じごく湯(4,5,6)



 山寺の庭で、坊主は池の中をすくう。池にはうぐいたちが泳いでいる。坊主は網を伸ばして、一匹を捕まえた。大僧から命じられ、坊主は別の池に運ぶ。

 その池にも同じ魚が泳いでいるが、異様に太り、鱗は剥げ落ちている。坊主が生け捕りの魚をあけると、盛んに水しぶきが立った。食っていた。同族を。
 坊主と同年の修行仲間たちは、肩を寄せ合ってこれを見た。


 大僧がそれぞれの池を指して言う。
「先の池には、生きたうぐい。後の池には、不死のうぐい。そして」
 大僧はとある包みを、坊主たちの前で開けて見せた。鉱石であった。
「この仙丹は功験の余り、不死を殺す。死の境を越えたる者、それを尋常の屍へと引き戻す薬にござりまする。そしてこの池……」
 大僧が、さらに三つめの池へと、坊主たちを連れていく。そこの水は、光沢を含んで曇っている。小さな池に住む魚はわずかに一匹、動きもにぶい。

「このうぐい。百歳もの昔より、仙丹を溶かした水に身を浸し、生き延びておる者なのです。太郎冠者いちばんめや」
 坊主は言われ、魚を捕らえ上げた。大僧が魚を抱きかかえる。尾びれを小さくもぎ取られて、魚は元の池に放たれた。大僧が皆に肉片を見せる。肉片もまた、少しの金属色を持つ。

 大僧は肉片を、不死の池に投げた。やはり水面が騒ぐ。それは餌に群がる乱舞から、末期の苦しみに変わっていく。やがて、肉片を口にした数匹が、ぷかりと腹を浮かべた。大僧が坊主に、死んだ不死を取らせる。
 他の不死が網先に詰め寄り、そこに食らいつこうとする。
「置いてけ~」「置いてけ~」「置いてけ~」
 大僧が不死を庭に葬る間も、池からは恨みがましい声が絶えなかった。


 大僧が疑問を受け付ける。坊主自身が名乗り出ると、坊主より年少の次郎冠者にばんめも、競うように隣で手を挙げた。
 大僧は、次郎を先とした。
阿闍梨せんせい。まことに、不死は生者に返せぬものなのですか?俺は……さよう……、不死をも、助くる術があらば、とぞ思いまする」
 次郎の目は魚たちの墓標に向いていた。

 大僧が答える。
「あるやも知れませぬ。我らとて望む所。されど、まさに不死の怪が人々をおびやかす、修羅場においては。その慈悲は忘れませい。命取りですゆえ」
「はい」
 次郎はぐっと黙らされた。

 坊主が聞く番だ。
「人にも、そこのうぐいの如きわざが成しえまするか」
 仲間たち皆が、坊主に振り向いた。大僧が答えるまでに、時間があった。
「……試みた者は数あれど、なべて身を滅ぼしました。すべきではない。そう覚えおきなさい」



 坊主は大人たちをにらみ付けて、折檻に耐えていた。堂の一室に、大僧たちが集まっている。周囲には、同じ子供の坊主たちが正座させられている。坊主の裸の背が、じんじんと熱い。
 坊主の後ろから、きぬ擦れが聞こえる。坊主は警策むちの一撃を覚悟し、歯を噛み締める。

 痛みは訪れなかった。ついには罰も終わったらしかった。居住まいを崩す大人の僧たちは、どこかほっとしても見える。


 ちょうどその時、縁側を歩いてくる足音がある。ふすまを開き、旅姿の老僧が入ってきた。蓑を脱いだ老僧は、見る。坊主が背に軟膏を塗られているところを、まじまじと見る。
 坊主の隣で、次郎が発言を乞うた。「何ぞや」老僧が許す。

大阿闍梨おしょう。飴を舐めれば死ぬるぞと、のたまい侍らぬおっしゃいませんか」
「いかにも」老僧は認めた。

 次郎が、坊主のことを指差した。
「ならば、太郎が達者ではおかしうござる。太郎は壺を独り占めしました」
 老僧は、ひと通り耳を傾けた。それから答える。
「身を滅ぼすとの言いつけ、今もって変わらぬ。ただし、我ら数多の事にてはありしかど、皆にもあらず。一つの御代に、一人。金気飴を食うて、なお生きながらえる者が出よる」
 老僧が近寄り、息の整った坊主に、手を差し伸べた。


