川下り


前半

―――――

 くらげははしを取り落とした。くらげの左の手が、震えている。家主の村人が、助けに入ろうとする。
「それには及ばぬ」
 くらげは家主を止め、己で箸を拾った。

 横でお花が、くらげに問いかける。
「な。そっちの手は、何した」
 お花が言うのは、くらげの右腕だ。茶碗を支えているその腕は、生身のようでいて、違う。肌には木目が入り、肩と肘の中間で、そでが膨らんでいる。茶碗を持つ時は、左の手で、手首を回したり指を折って、持たせていた。右手で箸を使おうとはしない。
 くらげが問いに答える。
「……もげた。替えの支度はしてきたゆえ、付け替えたまで」

 お花はそれを聞くと、箸先を噛んで固まった。ばあやの件があってしばらく、お花は悪夢から覚めたような様子でいた。周囲の者も、お花に、多くを語らなかった。お花はしょげて言った。
「いけね。おら、ずけずけ聞きすぎたな。忘れて下んろ」
「俺のことはよい。とかく失くしたきりが、世の習い。なくしても戻るは、不死ばかりじゃ」
 くらげが淡々と言って、飯を食いに戻った。


 お花は煮豆をつまんで、くらげに差し出す。お花は口に笑顔を作った。
「こっちさ向け」
 くらげが呼びかけに応じて、これらに気が付いた。
「見れ?お前よりおらの方が、うんと箸が使えるだ。んで、んでよ……」
 お花はそこで言いよどむ。笑顔だけが残った。

 くらげは、豆を見つめて、しばらくぽかんとしていた。それから大きく笑い飛ばし、家の者に話を振った。
「おかみさん。ここに箸の名人がおった。おかわりをさせてやると、見物みものじゃろう」

 お花は口を引き結ぶ。
「何だべ、せっかく。何だべ」
 口をとがらせたまま、お花は二杯目をもらった。


///

 烏の群れが、水面にたかっている。舟が近付くと、烏は飛び立つ。後には食い散らかされた死体が残った。船上の僧は、すれ違いにお経を上げた。

「カア」「カア」「カア」「いつまで~」
 僧はぎくりとして、空を見る。
「カア」「カア……」
 烏のどれかが、確かに人語で鳴いた。凶事であった。


 船頭がぽつぽつと僧に話しかける。
「わざわざ舟に乗りてぇなんての、もう坊ん様だけだ。誰もフケェノにされたか無ぇものな」
「何事じゃ、それは」聞き返した僧は、通り名をくらげという。

 船頭は説明した。
「知んねぇのけ。深ぇのフケェノと言や、シナズの事った。川のシナズは深みに住むすけ、おら達ゃそう呼ぶ。……馴染みがねぇなら、淵の不死とか呼んだらええ」
「わかった。淵不死ふちしなずと呼ぶわ」くらげは返した。

 船頭は、岸辺や岩をひょいひょいと避け、語り続ける。
「この川をば下っと、恐とろしいふちがある。ただでさえ流れが悪りくて、物を引っかける所だ。……いつだか、その淵に、鎧武者が落った、つう。フケェノが出よるのは、その頃からさな」
 くらげは己の積み荷に触れたり、義手のねじを加減している。船頭は構わず続けた。
「やつらの中には、知った顔もおる。だども、なんぼ聞かしても、もう陸には戻って来ね。別物だっぺ。しまいに、取って食われちまうだけだ」


「その考えでおってよい」
 くらげは保証するように言った。少し考えて、くらげは聞く。
「賊が川を荒らしている、とも聞いた。もしや、同じ話か?」

「んだ」「んだな」
 漕ぎ手の二人が、暗い調子でうなずいた。


 くらげは話し、聞き出した。船頭たちは、北の山間と南の河口を結び、交易品や旅行者を運んで生活している。淵に住む不死は、近ごろになって川伝いに勢力を広げ始めた。この三人組は、貢ぎ物を差し出して逆らわなかったが、殺された同業者もいる。くらげの滞在する村には、同情するが、何もしてやれない。そうした話であった。
 くらげからも、別の不死の群れについて、知りえた範囲で教えた。そうこうするうち、行く手に淵が見えてきた。


