はざまの村

 旅人が着いた村は、既にして荒れ果てていた。

 方々に、雑草の根付いた屋根があった。ねじ切られた、一艘の小舟があった。足の踏み場もないほどに矢が突き立ち、針山地獄の様相となった一画があった。全てが薙ぎ倒され、ぺしゃんこになった一帯があった。言葉に尽くせぬ破壊痕が、至る所にあった。
 東の地平に目を向ければ、黒い城。不吉な雲に巻かれ、そびえ立っている。あたりの荒廃の一因であろうことは、疑いようもない。


 旅人は人気のする家を見つけた。話し声は、大勢の者が差し迫った議論をしているものだ。寄合所のようである。

 旅人が戸を強く叩く。
「頼む。真砂宗本山、薬胆寺より参じた」
 家の中が一段と騒がしくなる。その高じた末に、がらりと戸が開いた。長老以下、場の全員が土下座して旅人を迎える。

「へ。ちょうど寄合の真っ最中でごんした。待たせた事はお許し願ぇますか。んで……」
 言った長老が、しわの刻まれた顔を上げた。
「あなたが、その?」「ああ。この地の厄を祓いに来た」
 旅人が答え、輪の中に腰を下ろした。場の半数ほどから、感心した声が上がった。

「……ハッタリこくでねぇど」
 戸を開けた娘が、入口で呟く。長老がぴしゃりと叱りつけた。
「何て、ご無礼を言いよる。おらたち一同、この坊ん様の他に頼るものがあるべか?」
 村人たちが口々に、長老の言葉を後押しする。

「無ぇ」娘が答えた。「そうれ見ね」
「違ぇんだ。坊んさんなら前も呼んだろ。で、他の助っ人と同じになったな。そんだのに、同じ寺から、また同じような坊んさん呼んだんでねぇのけ。こらいけね、同じ始末になっぺ。おらでも分かる」
「何……」
 皆の顔に、押し込めていた不安がありありと浮かんだ。


「あいや、もっとも。申し開きをさせてくれ」
 旅人が笠を取り、丸めた頭を露わにして、言った。
「率直に申して、寺は初め、事を甘く見ておった。先に寄越した小法師が、調伏半ばに往生遂げるは、必至。村にも無益の犠牲を強いたようだ。この不手際、詫びる他ない。すまぬ」「ははあ」

「しかし。ここまでの収拾に駆り出されたのが、この俺じゃ。もう安心せよ。いかなる不死シナズが現れようと、我が法力にて、ただちに退治てくれる」「おお、頼もしい事ってす」
 長老たちはまた、にわかに喜んだ。娘は割り切れぬ顔をしていた。

 僧は、餅や田楽などでもてなされた。村には残り少ない蓄えの一部だという。


「お前ぇもこっちゃ来て、暖まれ」
 いつまでも土間に立つ娘を、長老が輪の中へ手招きする。娘は長老の前に座った。長老は娘を撫で、僧に言った。
「このお花つう子は、身なし子でしてな。ふた親とも、シナズの奴らが取りよったのです。あんまりむごいことだ、っつんで、おらたち皆で見てきました。さっきはごねよったが、本当のとこは優しい子です。よろづ、お役に立ててお呉んなせぇ」

「何じゃ?」僧はなんとなく身構えた。
「年のころも十分」
 長老が、あくまで温和に付け加えた。

 村人は一様に押し黙り、固唾を飲んでいた。当のお花が皆を見回して、瞬きする。肝心な部分を承知していないのが、誰の目にも明らかだ。ぱちぱちと炭だけが爆ぜた。

 僧は呆れ返って言った。
「……俺は出家者ぞ。武者くずれを手懐けるのとは、仕方を変えよ」
「はて。何のことだべか」
 長老はとぼけ面でいる。僧は誰にともなく、言い直した。
「礼はいずれ受ける。ただ、三方よしの形でじゃ」


///

 さしあたりお花は、村を巡る僧に連れ添った。
「それは長者どんのお屋敷だ。銭こ全部投げ打って、刀に、力持ちに、わんさか集めとった。みんな死んだ」「そうか。供養しよう」
「あっこは墓地だ。おっ父やおっ母が住む。みんな死んどる」「じゃろうな」
「そいつは犬ころだ。生きとる」「元気が一番だのう」
 お花は草履を飛ばして、野良犬とひとしきりじゃれ合った。