「太郎。かくなるうえは、御法のはからいと心得べし。仙丹を身に蓄え、不死調伏の時に備えよ」
 坊主は口の端に垂れた血をぬぐう。それははっきりと銀色がかっていた。
「かしこまってござる」坊主は答えた。衣をまくり上げ、立ち上がる。大人の僧たちが道をあけた。

 老僧は縁側へ、坊主を導いていく。
「来い。常にはあらねど、伝法をせんめんきょをゆるそう
「先生。この俺にも」とん、と次郎が畳に足を立てた音。「やるまいぞ」、と僧たちが後ろをふさぐ気配。

 坊主は人越しに、次郎の姿を求めた。次郎の目は、物言いたげに見返していた。坊主は黙って去る。次郎の思念だけが、付いてくるように感じる。



 ぐらぐらと湯が煮え立つ音。僧は薄目を開けた。岩の間の湯につかっている。
 僧は顔を洗い、肩をほぐした。


(痛みがやわらいだ)
 湯に蒸されて、僧の思考はふくらむ。
(して、教祖の妖術……。…………心を読むとて、遠くや暗がり……。目にも見えでは、見えぬはず…………)

 義手に違和感。僧は見る。肉と木の継ぎ目から、金属色の泡が吹きこぼれている。体に熱がこもると、このように仙丹が騒ぐ。
「……いっそ……、身を焼き…………山ごとやつを」
 僧は口走ってから、頭を振った。
「勝手な。……東にも不死が群れておる。丸腰では太刀打ちできぬ……」

 僧は岩場へずり上がる。あぐらして、体を風にさらす。外にはみ出した重みがしぼみ、腹の底に戻っていった。最後に僧は、胸の内を吐き出す。ただ白い息だった。


 僧は竹筒をあおり、水を飲んだ。
「見ーちまっ、た」
 声の主を、僧はにらむ。湯煙の向こうに、裸の教徒。僧は湯を分けて歩き寄る。

 教徒は逃げようとしない。老人で、伏し目で、片足が不自由であった。年の取り方からして、たたら師上がりのようだ。
「……見えておらぬだろう」「ええと、『シナズをやっつけてぇ』だっけ……。まず、檻さ放り込まれっぺ。いつも如く、処刑もされちまうべかな……」

 聞いて僧は、義手を背に振りかぶった。老人は泰然としている。一言目もあながち嘘でなく、全て見抜いて黙っているようでもある。僧は、おどしにならない真似をやめてしまい、また問う。


「望みは何ぞ」「洗ってけれ、おらのこと。気をよくしたら、はずみで忘れちまうか知んね」
 僧もまた、難のある体をしている。老教徒は知ってか知らないでか、「ほれ、さ、ほれ」などと、布を押し付けてくる。

 僧は、岩べりに茶碗を打ちつける。さいころの出目が二つ。

「しようのない」僧は、粗目の布に灰をすり、片手に巻き付ける。
 浅瀬に寝せた老教徒。肌は、年輪のようなしわを刻み。骨を繋ぐ軟骨は、竹の節のように盛り上がっていた。長い年月と激しい反復作業を、耐えてきた体だった。僧は撫でるぐらいに磨いて、湯で押し流した。


 僧は手で手を引き、老教徒を温泉へ連れ戻す。
「あんがとうさん」
 老教徒は岩を枕にして、身の上を語り始めた。
「おらは片目を悪りくして生まれた。もう片一方も、炉に当てすぎて、潰してしまった。それが、千手教のご厄介さなれば、どれだけ難しい病だって治ると聞いてよ。一度ばかり、両の目からこの世を眺めてぇもんだ……」
 老教徒は笑い、まぶたを布で温める。僧は思う所はあったが、ただ聞いていた。



「寝ぼけるな、ぼんくらどもが!入れ替えだ!」
 竹垣の向こうから、教徒の怒声が飛び込んでくる。僧たちは手伝い合って、服を着た。担架に縛り付けられた病者などが、どやどやと運び込まれてくる。追われるように、僧たちは露天風呂を出た。