///

 淵は底なしに黒く、こもった臭いがたちこめる。浅瀬には、漁をして立つ人々がいた。くらげはその姿に、目を奪われた。
 髪は落ち武者のよう。頭の上に毛髪がなく、奇妙にへこんでいる。顎にはくちばし、胴には甲羅、尻には尾。全身は、苔とうろこでびっしりと覆われている。考えるまでもなく、不死である。

 淵不死たちが、流れに網を張っている。くらげは笠で目元を隠しつつ、舟の漕ぎ手にたずねる。
(あれらは何をしておる)
(むくろだ。むくろが目当てだ)漕ぎ手は振り向かないで答える。

 くらげは顔をしかめ、また問う。
(何を取ることがある。このような場では、むくろはおのずと起き上がり、不死の輪に加わるじゃろう)
(取られとるのは、むくろの中でも、死んですぐの者だ。尻からわたをぶっこ抜かれ、ばくばく、ばくばく……。ああ。口にすっと、おらまで祟られっぺ)
 漕ぎ手は肩を震わせ、黙ってしまう。


 広い淵を、くらげたちの舟は渡ってゆく。岸には舟が繋いである。人から買った品であるという。時々、新鮮な死体がかかったためか、水音が響いた。

 流れ着く死体には、淵不死も混じっている。どの者も矢で仕留められていた。漁をする淵不死たちは、それらも取り、共食いをした。
 もう動かない淵不死が、ちょうどくらげの近くに来る。くらげは死体をつぶさに見る。特に、矢の当たり所を。

「は!」
 くらげは、とっさに笠を立てる。水面の鏡に反射して、くらげを見る者がいた。


///

「何用か」

 淵不死が声を発し、水面を滑ってくる。
「我は水軍頭領、河 童左衛門かわ どうざえもん。我を背負うは、海道一の早鮫、佐比持丸さいもちまる
 確かにその股の間には、さめの背びれが突き出ていた。川の怪、その親玉による、直接の名乗りである。

 船頭が恐れ入り、すぐに舟を止める。
「おら達は、見ての通りの船頭だす。関所料だば、秋口に納めました。ちっとも、やましいことはねぇです」
 船頭は通行証を出し、腰を低くして言った。


 くらげが茶碗を船底に打ち付けた。そこへ童左衛門が、鮫を近寄せて問う。
「……どうした。うぬとて身分があろう」
「俺は……」
 くらげは言いかけて言葉を切り、船頭と顔を見合わせた。くらげは童左衛門に向き直って言う。
「法師、くらげ。お前さんら不死を一掃するつもりじゃから、心せよ」
 聞いていた船頭が、苦い顔になる。


 童左衛門はくちばしをぱかりと開けた。
「うははは。それは、足労痛み入る」
 童左衛門は軽く礼をした。

 右手の三叉槍が水平まで持ち上がり、小脇に収まった。
「……是非にこの槍の先にて、ゆるりとしてゆかれよ
 黒鮫が音もなく走り出す。くらげたちの小舟は、急ぎ、淵を抜けた。


///

「えんやー!」「こーら!」「えんやー!」「こーら!」
 左右二人の漕ぎ手が、死に物狂いでかいを回す。

 川上には、その追っ手。先頭の童左衛門に、ぞろぞろと淵不死の舟が加わっていく。川幅を埋め、くらげたちを間違いなく捕らえるつもりだ。
 童左衛門が鮫の腹を蹴る。
「いざ」
 その下で黒鮫が身をくねらせ、加速した。


 逃げる小舟の後ろ側では、くらげが立ちはだかる。童左衛門が身を乗り出すようにして、しかけた。
 くらげは突きを、飛び下がってかわす。いや、かわしきれなくて、ほほの肉を削がれた。槍がすいと引かれ、再びくらげを目がける。
 今度はくらげは、槍の先を見つめていた。危なく目の穴に入る寸前で、槍が上にぶれた。くらげの手が柄をすくい、掴んだからだ。

「喝」くらげは己を叱る。
 くらげは知った。童左衛門の前のめりな突き方は、小手先の挑発ではない。洗練された殺しの技だ。胴体の不気味なほどの安定が、突きをどこまでも伸ばし、いつまでも変化させる。一方のくらげは、暴れる足場に慣れなければならない。


