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Tokyo Happy Coats『奥の細道』 【A-4】Baugher氏より返信来る。

(Magazine Gravure Picture Courtesy of Roy Baugher)

(本稿はアメリカのTokyo Happy Coats研究家Roy Baugher氏の許可を得て日本版サテライトコンテンツとして作成、画像や情報などを共有させていただいております。)

■Roy  Baugher氏から返信がやってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!

私がweb翻訳のメッセージを送ってから数日後、Baugher氏より返信が届いた。酔っ払いの珍訳でもなんとか通じたようだ。さっそくメッセを覗いてみた。

Hi.
I am Roy Baugher, the researcher and writer for the Tokyo Happy Coats Facebook page.
Thank you for writing and sharing the “Swing Journal” article! I did not know about this magazine, so I did not know about this article.

As you probably know, the drummer’s name is Keiko ☺️
I know the Gay Little Hearts played at the “Latin Quarter” nightclub in Tokyo as early as 1955. I had not heard of the “Manuela club”.
Can you send me a copy of this Swing Journal article, as a PDF, a screenshot, or a smartphone photo? You can attach it in Messenger or else email it to me at:
tokyohappycoats@gmail.com
Thank you again for telling me about this magazine article!
Roy

丁重な返信をいただいた。

Baugher氏は音楽雑誌『スイングジャーナル』やナイトクラブ『マヌエラ』ついてご存じなかったようで、当該記事も未見だった。メッセージをお送りして良かったと思った。

氏の文中にあるナイトクラブ “Latin Quarter”と聞けば、あの力道山が刺された『ニューラテンクォーター』をついつい連想してしまうが、まったく別の店。 “Latin Quarter”は1953年に東京赤坂(本当は永田町)で開業した在日米軍将兵のための慰安用ナイトクラブだった。が、オープンから3年後に火事で焼失したという。その跡地に建ったのがNewの方。

“Latin Quarter”は、アル・カポネとも関係があった元マフィアで日本で初めてのカジノを開業したテッド・ルーインが始めたナイトクラブ。後にロッキード事件にも関わる右翼の黒幕・児玉誉士夫も共同経営者だった、とロバート・ホワイティング『東京アンダーワールド』(角川文庫)にある。

■相当に早い、GLH(=THC)の芸事始め。

Gay Little Hearts(=Tokyo Happy Coats)が米兵慰問用クラブ“Latin Quarter”に出演していたとなると、それは開業の1953年から焼亡した1956年の間のどこかだ。

【A-2】で紹介した雑誌『スヰングジャーナル』記事の掲載が1958年5月号で12〜3歳の少女とされていることからすると、彼女らは10歳前後の幼少期からプレイしていたということになる。

GLH(=THC)の活動歴はスタートが本当に早い。日本では昔から「6歳の6月6日に稽古事を始めると上達しやすい」という言い習わしがあるが、まさにそれを地で行く話なのだ。逆算するとハコモリ姉妹が生まれた年は1943〜1946年ぐらいとなろうか。

なぜ年端もいかぬGLHが、日本の政治中枢に近く治外法権の別世界だった“Latin Quarter”のステージに立つことが出来たのか?

その舞台裏を物語る資料をBaugher氏が提供してくれた。下記の画像は、米軍の準機関紙『Stars & Stripes』1955年10月25日号の紙面。氏がマーキングしてくれた行にGLHの名前が見える。

(”Stars & Stripes" Picture Courtesy of Roy Baugher)

記事では、ここ数ヶ月で“Latin Quarter”にブッキングされたアーティストについて触れた中で、こう書かれている。

The Gay Little Hearts kiddle group that should be home in the bed long before 1 in the morning.

午前 1 時よりずっと前に家に帰ってベッドに入るはずのお子ちゃまグループ、Gay Little Hearts。

(”Stars & Stripes” 訳は引用者)

この画像に添えられたBaugher氏のメッセージはこうだ。

The U.S. military newspaper “Stars and Stripes” had an article about the Latin Quarter in their 25 October 1955 issue. The article was about how the club couldn’t get US entertainers recently, so they had to book Japanese acts instead. The Japanese government started to limit the number of visas issued to American acts at that time. The Gay Little Hearts are mentioned in the article. I’ve attached the article.

The squeeze is on between the Japanese government and local booking agents who bring talent in from the United States...there is a big crackdown on the issuance of entertainers' visas. As a result, the shows at Tokyo's plush Latin Quarter - once the center of top entertainment throughout Japan - are now no better and sometimes not as good as those at military clubs. In the past few months the Latin Quarter has featured acts like the Nakagawa Troupers, a family act that blares and plays off-key, and the Gay Little Hearts kiddie group that should be home in bed long before 1 in the morning.