 僧の隣にむかえが来て、
「順番が来たど」「へえ、へえ」
 もたつく老教徒のことを、ぐいぐいと引っ立てて行く。僧はざわつくものを感じて、あとを付けた。



 荒れ山の仮小屋が、青く燃え立つ。

 僧の前に、老教徒。
「は……!」ござの上で、激しく息を吸った。

「……見えるか?」僧は聞く。
「見えね。……また、見えねくしちまった。誰だ、お前?」老教徒はおびえて聞き返した。手が探って、僧の姿形を確かめる。

「見えぬのだな。……すまぬが、その方がよい」「ああ、わかったど?風呂場のやつの声だな」老教徒の声は、少し落ち着きを取り戻す。


「俺のことはよい。中で何をされた?」「何って、お手当てだ。お薬師いしゃ様に、目の所さ触っていただいた。頭ん中がもぞもぞしたかと思うと、あたりがぱっ、と明るく」

「手当てのう」僧は老教徒を見ながらに言った。
 頭にぐるりとかぶせられた物体、それは包帯や帽子ではない。とんぼのように多眼の、不死の肉塊だ。

 老教徒は口をゆがめる。
「……だども、おかしかった。お手当て小屋、出る頃にはよ。世の中みんなが、言いようの無ぇ色して……、ウスノローく動いとった。景色が前から背中まで、一時に見えた。何が何やらで、ずきずき来て」老教徒はこめかみのあるあたりをさすった。
「あの世のながめぞ。忘れよ」

 続けて僧は、「頭に触れるが」と。
 老教徒が一度びくついてから、許す。僧は肉のへりを掴み、少しずつ引きはがす。
 虫眼肉の下。不死の根が、生者の奥へと入り込もうとした形跡がある。しかし金属色――僧の小指にも吸い着いた為に、そこから肉は朽ち果てていた。根は簡単に千切れ、あるいは人体に拒絶されて出てきた。僧が「痛みもないか」とたずね、老教徒が「なあも」と答えた。

「そやつは――医者とは言うが、何ゆえ療治を?」僧は肉を叩き潰し、聞いた。


「『弓が上達する。弓弼せんじゅ様からおほめを。その為ならば、まず我慢だ……』と。頭がむずがゆかったのは、確かに楽になっていくな。……そればかりで無ぇ」
 老教徒はつばを飲んで、続けた。
「今度は、すーっと気が遠のいていくでねか。あ、これはタダ事で無ぇな……、とわかった。おらが、体から離れてく感じがすんだ。しまいには……、ああっ」「どうした」僧は乗り出して聞く。

「……おらが見えた」「己を?」
「ああ。小屋からお医者も顔を出した。んで、お医者を見とると何してだか、おらの事まで見えた」「互いを……見る……」僧は、魔訶不思議な証言を繰り返した。


 僧たちの近くで、燃える仮小屋。壁から、教団の紋が焼けて落ち、虫頭の人体が見えた。
 この乱暴は、僧がしでかした。教団にまつわる噂。閉所に教徒を呼び、移植の術をするという。そして短時間の後に、老教徒が、まるで狩りと殺しが世の全てのように言い出した。この二つから、生者の体を乗っ取る不死だと判断した。術後の室内は、動かぬ証拠。

 老教徒の腰が立つようになると、僧は言う。
「賊が出た、なぞとせよ。……まことゆえ」

 僧は、相手の八角杖をその手に握らせる。「路銀の残りは?」老教徒が、こくこく、と返す。そしてまとまった銭を差し出す。僧はそれを押し返す。

「……ここには良い坊主がおらぬ。生きて出て、他の山を頼れ」




 日付は夜襲後に戻って、今日。
「出しやがれ、ど畜生ーっ!」「死にたかねえよう!」「さっさと殺しゃええ、さっさと。ぶつぶつ」「おお、おお……」
 木組みの檻の中、囚人たちが吠える。紋は剥奪され、教徒扱いはされない。

「放生を!」教祖の声が飛んだ。

 と、天から大腕が伸びてきて、檻の一つを引っこ抜いた。「許してけろずーっ!」中から囚人が転がり出る。
 別の人差し指が、囚人の背を地に押さえる。さらに他の腕が、強引に熊皮の防寒着を着せた。
「いやだ……ぼあああーっ!ぶああっ!」囚人の叫びは、荒く、人のものではなくなっていく。