 くらげは槍を奪おうとする。童左衛門は防ぎ、鮫に合図して、道を空ける。川上から影が泳ぎ来て、くらげの舟のへりに、べたべたと取り付く。水かきある淵不死の手が。
「坊ん様ぁ!追っ払ってけろ!」
 その側の漕ぎ手が悲鳴を上げ、櫂を取り合う。

 童左衛門が槍を引く。くらげは相手の力を利用して、飛び蹴りをぶつけた。鱗の腕が固く防ぐ。くらげは蹴り、岩を踏んで、舟に戻った。くらげの着地によって、舟が振り回される。まとわりついた淵不死たちは、岸壁にこすられて離れた。


 川が東に蛇行する。流れは急になった。
「次!攻め続けよ!」
 童左衛門が号令し、川上に去っていく。
 くらげは義手に握らせた杖で、童左衛門を背から殴りつける。義手に難しいからくりはなく、残るくらげ自身の肩が振り回す。だが、童左衛門の背にさっと槍が回り、くらげの攻撃をはじいた。
「下らぬぞ」童左衛門が目もくれないで言い、船団の中に下がった。


 ざざざざざ。
 童左衛門と入れ替わりに、二艘の舟が川下へ進み出る。どの舟も武装した者であふれ返っている。

「そりゃ!」
 くらげは積み荷の米俵を背負い、敵の一艘へと投げ込んだ。船頭が見とがめる。
「な、何しとる!」「足を、速くじゃ!」
 くらげが答え、もう一艘に対してもぶん投げる。

 童左衛門の声が飛ぶ。「権兵衛!」
「ははっ」応答とともに、米俵が破けた。その後ろからは、刀で切り上げた淵不死が出てくる。

 童左衛門の命令が続く。
「そこな坊主は、まずまずの手並み。ぬしらで殺し、稽古の足しにせよ」「合点しやした」くらげを見る淵不死の黄色い目が、きゅうと細まった。


 くらげはまた米俵をぶつけた。権兵衛が切り払い、その舟はくらげの目前にまで近付く。
 くらげは小ぶりな材木を投げつける。権兵衛は切り払う。だが、刀は木の芯で止まった。切り慣れていない物を乱暴に切り、刃がなまったのだ。くらげは勢いづいた。くらげが杖で、繰り返し打ち込む。木を食ったままの刀がべこりと曲がると、権兵衛はそれを捨てた。
 くらげは権兵衛を蹴倒しにいく。蹴られた権兵衛はがに股で耐え、不安定な船上で、びくともしない。くらげはもっと体重をかけたが、同じことだった。

 くらげははっと我に返る。権兵衛の張り手が、くらげを迎え撃った。


 横っ面をぶち抜かれたくらげは吹き飛び、漕ぎ手の背と激突した。舟が揺れる。

 くらげはよろよろと立ち、己の頬を確かめるように叩く。
「……刀よりかは、相撲が得手か。大将殿とも勝手が違う。お前さんらは、生粋の武者ではないな」
 くらげはそう言って、周囲を見渡す。くらげの舟の漕ぎ手は急ぐが、追っ手の二艘に挟まれつつあった。

 槍や刀を持った淵不死たちが、次々に言い返す。
「ならば何とする。お前はこの為五郎に、二つにされるのよ」「否。おらが斬るわ」
「おらが一番!後の出番はねえぞ!」先の相手、権兵衛が言う。権兵衛は隣から刀を引ったくり、くらげの舟に飛び込んできた。


///

 権兵衛は、刀で横なぎにする。くらげは太い材木を立てた。権兵衛の刀がためらい、くらげと漕ぎ手を直撃していく道から外れた。
 権兵衛は刀をひねる。くらげは義手を大振りに引く。その木製のひじは人体の可動域外に折れ、一動作のうちに、権兵衛の両目に杖を叩き付けた。

