そこから海は、見えたんやろか

大学生のころ、高校の演劇部の時の友達が劇団の制作をやっていて、東京で公演があるのでうちに泊めてくれとやってきたことがあった。

ちょうど春休み中、わたしも時間を持て余していたので、何日か彼女の仕事を手伝わせてもらうことになった。高校を卒業してから、観客席以外の場所から演劇に関わることがなかったので、すこしワクワクしていた。

下北沢の小劇場はうちからは遠かったが、ほぼ一本の電車で行くことができた。
劇団は関西では結構老舗で有名だった。わたしも大阪にいた頃、一度見たことがある。派手さはないが、静かで非常に繊細で丁寧な芝居をする印象のある劇団だ。

制作以外にケータリングもやっているという彼女を手伝い、下北沢のスーパーで買い物をして料理を作った(何を作ったか覚えてない、シチューとかだった気がする)
役者やスタッフの方々とも挨拶をして、久しぶりの現場の空気にドキドキしていた。役者の中でも制作の仕事を兼任している方もいて、小劇団ならではの全員の距離の近さがあって、突然やってきた私にも気さくに話しかけてくれた。

食事の後片付けをしに、ある役者さんの楽屋に入った(洗い場がある場所が限られていたんだと思う)
私が食器や鍋を洗う傍で、畳の上に座って彼女は台本を確認していた。
そこに、ぱっと別の男性の役者さんが入ってきて、先にいた彼女と少し何か話をしてから、突然脈絡もなく、こう言った。

「ここから海は見えへんなあ」

どうやら劇中のセリフのようだった。
そこに女性の方が重ねてもう一度言う

「ここから海は見えへんなあ」

そこで、どうやらこれは関西弁のイントネーションの確認らしい、とわたしは気づいた。男性の方は関西の出身ではないのだろう。関西出身である彼女のイントネーションの方が正しいように感じた。
彼女の答えを聞いて、彼はそのセリフをもう一度繰り返し、彼女は静かに頷き、彼は部屋を出て行った。

その静かなやりとりに、何か親密な空気を感じて少しドキッとしたのを覚えている。

お芝居の舞台は、白い洗濯物がはためく病院の屋上だった。

他のお客さんと一緒に見たのか、通しのリハーサルがあってそれで見たのか、もう忘れてしまったが、とにかくわたしは客席からそれを観劇した。

さっきのあのセリフが、いつ出てくるのだろうか、と内心気にしながら見ていたのだが、ついにそのセリフは出てこなかった。
いや、わたしが聞き逃したのかもしれない。
だけど、さっきの彼ではない、別の役者は、そこから海が見える、というようなことを言っていた気がする。

数年たって、あの病院の屋上からははたして、海が見えたのか、見えなかったのか、わたしにはもうわからなくなっている。

私の中には、晴れた日の病院の屋上に、真っ白な洗濯物が眩しくはためくその光景だけが残っている。
客席のわたしたちを通り越してもっと遠い先を見つめていた彼らの目に、海が見えたのか、見えなかったのか、時々考えるがわからない。

劇中に出てこなかったのなら、あの楽屋で確認していたセリフはなんだったのだろう。あの2人にしかわからない、何か暗号のようなものだったのだろうか。親密な空気を感じて少しドキッとしたのはそのせいだろうか。


脚本・演出を担当している劇団の主宰の男性は、その時癌を患っていた。
余命一年もないのだ、と聞いた。
明らかに体調の悪そうな顔で、しかし、リハーサルの最中舞台をじっと見るその目だけはグッと力がこもっていた。

物語が進むにつれわかることだが、あの舞台はーつまりあの病院の屋上はーこちら側とあちら側の境界が曖昧になっている場所のようだった。(少なくとも、わたしはそう解釈した)

屋上に来る人々は他人同士、同じ病院の屋上にいるということしか共通点のない人々で、お互いがなんの病気でどこの病室に入院しているかも知らない。

そしてそこには、すでに病室にはいない人々も含まれているのだ。

ただ、その事実がなんとなくわかっても、そこに怖さはなく、静かで穏やかな時間が流れているだけだった。そして、最後にはみんなが同じ方向を見つめる。客席のわたしたちを通り越して、もっと遠いその先の風景を。

公演はたしか1週間あったが、わたしは何日めかで、友人に家の鍵を預けて大阪の実家に帰らなければならなくなった。祖父が危篤だったのだ。
黒いズボンとシャツ、黒い革靴を持って新幹線に乗った。
帰ってから数日後の夜中、わたしが祖父のベッドの隣の簡易ベッドで眠っている間に祖父は静かに逝ってしまった。(その時のことは、以前「最果て」によせて(後編)ー受け入れる で書いた)

夜が明けて病室に家族が揃ったころ、青白い朝の空気に包まれた病室で、わたしはあの白い洗濯物がはためく病院の屋上を、少し思い出していた。


そこから海は、見えたんやろか。


あちら側とこちら側の境界で、必死に踏ん張っていたあの劇団の主宰の男性は、あの公演から数ヶ月後に亡くなった。
その訃報を聞いたときにも、やはりわたしにはあの屋上の光景が浮かび、そこでは白い洗濯物がはためき人々はじっと目を細めて遠くを見つめていた。
あの時、舞台をじっと見据えた彼の目には、舞台上の彼らが見つめる風景が、見えていただろうか。


そこから海は、見えたんやろか。


そんなセリフはあの劇中にはない。楽屋であの2人が言っていたセリフとも違う。これはわたしが勝手に作ったセリフだ。
あの屋上から、彼らが目を細めて眺めていた風景を、わたしは見ることはできない。思い出すたび、そこにいる彼らに、そこから海が見えるのか聞いてみたくなる。

彼らには見えて、わたしには見えなかった風景を想像する。


そこから海は、見えたんやろか。


わたしには、朝日を受けて白くはためく洗濯物が見える。

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