 指が離れた。囚人は四つ足を突いて、荒れ山を下り始めた。


追物、送れ!」教祖の声がやまびこする。山中の教徒が弓を取る。

 ひゅひゅ。ぷす、ぷす。囚人の背に矢が襲う。
「ごわああ!」獣化した囚人はわめいて叫ぶ。
 矢じりは飾りのある棒矢、訓練用であった。教徒たちが技を競い、一喜一憂する。
 囚人は、浅く刺さる矢に狂乱し、疲労していく。足が止まると、その先でどんぐり袋が揺らされる。囚人が駆け寄っても、どんぐりにありつけることはない。

「遊ばせ、やめ!」一声で、射撃が止む。


弓弼せんじゅ様!この者、弓弦も満足に張られず!鹿の一頭も狩り殺せませなんだ!いかにて報いられましょうや!?」壇の教祖が罪状を言いつらね、天の意思をあおいだ。

「ちんじゅゥ ウ ウ」天の返事が、
「ぶああ、ぎゃ!」そして二本の矢が罰した。囚人の土手っ腹には、黒曜石の矢じりが突き出す。実戦用の矢だ。
 囚人は逃げていた勢いのまま、噴気口に姿を消した。


「見たか、悪報!」教祖が声高に。
 教徒たちが、処刑現場を見てささやき合う。噴気口近くに立て札。『八幡地獄』、と書かれている。「さよう!」教祖が力強く認める。

「射芸を軽んじたること、これ、弓箭神への冒涜!ひいてはその起源である、弓弼せんじゅ様へそむく所業なり!かくも不信心極まりては、必ず地獄へ狩り立てられん!南無・弓弼せんじゅ・大権現!」「「「なむ・せんじゅ・だいごんげん!」」」教徒たちが、祈りを復唱する。


「……ちんじゅゥ ウ ウ」
 次には役人風の一団が熊を着せられ、もてあそばれて死んだ。『金堀地獄』との札文字に、教祖が因縁を付けてみせる。
「川の砂ごときを後生大事に集め、こぞって運び出だしたること!神の山に産する物ならば、神をおいて捧ぐべき方はあるか!?かくも不信心極まりては、必ず地獄へ狩り立てられん!なむ・せんじゅ・だいごんげん!」「「「なむ・せんじゅ・だいごんげん!」」」祈りがあった。


「……ぶああ!」
 狩猟槍を奪われてから、囚人が死んだ。かすれた『猟××獄』を過ぎ、『畜生地獄』のその下であった。
「愚かにも獣に肉迫し、死に物狂いに競うこと!畜生そのものが如き、下賤な狩りぶりである!必ず地獄へ狩り立てられん!」「「「なむ・せんじゅ・だいごんげん!」」」祈り。

 ざんばら髪の坊主が死んだ。近くには『法華地獄』とあり……。



 漏れ聞こえる、教徒たちの声。
「お、次のまとが来やがったど。撃つべ撃つべ」「やめれ!立っとるでねか。こっち見とるでねか!人は撃てね!」「馬鹿け?熊だって立つ」
 声の一人が、すすり上げ始める。
「……か、見っともね。赤んぼか?ええ大人が」「おかしくもね!おらの母様だもの!」「したらお前、熊さなるだな?熊から出た子も熊だべな!?」

「………………熊さ、なりたくはねぇ」「だべ」


 教徒たちとは柵一枚をへだてて、石の山がある。石材は雑に積まれた、地蔵像だ。捨て場である。
 捨て場の間に、僧と木こりたち一揆衆はひそんでいた。細い光とともに、異様な処刑の熱狂が飛び込んでくる。
 すぐ外には虫眼の巡回たちが、夜襲の犯人探しをしている。うかつに出て行けはしない。
 捕まった偵察は檻の中だ。見せしめだが、止めるすべもない。天気は晴れて、弓弼の狙撃は百発百中である。何より、儀式を乱す者が処刑の矢を受けるのは、教徒の身分でも同じ事。