 権兵衛は目を押さえ、叫ぶ。
「があ!見えねえ!」
 権兵衛は、当てずっぽうで刀を振り回す。船頭たちは舟の前へと詰めた。くらげは敵の動きを見極める。くらげの袈裟けさは鎖仕込みであり、多少の切り付けならば無視できた。刀が船べりにめり込んだところで、くらげは上から踏んづけた。

 くらげは材木を見繕い、投げ当てる。くらげの杖と似た材木だ。権兵衛は見えぬままに、喉を掴みにくる。だが、喉輪はただ空を切った。反対にくらげは、権兵衛の首を左腕で引っかけた。
「むん!」
 くらげは踏ん張って、権兵衛を放り出した。小舟がぐわんぐわんと揺れる。


 両側に舟をつけた淵不死たちが、息を揃え、くらげの居場所を突く。
「「「ようも権兵衛を!」」」
 くらげは跳ぶ。槍の一本を打ち落とし、橋に変えた。舟を移り、槍の持ち主を蹴り出す。くらげは刀に同士討ちさせ、または槍を味方につけ、船中を乱す。

 しかし面妖なことに、櫂を持った敵が見つからない。
「……下か」くらげは独り合点で言った。
 淵不死は、泳ぎに長けていた。恐らくこの舟は、水中で動かされている。これでは、操縦者を倒して制御不能にしてしまうことができない。


 船頭たちの舟は、川下へ急ぎ、水軍の包囲を抜け出た。
 淵不死が、くらげに槍で切り付けた。くらげは杖を支えて受け、肉の肘で殴り、敵の脳天を割って黙らせた。川が下り坂になり、舟が揺れる。
 宙に浮いたくらげの足首を、何者かが捉えた。船員はあらかた倒し尽くされた後である。濡れた手は、舟の外から伸びてきていた。

 その淵不死は、顔の上半分を川から出して言う。
「この際、やりようは選ばぬわ。ぬしを殺す」またもや権兵衛であった。
 権兵衛が泳ぎながら、くらげを川へ引きずり込もうとする。くらげは抵抗したが、足場が悪い。力比べも、権兵衛が如実に上であった。

 くらげは権兵衛を打ちまくった。権兵衛は腕の鱗で頭上を塞ぎ、引きずりを強行する。
 くらげは悟った。権兵衛を五分で倒せるかもしれないが、止めることはできない。次の相手に水中でやられるだろう。くらげは殴るのをやめた。


 くらげは法螺貝ほらがいを取り出し、吹いた。
 ぶあうううう。あたりを騒音が満たす。

 淵不死たちはどよどよとし、警戒した。だが、一向に伏兵のようなものが戦いに加わる気配はない。
 くらげに、権兵衛が問う。
「助勢も無くての、こけおどしか」
「何を言う。元より、俺には敵のみぞ」くらげは答えた。
 権兵衛は笑って無視し、またくらげの足首をずり動かす。


「権兵衛よ」そこへ川上から、童左衛門の声が飛んだ。
「寸刻お待ちを!」権兵衛は、いら立って返事をした。

「勝負あった。うぬの負けにて!」童左衛門が沙汰さたを下した。
 無論、おいそれと引き下がるような権兵衛ではなかった。
 だが、くらげの耳には、遠くの音が聞こえていた。ついに権兵衛も、そちらの空を正視する。くらげを拘束する手がゆるんだ。

 東方から来る轟音は、怨嗟の声が幾重にも重ねられたものである。
「「「「「我が首いずこにおれのくびぃ~」」」」」


 直後。大量の生首が、川に着弾する。それは、瀕死の者があると知るやこれを襲って介錯する、ふんの数珠首である。左右の岸壁が貫かれ、吹き飛んだ。

 鋭利に乾いた背骨が、暴れ回る。数珠首が、場に居合わせた者の首を、見境なく掻き切っていく。
「頂戴ぃ」「頂戴ぃ」「頂戴ぃ」「頂戴ぃ」「頂戴ぃ」
「……抹香臭しぼうずだな」くらげを襲おうとした首だけが、異なる言葉を発した。応戦しようとしたくらげが驚く。首は標的を変えた。