 それにも飽きると、言った。
「おらは花だ」「聞いたわ」
 お花はぶう垂れた。
「おらが聞かね。坊んさんはなんだ」

 僧は顎を揉んで考え込んだ。
「名か。寺ではついぞ要らなんだ。くらげでどうじゃ」

 お花はくつくつと笑う。
「くらげ。くくく、くらげ。けったいな名だべ」
 お花は先へ先へと、走り出してしまった。
「やーい、くらげ!こっこまーで来ーなせぇ……」

「呼べ呼べ。悪くなし」
 その後ろを、僧はふらふらと付いていった。


///

 くらげたちは、村外れに着いた。
「ここはお団子ばあやの家だ。まず親身なやつだど。しかも、長さまより物知りだ」

「ほお」
 僧は玄関前で、いわくありげに立ち止まった。
「とまれ、よく聞いてみねばな」「?」


 煮え返った鍋。並ぶ藁座のうち一つに、髪をお団子に結んだ老婆が、縮こまって座っている。
「あんれまー。お客様かえ」

 お花が肉の香に鼻をひくつかせながら、僧を紹介する。
「こいつは新しい坊んさんで、くらげってんだ。己で言うには、たいそう強ぇんだと」「委細まことなれば」くらげは主張する。
「ならええがのー」

 お花は敷居をまたぎ、身を乗り出す。
「ばあや。坊んさんに、あたりに出るシナズについて教えたれ」「うん」
 お花は何かうずうずとしている。ばあやが気を利かせて言った。
「だども、遠慮はいんね。まずは、どんどん食ってけろ」「よし来た!」

 くらげは断りを入れる。
「すまん。俺は生臭を戒められておる。そっちの草粥をもらえるか」「難儀だなや」
 ばあやはよそってやる。「かたじけない」くらげは頭を下げた。


///

 くらげは聞いた。村は、三体の大物の不死に囲まれていると。一体は童左衛門どうざえもんなる、川の怪。一体は弓弼ゆみすけなる、弓の怪。そして始末に負えぬ一体が、ふんなる、首の怪。おのおの毛色は異なるが、これらはいずれも陣地を張り、下っ端の不死を山と従え、飽かず互いにせめぎ合っている。
 村の荒れ果てようは、決して攻め込まれたのではなかった。三体の縄張り争いが、時たま村の所在を巻き込むだけのこと。それだけで、激流に落ちた笹舟のように、いつ終わるとも知れぬ死と破壊に晒され続けている。大体そのような事情を聞いた。


 くらげは空にした自前の茶碗を、逆さに打ち付ける。碗をどかすと、さいころが二つ。くらげは粥をもう一杯、自前の茶碗に盛る。また掻っ込んで、聞いた。
「時に。ばっさまは、猪や狐狸をとらまえるのか」「とてもとても。この歳だもの」
 ばあやは笑って取り合わなかった。とんちんかんな問答であったので、お花もつられ笑いをした。
「犬を食う風習がおありか?」「してもえぇんだけど、お花が嫌がるでな」

 茶碗から顔を離した僧は、真剣だった。くらげの箸が伸び、鍋の中をさらう。
「うむ。では、これは何のつくねじゃ」
 お花がごとりと床に倒れる。鍋をたらふく食った後だった。
「……急くな、坊主」
 ばあやは言って、猫背をやめた。


///

 村外れの家が、内から弾け飛ぶ。土煙の中から、娘を抱えた僧が転がり出た。
「しっかりせい。食いしんぼが」
「しび……れとる」
 お花が青ざめて答えた。お花は、くらげのありさまを知って、瞳を揺らす。くらげは、馬手みぎての肘から先が消失し、鮮血が滴っている。

「……おめ……も……しっかりな……」
「俺はこれでよいのじゃ。しかし……」
 くらげは崩れた土壁に目を凝らす。図らずも、ゆらりと現れ出る小兵の姿がある。


 ちゃきん。ちゃきん。ちゃきちゃきちゃきちゃき…………。
 もぐらの如き大爪が、いやらしくこすり合わされる。
「ひっひっひ。逃げたおかずの声がしたぁ……」
 お団子ばあやが変わらぬ声色で言った。その異様なる本性は、まぎれもなく不死の怪の一体であった。

 お花が、熱に浮かされたように問うた。
「ばあや……なしてだ……」


「困ったね。若けぇものは、知らんのかえ」
 お団子ばあやは、自らの顔の薄皮を剥ぎ取った。般若じみた素顔が露わとなる。村の老婆を取って食い、なりすましていたのだ。
「昔は評判だったんだ。お団子にょうぼの、手にかかりゃ、お武家にお馬が、肉団子。ああ面白い、面白い、とよ。……ひ。ひひひ、ひっひっひっひ」
 ばあやが爪を閃かす。くらげからもいだ腕先が、見えぬ連撃によってみるみる削れ、空中のもう一点に綺麗に丸められた。ばあやの口は肉をかじる、血を啜る。骨の髄をしゃぶる。

「見ずともよい」
 くらげは、ばあやの化けの皮が剥がれる直前に、お花を荒っぽく寝かしつけていた。くらげが短杖を持って、お花の前方に陣取る。重心の差と浅くない負傷で、くらげの構えは揺れ動く。