「坊ん様」
 砕けた地蔵の横、木こりの若者が、じれた声で言った。
「止めねでくれたら、押し切れたのでねか」

「……弓が鳴った。進む前にじゃ。死ぬのみでは本意でもあるまい」
 僧も、顔突き合わせて言った。夜の視界不良や、戦力の分散。これらを敵に一方的に見通されていた時点で、勝ち目を失った――とは、僧の弁である。

 かかん。また、地蔵の肌を流れ矢が滑った。
 話は途切れたままだ。たらればの言い合いになるからだ。


――「ころり!ころり、またころりィ!」
 処刑に夢中になっている教団の声。
ははこの絆、何かはせんなにができる石像じぞうの威力、何かはせん!煮らるる四ツ足けもの、何かはせん!弓弼せんじゅをおいて神はなし!」「「「弓弼せんじゅ様をおいて神はなし!」」」祈り。


 捨て場の空洞で、僧は頭の毛を剃る。
「今しばらく借りたい」僧の手元には、銅の手鏡。
 聞かれた娘が、鼻を鳴らす。
「返せよ。なくしたら針飲ますど」「承知」

 娘は、狭いすき間をすいすいと行く。意味もなく戻ってきて、僧の両肩をゆさぶる。
「……なあ。熊ごっこのあいつら、助けてやんねと。どうせ大それた悪人でもねぇべ。お前からお天道様さ言ってよ、ざんざか雨降らせ」

「法師に……俺に、そこまでの力はない」
 僧が揺れながらに言う。娘の手を払い、止まった。
「弓弼に専心しなければ、一揆の誓いにも反する……」

 ごろごろごろ……。
 にわかに雷鳴とどろき、天がかき曇る。まるで荒れ山の火を消し、処刑の邪魔をするような、雨空となる。

「嘘だべ!?」「恵みの……」のぞき見ていた一揆衆たちが、つい拳を握る。


――「ひやみずゥ ウ ウ……」弓弼が鳴動し、巨体を射角調整じみて反らす。
 蜘蛛の巣形の何か――途方もない大弓が、弓弼の上へと持ち上がっていく。数十の大腕が、その末端にある腕の力を合わせ、何千の矢を引く。
……むよおォ オ オ!
 放つ。山の大気が震え、風車が乱れ回る。全ての矢が、上空へ。

 雲に、ぼつぼつと穴。あいた穴がくっつき合い、青空となって広がる。雨雲は散り、かわって正午の太陽が照り付けた。
 巨木の弓弼は、光を背負い、ますます神々しくなった。名を唱える、声。


 捨て場の一揆衆たちは、どんよりと息をつく。

 その中の僧が、息を出し切って、立った。
「よし。俺は行く。お前さんらが見極めよ」僧は言って、明るみの方へ。
「どこさ行く。何する」木こりたちが諦め半分に聞く。

「言わずもがな」「おい。危ねえったら……」
 踏み出した僧に、高速の影が重なる。

 めぎ、と音がして、竹の繊維が舞い散る。僧の両手の杖が、天に打ち込まれていた。




 驚く虫眼を蹴りどかし、僧は檻へと走り出す。教徒たちの視線が刺さり始める。

――「お出ましかな、太郎冠者!」
 教祖の声が、知った仲のように僧を呼ばわった。そして山中の教徒たちに、「……不調法ぞ!征矢にて畳んでしまえ!」石矢を射かけさせた!


 びょ。びょびょびょ。
 か。
 僧は両手で杖を使う。一振りで最大限に矢を巻き取り、道を開く。
 射撃が揃い、矢が空間を潰して押し寄せる。僧は、生きた足首で行き先をねじ曲げ、次には義足で噴気を越えた。矢の下を滑り込み、または左右に切り返してよけた。
 歩調の癖が固まると、矢が集まってきて死ぬ。先手を奪い続けないといけない。見た矢を忘れたら、それも死ぬ。目を外しても矢は動いている。息を血に替えて巡らせ、進んでまた息継ぎの間を拾う。両方をこなしながら、不測にたえる力を残す。

 手の甲ではじく。首筋を通す。半身ですり抜ける。義足には許す。
「まぶ!」「見!」後方で悲鳴がする。背にした鏡が、死角からの射撃密度を下げていた。光は矢よりも速い。


 僧は見上げ、踏ん張りを利かせた。黒い星座が大矢となり、思い浮かべた道を全てふさぐ。千眼の読み、そして弓弼の手数だ。だがかわした。再突進!

