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【Episode0〜㉚】離婚は成立、もう明日に向かって進むしかない

50代で幸せな再婚をするまでの
シングルマザーのストーリー
〜結婚時代編~


3月初旬に離婚届を出したので、元夫に3月末まではこのまま住み続けさせて欲しいとお願いしました。
「いつまでいても構わないよ」
という返事に、もう夫でないと思うと
“優しい人ではあるんだよな”
と客観的になれて、離婚後は逆に引っ越して家を出るまでは平和な日々でした。

しかしながら義母の件はまた別です。
最後まで離婚に同意はしてくれなかったので、(もう話し合いではなく)一方的に言いたいことを言われ続けました。

それでももう離婚は成立したのです、
私の我儘を強制的にのんでくれたのですから“話くらいいくらでも聞こう”と思えるように心境も変化していきました。
それでも「雛人形は次の孫に渡すから置いていきなさい」と言われた件はさすがに驚きました。
もちろん置いていきましたが、今思うとそこまで突拍子ないことを言い出させたのは自分だったなと思えます。

さぁこれからは現実的な問題に対して行動するのみです、私と娘と二人の生活のために。それはイコール大人である自分一人で頑張るということです。
幸い健康には問題がなかったので、
不安な景色が見えなくなるほど
走り抜けようと決めました。

まずは
保育園と
住む家
そして働き口
これが新生活を支える3本柱です。

所沢に戻ることは決めていたので、さっそく所沢市役所に行き相談することにしました。所沢には実家もあります、合わせて離婚の報告をしに行かなければなりません。

すでに離婚届を出していたのと、慣れ親しんだ土地柄に私が安心感を持っていたことで、色々な心配事はスムーズに決まっていったように思えます。
保育園は4月入園で、ひとり親であれば2つの園に空きがあるところへ優先的に入れると分かりました。
一つは庭が広く園児の人数が多い保育園、もう一つは駅近で新しく便利ですが、3階建てで庭がなく本当に少人数の保育園。
私はこの園の特徴が分かった時、すぐに駅近で新しい保育園を選び申請しました。

2歳児検診で言葉の遅れを相談したときのアドバイス“幼稚園は全員に目が届く人数の少いところがいい”を思い出したからです。
この時娘は、3歳をすぎても殆ど言葉が出てこない状況も変わっていませんでした。

所沢市役所を出たこの足で、私の両親に離婚の報告に行きます。
新生活のための3本柱のうち保育園が決まり娘と二人で暮らす実感が湧いてきました。
そんな少しホッとした私に、

誰もが応援してくれるわけではない
やっぱりこれからは一人で頑張るしかない

と思い知らされる現実が待っていました。


次回:父の第一声“家に戻ることは無理だからな”

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