 ひとしきり暴れた生首たちは、魔の城に引き上げて行く。何十体かの淵不死とともに、権兵衛の首も、その列にぶら下げられていた。


―――――

後半

―――――

 童左衛門の槍捌きがある。くらげの左耳がちぎり取られ、血が垂れた。
 再び、くらげは人間の舟に立ち、にらみ合いになっていた。川上には、船団を後ろにした童左衛門。こちらも、くらげを追い続けている。

 童左衛門が率いる部隊は、刎公の襲撃を受けても、その半数を残した。そして川と川が合流する時、別の部隊によって、減った半数も補充されてしまったのだ。負傷した不死は、水死体を分け合い、じくじくと四肢を取り戻している。
 逃走者と追っ手は、ずっと南に下り、刎公の縄張りから出ていた。


 くらげはぼやく。
「うむ。手強い」
「当ったりめだべよ!乗せるでねかった!何考えとるだ!」舟の先に立った船頭が、流れを選びながら抗議した。

「不死と折り合って生きるなど、当たり前では……」
 そこまで言って、くらげはまた突きをかわす。そして気付く。童左衛門が突進を止めない。つまり槍の次に、本命の攻撃を残していることに。

 くらげは間を稼ぎつつ言った。
「お前さんら。舟を捨てよ」
「あんだってえ……」「死ぬぞ!」くらげは妨害を諦め、漕ぎ手たちを無理にでも立ち上がらせる。

 童左衛門騎が、くらげたちの舟に至った。水面を割り、鮫のとんがり頭が、ぬらぬらとせり出してくる。鮫は赤い口で、小舟を深く咥え込んだ。


「ばらせい!」
 童左衛門が命令する。くらげたちは川へ飛び込む。

 鮫の不死が、舟ごと回る。船体が水面を叩く。回り、回り、鮫は速度を増し続ける。川は荒れ、底があらわになるほどに、さんざんに波打った。鮫が満足した頃には、小舟は弾け飛んで消えていた。


///

 木っ端に変わった舟と、逃げた人間が、川面を漂う。くらげだけがそこに居ない。童左衛門は、槍先に残ったくらげの耳を、水中にひたす。鮫が反応する。

 童左衛門が足でけしかけると、鮫は浮遊物の中へと突っ込んでいった。船頭たちはあっぷあっぷとしているばかり。鮫は、彼らには見向きもしないで、浮かぶ袈裟を選んだ。童左衛門は袈裟を追い抜きつつ、その持ち主を一突きにしてしまう。
 童左衛門は小さく舌打ちし、叫ぶ。
「歯応え無しめが。くらげの姿串、一丁上がりよ!」
 童左衛門は人一人を持ち上げ、不死の軍団に見せつけた。


 水軍の一体が上を指差す。
「お、お頭!」「何?」
 童左衛門自身も、槍先をにらみ上げた。袈裟を着せられていたのは、どこの誰とも知れない死体だ。くらげのものではなかった。

 そこに声がする。
「坊主憎けりゃ袈裟まで。隠形 空蝉おんぎょう うつせみ」「「「!」」」
 淵不死たちは一斉に声のもとを振り返る。そこは川下、支流の始まりであった。声の主は既に姿を消し、波紋だけが残っている。

「……面白い」
 童左衛門が低くつぶやき、死体を捨てる。下の鮫がしぶきを立て、死体を水中に引きずり込む。童左衛門の怒りを表すように、流れが血に染まった。


///

 くらげは滝の手前で、岩にしがみ付く。滝は高い。船団がくらげを追ってくることはなかった。いかに不死といっても、ここから落ちて無事では済まない。くらげは岸辺へと泳いだ。

 突然、水面が泡立ち、光るものが飛び出す。槍である。
 槍は、くらげの右脇腹を突き、肉を引っかける。攻撃者とくらげは、もろともに滝から落ちた。


///

 空と崖が遠ざかっていく。滝の水滴が止まっている。

「ふんっ」くらげは空中で身をひねり、槍を引き抜こうとする。
「させじ」童左衛門は逆に、もっと体内へ突き立てようとする。
 くらげは血を噴く。槍には返しがあり、くらげを捕らえて離さない。くらげは杖を振り回し、童左衛門の握りに当てた。槍を押し込む力が、一瞬弱まる。
 くらげは己の肉ごと、槍を蹴り抜いた。さらに、真下を向き始めた鮫の体を、くらげは駆けのぼる。槍を下へ送り、童左衛門とすれ違う。くらげの足首を冷たい感触がかすめる。くらげは振りほどき、童左衛門の甲羅、鮫の尻を蹴って、跳ぶ。