――教祖の声が、
「押しとどめよ!さすれば我……もとい、弓弼せんじゅ様が殺す!」射手を展開する。僧の気を左右に散らそうと。
 僧は曲がり、前と後ろに戻した。

――「そこ!そやつに毒は無駄矢ぞ!」教祖が注意をそらしたか。

 僧は、地面から突き出した大矢を足で掴みながら、矢をかち上げて一まとめにはじき、高熱地帯の外へ着地。数歩先、ひらけた場所は……、罠だ。大矢の束が襲い来る。

 僧は体を強いる。
「ふううっ!」
 矢じりの下に走り込み、追い越し……。胴をひねり、時間差の一本も叩き返した。


 三度の大矢をしのいだ。僧は関節を回すだけして、また走り始める。
 教祖の攻め方。僧は、人間の使い手を手がかりに、考える。腕が多い、射程が長い。それでもこれは、一人の弓だ。
 流れる教徒たちの顔は、混乱の中にある。大矢が当たらないと、標的が獣だと証明されない。もし獣でないなら、重罪ぶりも。彼らの理屈がおびやかされていた。
 それらも置き去って、僧は檻の一つへ。

 横組みの丸太を、ぼこん。僧は蹴り抜いた。軸足の木材がきしみを上げる。檻を背に立ち、脱獄する囚人を待つ。
「ありがてぇ。……どうすれと!?」囚人が聞いた。
「虫が居らぬ方へ!」僧は言い残して、次の檻へ。



 教徒の波の中を、僧が走り抜けていく。捨て場の一揆衆たちは、ほとんど顔を出して見ていた。

「凄ぇな、あれはまあ」熱のこもった声。
「……凄いのは良いども、坊ん様はどこを見れと言うんだべ?」一揆衆の若者が、仲間たちを振り返る。
「あいつ、ムスッとするばかりで肝心な所教えてくんねぇしよ。何考えとるかサッパリだ」娘が僧の性格を言った。「つくづく、お地蔵さんみてぇだ」

 聞いていた一揆衆が、娘を指差す。
「それだ。お地蔵様だっただ!」多数のうなずき。「……話してくんねのは、何とでもなるからでねか?」「道理で、矢からも嫌われとる」「千手教のことも、ちょちょいで片してくれるんだべ。おらたち、お役御免なんでねのか?」

「うーん……違ぇと思うな。さっきもよ……『大して強くもね』、んだと」話を戻す娘。
「……強くも無ぇのか?」意外がる一揆衆。「だって、人間だど?あんなの長くは続かねぇべ。……だから、何かしらの意味はあんだ」「何かって、なあ……」

 一同はまた、うんうんと悩む。


「あ……もしや」山全体を見比べていた者が言い出す。「集まって来とるのか」
「何がだ」「人」皆で行き交い、あらためて外の様子を見た。
 教徒たちは、最初は均等に散らばって処刑を手伝っていた。今は僧の方角に片寄ってきている。他方では、まばらな射撃の中を、囚人が下山していく。

「ただ、坊ん様を射るためで無くてか?近いだけ当て易いべ」「……うんにゃ。虫の不死が並んどるな」また別の一揆衆が指摘した。
 教団の中には、ちらほらと虫眼の教徒が混じる。そして虫眼たちは、大よそ等間隔になって並んでいた。まるで、伝令の馬を走らせるために、線状に駅を設置してあるように。
「「「んん……?」」」ぎゅうぎゅう詰めになった一揆衆たちは、視点をずらしていく。虫眼たちの網の中心に、ちょうど教祖の壇があった。


「……教祖のやつ、子分が見てねば見えねんでねか?」娘がぽそりと言った。

 その他の全員が、電撃的に動く。集まって確かめ合う。周囲を見張る虫眼もまた、今では出払っていることを。



 囚人を全て解放し、あるいは射殺され、僧は目的を変えた。目指すは、教祖の居る壇。しかし、その手前で立ち往生となった。
 僧の周りに、円状の包囲ができていた。僧は休みなく矢を落とす。人垣の一点を突き破りに行ったが、円ごと追従され、または射撃の厚みが増した。多少の被弾を耐えても、すぐに中心に戻されている。
 鳥居の先の壇は、目前に見えて、途方もなく遠い。


