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Tokyo Happy Coats『奥の細道』 【A-2】THCを調べ始めてみた、ものの。


(本稿はアメリカのTokyo Happy Coats研究家Roy Baugher氏の許可を得て日本版サテライトコンテンツとして作成しています。)

■まず「トウキョウ・ハッピー・コーツ」でネット検索したら。

最初にグループ名をカタカナで検索をかけてみた(2024年3月時点)。出てきた日本語サイトは2つほど。

ひとつ目は、アメリカで日本の戦後ポピュラー文化を研究されている坂元小夜氏のコラム『ニッポンの歌を探して』である。それは2020年12月にアップされたもので、文中にTHCのプロフィールについて若干の言及があった。

ちなみに、彼女たちは姉妹ということになっていて、レコードのジャケットにはハコモリ・エイコ、ケイコ、ショウコ、トミコ、ルリコとクレジットされています。

レコードを発売する10年ほど前からアメリカ各地のクラブを演奏して回っていたとあるので、少なくとも1960年代の前半から活動していたと思われます。しかも、このハコモリ姉妹は26種類もの楽器を使いこなし、ツアーの際は荷物が44個にもなったとか。

このコラムによって、まず彼女らが”ハコモリ”という姓であることを知った。初めて聞いた姓で、とても珍しいと思った。この”ハコモリ”を調べてみると、受けた印象通り稀少な名字であることが解る。

漢字表記を「箱森」とした場合、上記サイトによれば都道府県別では若干数字の異同はあるものの、日本全体でも約60〜90名という少なさだ。

また漢字表記を「箱守」とした場合は、人数が増えて全国でおよそ1,500人が該当するという。2023年10月時点での日本の総人口が1億2435万2千人、その内に占める「箱森+箱守」姓を1,590人とした場合、その割合は0.00127%でしかない。

また同記事で、26種類の楽器をこなしたりツアーの荷物が44個にもなったりと、マルチプレイヤーの大所帯ということも知ることが出来た。

ただ坂元小夜氏も、コラム執筆の時点ではTHCの正体を掴めていないことが解る。その後の続報は無いようだ。

もう一方は、Hilo氏によるブログ『魅惑のハワイアンムードDX』、2016年1月の記事。

この管理者もとても音楽関係にお詳しい方で、THCのレコード制作に関わったDennis CoffeyとMike Theodoreについての解説もある。

それにしても、5人は今頃何処で何をしているんでしょうかねぇ。
機会があれば、ぜひ当時のことを語ってほしいものです。
どこかでドキュメンタリーでも制作してくれないかな?
リリースから45年後に、こうやって熱を上げてる人もいるぐらいですから(笑)。

そうなんですよ、リリースから54年後、半世紀を過ぎても熱を上げている私のような者もおります。ブログの管理者Hilo氏も、やはりTHCのプロフィールが解らず詳細を知りたいと願っていたのであった。

■英語のサイトではどうか?

今年3月時点で一番目を惹いた海外のサイトはこちら。

この記事は2014年9月の制作。これにTHCのプロフィールを探る重要な記述があった。

The group started out in the mid-1950s as The Gay Little Hearts and played the circuit of US military bases in Japan until 1964, when they changed their name and relocated to the US, notes David Bottoms in Stacks of Wax, an expansive history of Cincinnati record labels.

元々THCは The Gay Little Hearts”というグループ名で1950年代の半ばから日本各地にある在日米軍基地、ベースキャンプをサーキットしていた。1964年まで基地慰問を続けたが、活動拠点をアメリカに移してグループ名をTHCに改称した、という。つまりアメリカで再起を図ったということか?

動画に遭遇した当初は”日系人”によるバンドかと誤解していたが、実は彼女らは生粋の日本人だったのだ。

◇  ◇  ◇

それにしてもR&Bファンの私にとっては、Syd Nathanが創設し、Roy BrownWynonie HarrisJohnny "Guitar" Watson、もちろんJBなどなどなどなど、錚々たるアーティストを擁したKing Recordから彼女らがLPやシングルをリリースした、という事実にも注目してしまう。どういう縁でKingとの契約にこぎ着けたのだろうか。

■「国立国会図書館デジタルコレクション」で探ってみたら。

THCが日本人で、しかも1964年までGay Little Hearts(以下GLHと略)として日本で活動していた、ということなら日本側にも記録がいろいろと残っているはず。

そこで『国会図書館デジタルコレクション』を当たってみた。すでに60年前の話、古記録を手軽に探るなら、とっかかりはココなのである。

ところが、なかなか記録が見つからんのだ。

まず念のために、ワード”Tokyo Happy Coats”と”トーキョー・ハッピー・コーツ”で検索、渡米後の名前なので当然ながら何も網に掛からず。それではと”ゲイ・リトル・ハーツ”で検索すると、たった1件だけヒットした。

それは、雑誌『スヰングジャーナル』1958年5月号だった。

(from Aucfree)

懐古亭酔人というペンネームの筆者による『ジヤズ界を濶歩する才女達』という記事である。その文中にこんな下りがある。

ドラマーといえば、この柳原以上にうまいタイコを叩く12,3の少女がいるという。10代の少女からなるゲイ・リトル・ハーツが3ヶ月程前「マヌエラ」に出演した時ドラマー出身の久保田二郎や、モダン派の五十嵐武要が両手をついて「まいりました」と頭を下げたというから恐れ入る。名前はききおとした。

筆者がドラマーの名前を聞き落とした、というのは痛いが、これは間違い無くGLH=THCのことだ。ドラムの担当はKeikoさんだが、まだ子供だった当時から演奏について高い評価を得ていたことがこの記事で解る。

GLHが出演したというナイトクラブ『マヌエラ』はジャズミュージシャンの登竜門として名を馳せた店で、そのステージに立ったというのは大したもの。同店については、以下が詳しい。

■灯台下暗し。意外と足元にあった奥への細道。

国会図書館で調べても、1件しか出てこない。なぜ網に掛かってこないのか? もっと詳しい情報がどこかにないのか? どうしてなのか?(これは後で明らかになってくる)

そんなことを思いつつ、いつも仲間内の連絡に使っているSNSで、ダメ元で試しに検索してみようと思った。

ほとんど期待はしていなかったが、これが意外にも大当たり、さらにTHCの深奥へと道が繋がっていたのである。

(【A-3】に続く)


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