 くらげの顔を、滝の水滴が乱れ打つ。

 くらげの体は、水切りのように川面を跳ね、着水した。


 川から、くらげが顔を出す。滝壺には、まだ水柱が上がったままだった。くらげは滝を後にして、泳いで逃げた。

 しばらくすると、水音がくらげにつきまとい始める。くらげは息をつぐ時に、川上を見た。
 やはり音は、鮫と童左衛門。二体の不死であった。童左衛門の甲冑は砕け、全身に青筋を立てている。口には人の臓物をほおばり、落下の傷を癒やしていた。

 くらげは足で浮き、待ち構えた。童左衛門騎が二者一体で突く。くらげは吹き飛ぶ。が、槍を右脇に誘い込んで、挟み取った。童左衛門は得物を取り返そうとする。くらげは左手も絡ませて、離さない。童左衛門が手を一つ自由にし、拳を作る。

 鮫の速度ががくんと落ちた。童左衛門はぎょっと目を見張る。くらげが体で隠していた、川の中州なかすに気付かされたのだ。


///

 くらげは槍を離してやり、自ら中州に落ちる。黒鮫が行き場なく、中州に打ち上がる。

 ――いや、打ち上がらない。水面下に隠されていた、鮫の腹。そこに生えていたのは、ひれではなく、四つ足であった。とかげのごとく腹這いとなり、鮫は中洲に上がる。
「ひれ伏せ!佐の字はおかをも泳ぐぞ!」
 童左衛門が叫ぶ。彼らは勢いをそのままに、高低差の優位を得て、突進してくる。


「いかん」
 当ての外れたくらげが、冷えた体を引きずって逃げ惑う。

 槍が降る。くらげは体を引っくり返す。
猪口才ちょこざい!」
 また、槍の穂先が降ってくる。くらげは転がり、逃げる方角を変える。
「あ猪口才!」
 獲物のくらげを追い、槍が突き刺す。くらげは這って進む。
「猪口才猪口才猪口才猪口才!……是皆全く大猪口才!」
 左を刺されば、くらげは右。右を刺されば、くらげは左。童左衛門の突きは、突く度に鋭く、そして幅を狭くしていく。くらげはもはや手一杯。行くことも戻ることもできない。

 どす。
 くらげのはかまを、槍が縫い止めた。くらげの上に、鮫がのしかかってくる。黒い頭が横に裂け、のこぎり歯がのぞいた。

 ぶち。
「ぐあっ……!」
 くらげは絶叫した。一噛みで、くらげの左足がかじり取られた。
 くらげは心を無にし、痛みを抑え込もうとする。そう、くらげにとってはこれも、望む所であった。くらげがその身を食わせれば、不死の怪を退治できるのだ。


 鮫が口をもごもごとさせる。童左衛門が鮫を、ぺしりと叩く。
「これ佐の字。げてもの食いはよせ」「何……?」
 くらげは聞き捨てならないで、見上げた。


 童左衛門が、笑いながら凄んだ。
「なんぞ物問いたげゆえ、お教えする。水軍郎党に広まっておるぞ。はぐれのシナズが肉にあたり、くるくる踊って死んだとか。不死身の我らには、由々しき噂よな」
 童左衛門の槍が、くらげの右腕を小突く。
「……して。うぬは、義手に慣れておらぬな。誰ぞに食わせたか?」

 くらげは背筋がざわっとする。童左衛門は鮫越しに、ますますくらげを責め立てる。
「どうした?手の内を言い当ててしもうたか?やけに神妙であったな?まさかこの童左を、一度ならず二度までも、頓智とんちにかけんと、しておるか?」
 胴体をしつこく押し潰され、くらげは声にならない声を上げた。

