童謡「いぬのおまわりさん」に夫婦でツッコミを入れてみた
私には1歳の娘がいるので、童謡を歌って聞かせる場面も多い。
そのレパートリーの中に「いぬのおまわりさん」がある。
私の祖父はお金があったのかなかったのか分からないが、とにかく私を甘やかしてくれた。
4、5歳になるまで、祖父宅に泊まる日には必ずリビングにあったカラオケセットで歌った。
子どもが歌う童謡の入った大きなディスクを祖父が機械に入れてくれて、マイクもつないでくれる。
私は両親と祖父母、弟と妹をお客に熱唱したものだ。
その中に、「いぬのおまわりさん」があった。
おなじみ、迷子の子猫ちゃんと途方に暮れる犬のおまわりさんの歌である。
私は、
を歌うたびに、「私も自分の住所はわからないな。難しいもんな、住所」と思い、「自分の名前はわかるだろう、名前は」と思っていた。
要するに、猫側にツッコミを入れていた。
幼い自分は家の住所は言えないが、名前なら言えると思っていたし、自分ができるなら迷子の猫もできるだろうと思っていたわけだ。
そういえば、幼稚園児のころ、弟と父を会社に迎えに行き迷子になるということをしでかしたが、ついぞおまわりさんには会わなかったし、大人に話しかけられても名前は尋ねられなかったから答えられるのか答えられないのかも試せなかった。
それはさておき、なぜこんなことを思い出したのかというと、娘に「いぬのおまわりさん」を歌って聞かせていると、夫が言ったのだ。
「『わんわん わわーん』じゃないよ。仕事しろよって思うんだよね」と。
夫は犬側にツッコんでいた。
この違いが面白くて、私は自分は猫側に入れていたツッコミを夫に話した。
たしか、「小さい子は迷子になったらパニックで自分の名前も言えないよー」みたいなことを言われた気がする。
まあ、そうかも。
これには続きがあって、私が娘に2番を歌っていた時だ。
「航空部隊に聞いたのは評価する」と夫が言ったのには笑った。
そうか、お空を飛ぶ鳥に聞いたら、我が子を探す親を見かけているかもしれない。
そこまで考えて作られた歌詞なら面白い。
真偽はわからないけれど、そうだと思ったほうが私的には面白いからそういうことにしておこう。
童謡は、幼い時の自分の姿や当時の考えなんかも想起させる。
案外鮮明だから驚くが、小さな自分が愛されていたひとコマはなかなか愛しい記憶だ。
娘にとっても、そんな記憶を引き出す歌になればいいと思ったり思わなかったりしながら、「早く寝ろ〜」と念じながら、今日も「いぬのおまわりさん」を歌う。
最後まで読んでいただきありがとうございます。感想などもいただけるととても嬉しいです。これからもゆるゆると書いていくので楽しみにしていください。