米軍の新聞「スターズ・アンド・ストライプス」の1955年10月25日号にラテン・クォーターに関する記事が掲載されました。その記事は、クラブが最近アメリカ人の芸能人を呼べなくなったため、代わりに日本人のアーティストをブッキングしなければならなかったというものでした。当時、日本政府はアメリカ人アーティストに発行されるビザの数を制限し始めました。記事にはゲイ・リトル・ハーツについて触れられています。

日本政府と、アメリカからタレントを連れてくる地元のブッキング・エージェントとの間で締め付けが行われています......芸能人のビザ発給が大幅に取り締まられています。その結果、東京の豪華なラテン・クォーター(かつては日本中のトップ・エンターテイメントの中心地であった)のショーは、今やミリタリー・クラブ(※)のショーと比べても見劣りすることもある。ここ数ヶ月、ラテン・クォーターでは、中川トゥルーパーズやゲイ・リトル・ハーツのような、夜中の1時よりもずっと前に家に帰ってベッドで寝ているようなファミリー・グループがフィーチャーされています。

((※)ミリタリークラブ:兵士の階級別に別れた慰問施設。訳文は引用者によるweb翻訳)

店側がこれまで本国から招いていたアーティストへのビザの数を日本政府が制限してきたために、日本のアーティストや芸能人を採用する必要に迫られたという。

でもなぜ、少女というか幼児というか、”家に帰ってママと一緒に寝てなさい”と書かれるような小さな子供のグループへの引き合いがあったのだろうか? これついては稿を改めたい。

■Baugher氏とのやり取りで浮かび上がってきた探索テーマ。

彼とメッセージを交わす中で、探らねばならない疑問やテーマがいろいろと噴出してきた。以下ランダムに列挙してみる。

1.渡米前、日本のメディアではGLHの露出がほぼない。現在の女性観とは違う時代とはいえ、女性姉妹5人組は記事ネタとしてChoiceしやすいと思われるが、一体なぜ取りあげられていないのか?

2.『女ビートルズ』と銘打たれた雑誌グラビア記事の出所は何? 筆者はどんな人?(冒頭画像参照。記事に掲載された画像は1964年5月17日に横浜で行われた公演の模様というが、掲載誌が不明)

3.GLHが芸能活動を始めた当初は、アクロバットチームだった。アサヒシスターズ、アサヒテンカ、アサヒフェンカ(スペルミス?)という芸名だったのではないか?とBaugher氏。→彼女たちの芸能者としての出自は?
(Baugher氏によれば、彼女らが音楽バンドになった際にGLHにリネイムしたが、アサヒを芸名にしていた、サインする際には「アサヒ」を苗字として使っていた、という)

4.子供芸人がなぜ米兵に人気だったのか?
(GLHも初舞台は10歳前後の年齢だったと思われる)

5.姉妹の母の名はハコモリ・シメ。父親のファーストネームは不明。彼女たちには兄弟が2人いて、その兄弟は1960年代から1970年代にかけて体操選手だったらしい。→全国大会や五輪クラスでハコモリという体操選手が実在したのかどうか?

6.沖縄に”ハコモリ”という姓はどの程度存在するのか? GLHの沖縄基地公演が多いことによる、Baugher氏の疑問。

7.なぜ彼女たちは日本を離れてアメリカに渡る道を選んだのか?

8.GLHの渡米前にミリタリークラブでの出演を依頼していた米兵が、彼女たちのマネージャーの名刺を現在も保管していた。その名刺に書かれた人物と事務所所在地の同定。

9.同じ米兵がGLHから寄贈されたGLHネーム入りのZippoライター。その片面に印されていたクラブはどんな店でどこにあったのか?

本当はまだまだあるのだが、主なところはこんな感じである。次回からひとつひとつ、潰してくいくつもり。

■彼女たちを探して。さても遠きは奥の細道、旅の曾良。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」

GLH(=THC)が活躍した時から、もう半世紀以上経過している。どこまでテーマが解明できるだろうか、謎は謎のままで終わるのか。

ただ調べつつ思うことは、彼女らの軌跡を追うことは単にミュージシャンの経歴を確認するというだけでなく、第2次世界大戦後のアメリカの対日占領政策、文化政策、米軍基地と日本人との関わりなどを頭に描きながら事蹟を探っていく必要があるということ。

彼女たちを辿る道は狭隘だが、その奥行きはやたらと長く深いのだ。

この探索の”旅”、私は宗匠・松尾芭蕉ならぬ研究家Roy Baugher氏にくっ付いてGLH(=THC)を探し回る、出来の悪い河合曾良のような気分である。目的地で絶景を拝めれば良いのだが。

(【A-5】へ続く)


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