 僧は射撃間隔を測り、杖を下ろす。
「問わせよ!」と、叫んだ。
「……申さば、申せ」閉じた幕の向こう。姿見えない教祖が答え、いちど矢を止めさせた。


「法主殿の射ちぶりに、覚えあり!俺の同門、寺よりった先遣者じゃ!いやしくも教団の主が、骸の腕を奪うを良しとするか!?」
 人間の教徒が、流石にどよどよとした。虫眼たちは無関心だ。

「ぷっふ。何かと思えば……」
 教祖が吹き出したのが聞こえる。
「これは我が腕。隠しもせぬ」幕の切れ目から、矢握る手が出た。袖をまくり、接着痕はない。


「……ならば目の玉を食ろうた次第か、不死よ!」僧は二度問うた。
「くく。そうまで知りたいか?」教祖が幕をめくり、壇上に出た。白頭巾をゆるめる。

 すこん。振り返った教徒が矢を受け、有無を言う暇もなく絶命した。


 現れた教祖の顔。
 その顔を埋め尽くす、ただ一つの目。いや……、部分部分では、人の目、猛禽の目、猫の目……。異なる目玉を無秩序に敷き詰めた、複眼だ。おぞましい不死の形相である。

 しかし、他でもなく僧には、恐れるほどの光景ではない。
「……お前は……!」その僧を棒立ちにさせたのは、不死の顔の下。少しだけ残る、生前の顔立ちだった。

 小さな口が動く。
「呼ぶな太郎冠者。ここを、ぼろ寺の稽古場と思うなかれ」
 教祖がまた矢を取り、ゆっくりとつがえる。

「……前生ひと昔。我は千手教が開山、千眼せんげんなるぞ」
 威厳をまとう言葉とは裏腹に、無数の黒目がぎょろぎょろと動き回った。見ているのだ。全方位を同時に。


「次郎っっ」びゅわん。
 僧が言い終われないうちに、弦が鳴った。

 僧の右肩がとっさに杖を振り上げ、左手が支え持った。杖の真芯で、迫る矢にふたを。それから、最小限のぶれを与える。
 こ!快音を残して、矢が脇道へと跳ねた。

「侮ったり。ものの一矢で……!」僧はひとっ飛びに、参道を駆け上がる。
「されど、一矢」教祖は幕をくぐる。

 突然。僧の世界の半分に、生ぬるい血がぶち撒けられた。僧の足がもつれ、失速する。僧が目にやった手は、湿った矢じりに触れた。とたんに頭を、痛みが貫く。地面には金属質――僧の血の色が、点々と落ちた。
 僧は遅く理解する。受け流したはずの矢が、顔の横側を破り、目の穴から前へ貫通していた。……しかし、弓音は確実に一つ。一発の矢が二度襲った。


 また走り出そうと、足踏みするだけの僧。教徒たちが狙って、矢を溜め続けていく。一斉射撃が近い。
「のう太郎冠者。貴様もいっぱしに、手勢を引き連れておったろう。どこへしまい込んだかな?」
「ならぬ」「……射当てて進ぜよう!」
 弓弼が唸り、空に大矢が流れる。山の反対から、石像群の崩落音が伝わってくる。


 僧の世界が、ぐらつく。
 教団が、無数の目が笑う。教祖一人の意のままに笑う。「ははは、呆気なや……!地獄に仏があるものか。救いは不死と知らしめん……」教祖の声が遠くなる。
 声が?僧自身の気が。遠く。


 僧は手のひらを握り、開く。まだ動かせる。

 その手を、左耳のあったあたりへ。掴む。矢羽を。当然に、痛みがともなう。
「呼ばいでか……」
 僧は腹に力を込める。矢を逆向きに……引っこ抜く!
「……呼ばいでかぁ、次郎冠者!他の手を引くべき坊主が!何を迷い出ておるか!」
 片目の僧は、敵越しに叱り飛ばす。飛び上がった矢を前に、構えを取り直した。



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坊主が妖怪に毒を食わせて殺す話

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