 お団子ばあやは骨を放り捨てた。両爪を背に引きしぼると、
お鍋の具になんなぁーーーっ!!!!
 くらげたちを肉片に変えるべく、まっしぐら、襲いかかった。


 くらげは上段から打ち下ろす。ばあやは外へ回り込む。くらげは逆回りに蹴りで応ずる。ばあやはこれもすれすれにくぐり、突出した足を切り飛ばしに行く。くらげは握りをゆるめて落とし、逆手にした杖を突き下ろす。

 くらげの反撃は空を切る。ばあやは一呼吸早く退いていた。くらげのすねから、裂かれた巻き布がばらけ落ちた。

 ばあやは次の機をうかがう。
「えらく固い藁だねぇ。鎖仕込みかえ?」「切られては詮なし」
 くらげは声に疲れを含みつつも、間合いを取り直す。くらげは限界が近付いており、ばあやは決着を焦らない。ばあやにしてみれば、待てば待つほど、仕留めやすくなる一方だからだ。


 くらげは不規則な息を吐く。杖先が、がくんと落ちる。
 ばあやはどうと地を蹴った。

 その足がもつれる。
「おや」
 お団子ばあやはつんのめった。顔が、楽しみを邪魔された、といったものになり、すぐさま立て直そうとする。ところがばあやは、水に溺れるよう、いつまでも立ち上がれない。それは偶然のいたずらなどではなく、くらげのしかけ終えた罠だった。

 くらげは敵前で傷口を締めながら、語った。にじむ血は光沢を帯びている。
「旨々と食いおって。坊主は坊主でも、俺は薬坊主やくぼうずじゃ。行により、俺の体には仙丹がみなぎっておる。魔道に堕ちた者が口にすれば」
「ぎぃ、ぎぃやぁああああーっ!」
 お団子ばあやが、胸をかきむしって苦しむ。
「……冥土を巡る心地じゃろう」


「あな、おぞましや、おぞましや!」
 お団子ばあやは銀の血痰を撒き散らし、めちゃめちゃにわめき立てた。
「仏を担ぐ奴らの仕打ちがこれかえ!?金輪際、お前も楽には死ねまいに。進んで道連れ増やす、心が何より、おぞましい。寺を恨めえっ、生き腐り!」
「俺はよいのじゃ。育ての恩に報いるのみ」
 くらげはそっけなかった。


///

「……坊主風情がぁーっ!」
 お団子ばあやが末期の抵抗に出ようとした、その刹那だった。

 地平にそびえる魔の城から、ひっそりと放たれたものがあった。それは今この時までは、魔の城の最上階から城下へ、うねうねと垂れるに任されていた。これこそは、刎公が奪ったあらゆる首級の一覧にして、天をも恐れぬ悪逆非道の御旗にして、反乱ののろしを立ち所に吹き消す覇者の武器にして、奇怪な発達を遂げた背骨そのものでもある、刎公の数珠首に他ならなかった。
 首は振るわれた。呪われた領地に、轟音が走る。

 お団子ばあやの首が、すぽんと跳ね上げられた。

 遅れて突風が押し寄せ、くらげたちをてんでに引っくり返した。数珠首がびしびしときしむと、続けざまにもう一波。無数にぶら下がる生首のうち一つが、お団子髪を咥え取る。
「「「「「頂戴 い  た  だ  き ぃ~」」」」」
 全ての生首が唱和し、げたげたと湧いた。


 生首の行列に、返す波が立つ。
「あ、嫌だよっ。晒し首は御免だ。ひぃやあああぁぁぁぁーー……………」
 お団子ばあやの断末魔が、城へと遠ざかる。くらげたちにとっては、全てが瞬く間の、人知を超えた出来事だった。往来に残った、ばあやの首から下だけが、ぱたりと突っ伏した。


///

 くらげは身を起こし、頭を磨いた。刎公の猛撃の余波が、村の破壊を増していた。
「名をやりそびれた」
 くらげは地平の城を睨む。

 段差にもたれさせた、お花の体が、石に埋まっている。くらげは急いで掘り起こした。お花の後ろ首を上げ、気付けを試みる。
「おい!」
「……」
「お花。返事をせい」
「……」
 村人が騒ぎを聞き付け、なんだかんだと群がった。長老はひどく狼狽し、ただ僧に縋りつく。くらげは一通りのことはしたが、ばあやに盛られたしびれ薬の量も、先ほど受けた衝撃の強さも、推し量るより仕方がなかった。
「お花よ」
 くらげは、失った手で、安らかにと祈ろうとした。


 お花がうっすらと笑む。
「……なじょしたぁ、みんな。べそかいちまってよ」


<前 | 次>

ここから先は

0字

坊主が妖怪に毒を食わせて殺す話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?