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内心の自由。(発言活動が危険になってきました。②)

 学校の先生。
 いじめ加害者たち。
 高校のときにかかったカウンセラーたち。
 不登校の支援者たち。

 このあたりの人たちは、まだ若かった私に、「いろいろな意見を受け入れるべき」と、強制してきた人たちだ。
 彼らは、彼ら自身は頑として他者の意見には耳を塞ぐ一方で、人に対しては、「いろいろな意見を受け入れろ」と強要する。
 そして、人の考えの上に、彼ら自身の考えを上書きインストールしようとする。
 まったくもって、ダブルスタンダードだ。

 だが、《いろいろな意見》には、文字通り、さまざまな意見があるから、その中には、互いに矛盾するものもあれば、有害なアドバイスもある。
 例えば、かつて私が中学生のときの級友から、
「性格を直さなくてはいけない。成績の良い人は人格が悪いから、あなたの性格を直すためには、成績を下げる必要がある」
――と、毎日のように言われ続けたのを真に受けたために、その後の私の人生において多大な不利益を被ったように、受け入れるとむしろ有害な意見もある。
 とりわけ、“アドバイス”と称していろいろな罵詈雑言や中傷を羅列してくる人は、いっけん有益な言葉に偽装しているだけに厄介だ。

 更には、《自分》という器は一つしかない。
 そのなかに《いろいろな意見》を受け入れたら(ぶちまけたら)、互いに化学反応を起こしてしまう。
 そして、その反応は、得てして有害で、有毒で、危険だ。
 そして更には、もし自分の意見がたくさんあるならば、ブレているだとか、矛盾しているだとか言われる。また、人から何か言われるたびに自分の意見を変えていたならば、首尾一貫していないだとか、日和見だとか言われる。

 だから私は必ずしも、《いろいろな意見》のその全てを受け入れる必要はないと思っている。
 必要なのは、それらを知識や教養、また情報として、まずは《知る》ことだ。

 私達には、押し付けられることなくいろいろな考え方を知る権利と、それらを吟味する権利がある。
 それらのなかには、《自分の意見》として受け入れられるものもあるかもしれないが、その際に、じゅうぶんな情報収集と、自分の判断と選択と感性があっていいと思う。

 いわば、《自分の意見》とは、自分の考えというOSのシステムファイルで、《いろいろな意見》は、データファイルだ。
 前者を下手にいじると自分のマインドというシステムが壊れるが、後者はむしろ、いろいろたくさんあってもいいと思う。
 ただそれだけに、その取捨選択と整理整頓は大切だ。

 そのようなわけで、《いろいろな意見》のなかで、もし、しっくりくるもの、納得のいくもの、共感できるものがあるならば、自分の意見として受け入れても差し支えないのではないかと思う。
 だが、「いろいろな意見を受け入れろ」と問答無用で強要してくる輩、これは自分の考えや人格や判断力というシステムファイルを破壊しようとする奴だけに、じゅうぶんに用心するに越したことはないと思う。

◆   ◆   ◆

 で、近年、《いろいろな考えを知る》という権利が侵害されつつある。

 例えば選挙で互いに対立するA候補とB候補がいるとすれば、ネットやSNSが操作されて、A候補に有利な情報やB候補に不利な情報ばかりが拡散され、一方で、A候補に不利な情報やB候補に有利な情報はBANされる。
 あるいはCという事象があって、Cに賛成の意見・賛同者や推進派の意見ばかりになって、Cという事象に疑念を挟んだり反対したり論駁したりする意見はBANされて検索に出てこないし、そういう意見を書くアカウントはBANされ、酷い場合にはアカウントごと削除される。
 また、体制側に不都合な情報は「デマ」「陰謀論」「ヘイト」……のレッテルを貼られ葬り去られる。
……などなど。
 が、これもまた、形を変えた《意見の押しつけ》《思想の強制》だ。

 とりわけ、ある事象によって親族や知り合いが命を失った、本人や知人がシリアスな目に遭った……という声が、BANされたり削除されるというのは、もはや人道的ですらない。切実な声、悲痛な声をBANするのは、人でなしのすることだ。とりわけ、その事象というのが国の政策によるものであるなら、なおさらだ。
 ある事象やテーマについて、互いに対立している主張があるなら、(少なくとも自分がその事象について当事者でもない限り)それら双方の意見や様々な正確な情報をじゅうぶんに得たうえで、自分の考えや立ち位置を決めたいと思う。
 が、今日、その自由な思考の権利が侵害されている。

 そのようなわけで、発言がますます危険になってきた。
 私はTやFで始まるSNSをやっているわけでも、また今のところ動画をUPしているわけではないが、何もやましいことはしたことはないにもかかわらず、心当たりのない全くの濡れ衣で、Sで始まる通話サービスのアカウントがBANに遭ったことならある。
 また、BANかどうかははっきりとは判らないものの(敢えてわざと曖昧な書き方がされているのかもしれない)、某有名メーラーでメールアドレスの設定をしていたら、「問題があるメールサーバーです」と表示が出て、遂に送信側のメーラーの設定ができなかったこともある。

 まあ、たしかに、私は少数派の中のさらに少数だから、その他多勢派にとって都合の悪い発言をいっぱいしてきたと思う。
 だがそれをSNSで発信しようとしなくても、メールや通話という、個人的な繋がりですら断ち切ってこようとする勢力がある。
 このように、その巨大な勢力は、個人同士の繋がりですら、BANを仕掛けてくる。
 そのような訳で、現在の某巨大勢力に依存しない、新たなIoTインフラが必要だろう。

 いろいろな意見を知る権利。いろいろな考えに触れる自由。
 いろいろな意見を強制されない権利。
 個人と個人が繋がる権利。他者と繋がる自由。
 人間関係を強要されない権利。
 自分の頭で考える自由。
 言論の自由。
 内心の自由。

 今、私達は基本的人権としてそれらを守らなければいけないと思う。◆


#言論の自由 #言論統制 #SNS #ビックテック #民主主義 #検閲

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