 鮫が頭をどかす。くらげはなんとか息をつける。童左衛門のぎらついた瞳が、くらげのへその付近をさまよう。
 そのつぶやくのが、くらげに聞こえる。
「……尻子しりこは食いたい……、不死身は惜しい。おっと」
 童左衛門は口の端を拭いた。鮫が口を開け、何かをぼとりと吐き出した。よだれで汚れた足先である。


 くらげは地を掴み、体を引っ張り上げる。
「ぐ、お、おおっ…………!」
 あと少しまで行くと、鮫がのそのそとふたをする。くらげが抜け出せることはなかった。

 童左衛門が槍を持ち上げる。
「うははは。骨なし坊主が、よく手こずらせた。さてもあっぱれ」
 そう言うと、頭上で槍を二回し。くらげの喉元へ、突きの形に構える。水かきの張った手が、槍の柄をぎゅうと締め付けた。

「死ね」


///

 童左衛門は突けなかった。その槍が少し落ち、持ち直される。くらげの見ている前で、何度もそれが繰り返された。
「ぬ……?」
 童左衛門は唸った。くらげはその下で、無言のうちに答えを得ている。槍ではなく、鮫の背が沈み込んでいるのだと。童左衛門は鮫を案じてか、もいだ足の方へ、ちらりと顔をそむける。

 くらげはこの機を逃さなかった。鮫を蹴ってみると、打って変わって、ぶよぶよと力ない。くらげは容易に飛び出せる。

 童左衛門は姿勢を崩されることなく、振り向きざまに突く。槍先と、中洲の石が、固い音を立てた。


 童左衛門は敵を見失い、顔を上げた。その目が血走って、左右を探す。童左衛門はさらに顔を上げた。その額を影が通過する。
 くらげは跳躍の到達点で、童左衛門の焦りを見ていた。くらげは回る。童左衛門は、槍を――

 ――ばしゃん。童左衛門の頭の皿を、血まみれのひざが割った。


///

 くらげは立て膝をついた。正しくは、立っていられなかった。もし膝まで取られていたら、蹴りを打つことも許されなかっただろう。

 童左衛門の体がずり落ち、地を打つ。くらげはその身ぐるみを剥ぐ。ひもを得て、片手と歯を使い、傷を締めた。

「……待て、坊主……」
 童左衛門がうめいた。くらげは、我先にと槍を取る。

 だが童左衛門に、以前の気迫はなかった。皿を失い、全身から水気が抜けつつある。くらげは、淵不死の弱点が頭の皿にあると、察しを付けていた。どうやらそれは正しかった。

 そんな童左衛門が言った。
「手向けに聞かせよ。佐の字がうぬを取り逃がしたこと。何ゆえか……」
 鮫は、主人の横で果てていた。体を守る粘液に、金属質のつやが出てきている。


 くらげは息が整うのを待ち、答えた。
「……鮫の食った袈裟を覚えておるか。あの中身が、お前さんも聞き及ぶ所の不死。そのむくろじゃ。俺の腕一本が、不死の十や二十は倒す」

「……」
 童左衛門はもう、物を言えない。


///

 船頭たちは焚き火に当たり、体と服を乾かしていた。竹藪ががさがさと揺れる。船頭たちが見守る中、姿を現したのは、片足をなくした僧だ。船頭たちは目を火に戻す。


 僧は、槍を松葉杖がわりに、船頭たちの方に歩み寄る。僧も火を囲み、船頭たちに話しかける。
「大事無いようだな」
 船頭が、手を火にかざしながら、答える。
「……いんや。フケェノに囲まれて、死ぬ思いだ。どうにか、お前様に聞いたように、『おらたちは坊ん様に薬をもらった』と、声に出した。後はふんぞり返っとったら、なんだか知らねども、やり過ごせた。したって、舟も積み荷もパアだど」
 漕ぎ手の二人も、うんうんと首を振った。


 僧は言う。
「童左衛門のやつを葬った。川の上り下りが易くなろう。それで許せ」
 それきり僧は瞑想に入り、黙った。

 船頭たちは顔を見合わせた。うなずき合った末に、僧の前にちまきをそなえる。
 僧が立とうとして、施しに目を止める。僧はそれをふところにしまい、歩き去った。


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坊主が妖怪に毒を食わせて殺す話

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