草薙素子になりたいボーイ
僕の人生には事件が起きない。
そんな本のタイトルを書店で見たとき、かつて輪るピングドラムというアニメの中でペンギンの女王が放った「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というセリフを聞いたときの、胸のあたりがもやりとする感覚を思い出した。
成功者の多くは一回どん底に落ちて失うものがないから大胆な行動ができるとか、はたまたリスクをとっても大丈夫な環境が生まれながらにある(不幸なのか幸せなのかどっちかにしてくれ)とか、要するに「事件的」で「スペシャル」な何かが自分にはないから、いまいちピリッとしないんだろうなぁ的な。そんな深層心理にぬるっと触れられたような感覚。
ワナビー (wannabe)という存在がある。wikipedia先生曰く、
want to be(…になりたい)を短縮した英語の俗語で、何かに憧れ、それになりたがっている者のこと。上辺だけ対象になりきり本質を捉えていない者として、しばしば嘲笑的あるいは侮蔑的なニュアンスで使われる。
そう、曖昧模糊に「何者かになりたい!」という思いを持つことは、しばしばネガティブに捉えられる。だからこそ、ワナビー的な人を見るたびに「あ~」とか言いつつ、程度は違えど自分を重ね「自分はなんて矮小な考えに囚われているのだろう」「まだ何者かになりたいの?」「人と比べてもしょうがないよ」「アドラー心理学の本でも読もう」みたいな思考になる。(一応、自分の中では子どもが可愛いから、別に何者でなくてもいいやという結論は出ている。が、それでもたまにワナビーの罠にハマる)
でも、この言葉がスラングとして定着するくらいだから、多くの人間が通る道でもあるのだろう。
逆に「今の自分でいいんだよな」という感覚がある人間が世の中にどれだけいるのだろうか。きっと、多くの人が今の自分と違う自分になりたいともがいているはずだ。そして、そのためには事件(何かきっかけ)が必要とも。
・・・
それはそうと、僕は草薙素子になりたい。
強引にタイトルを持ってきてみた。
I wanna be Motoko Kusanagi.
英語で言ってみた。
・・・
「バトーとトグサはタチコマを連れてビルの屋上へ迎え」
「パズとボーマは地上入口から潜入」
「イシカワはビルのサーバーにアクセスして偽装ファイルを洗え」
「サイトウは狙撃ポイントで待機」
このセリフが田中敦子の声で聞こえたなら、僕はあなたと友だちになりたい。そう、日本が誇るSFのマスターピース「攻殻機動隊」の主人公・草薙素子が言いそうなセリフだ。
素子はあらゆる可能性を考えながら、物事を一瞬で判断し、即座に仲間に指示を出す。その指示のスピードと的確さたるや、僕が素子の部下なら指示を聞くことにうっとりとしてしまうだろう。すぐに動かない自分を素子が「なんだ貴様、早く行け」と罵るに違いない。
そのくらい、素子はカッコいい。その様に憧れて、職場で真似をすることもある。(向かいの席の人が苦笑している)
彼女がそこまで素早く決断できる理由は何だろうか。彼女の能力の高さももちろんだが、そこには仲間への信頼があるからだと僕は思う。
彼女が属する公安9課は、サイバー(電脳)犯罪などの捜査を主なミッションにしている部隊。政府の秘密組織であり、所属するチームメンバーは少数精鋭の実力者たちだ。
素子の指示の根拠にはもちろんその道のプロフェッショナルであるメンバーの実力を信頼している部分も多分にあろう。しかし、素子は決して数字やデータばかりで物事を判断する左脳人間ではない。(素子は全身を義体化している全身サイボーグだけれど)
むしろ、情緒的なことやユーモアを愛していると思う。だからこそ、彼女はゴーストの囁き(これって、今風にいえばハートドリブン?)に従うのだろう。
確かにトグサはよくトチる。それでも彼女はトグサに次の仕事を任せる。そこには、トグサの実力への信頼の上に、彼の思いや姿勢に対する素子の好感ポイントが上積みされているようにしか思えない。
つまり、「スキルや知識」には不安はあるけど彼という「人間」を信用して任せるということ。
ちょっと話を仕事に置き換えてみる。
きっと、世の中には人に指示を出したり、あるいは仕事をお願いすることも苦手な人がいると思う。自分もそうだ。
自分でやってしまうほうが早いとか、相手にやらせるのが申し訳ないとか、何かと理由をつけて自分でやってしまう人たち。そうして、自分の首を締めてしまう人たち。
まぁいいからとりあえず相手を信頼してみるというマインドを、一度持ってみるといいかもしれない。
信頼できない?
それは違う。信頼する度胸が足りないのだ。相手を信頼することは、自分の器の大きさのバロメーターなんじゃないかとも思う。
これは鶏と卵。相手が信頼できるまで待つような考えはやめて、自分から相手を信頼してみてはいかがだろうか。きっと違う結果が生まれてくる。
ほら、トグサもボーマも撃たれたりしながらも、なんだかんだちゃんと生きて帰ってくる。
少し話は変わるが、9課のボスである荒巻課長の言葉を最後に引用したい。
我々の間には、チームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。
ワンチームという言葉が流行語に選ばれたが、「チームのため」という言葉は諸刃の剣だ。個々のシナリオを通すためのロジックとして格好の材料だからだ。
言い返せないような正論は大体が暴力だというのが持論なのだけれど、そういう類のものに使われやすい。
だからこそ、9課のように個々がスタンドアローンで動くことの結果としてチーム力が生まれる。そのバックグラウンドにはお互いへの信頼がある。そんな組織やカルチャー、素敵だと思う。
攻殻機動隊を見て素子や荒巻のようなマネージャー、バトーやイシカワのようなプレイヤー、そして9課のようなチームを目指そう。
I wannna be Motoko.
We wanna be Section 9.
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