし、世界滅亡を受け入れるにはまだ心残りがあった。叶うことなら、世界が滅ぶ前にニャン五郎が大きくなった姿をこの目で見たかった。ニャン五郎が大人になる前に世界が終わってしまうのは名残惜しい。

 ニャン五郎の頭を撫でて、フサフサな感触をじっくりと味わう。目を細める顔がなんとも愛らしい。

 神様が創るという新しい世界では、ニャン五郎とまた出会えるかな。両親も一緒に、三人と一匹で過ごせたら何よりも幸せだろう。

「それでは皆さん。思い残すことの無いよう、良い終末をお過ごしください」

 「終末予報」は終わった。お姉さんの深い一礼を見届けて、テレビの電源を消した。

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