音楽についた匂いをかぐ
今朝起きて、ふと「ああ、久しぶりにくるりが聞きたいな…」と思って、くるりの(かなり古い)ベスト盤を聴いている。
くるりは、実家の匂いがする。
彼らの音楽を聴くと、実家にいるような気持ちになる。
目を瞑ると、そこには実家のリビングのソファがあり、テーブルがあり、ブラウン管のでっかいテレビがあり、わたしたちは紅茶を飲んでいる。
今はもうない風景が、ありありと浮かんでくる、そこに生活していた空気の匂いがする。
実家にいたことろ、わたしは小学生のころからウルフルズがめちゃめちゃ好きで、姉はくるりがめちゃめちゃ好きだった。ウルフルズもくるり同様、聴くと実家に帰ったような気持ちになる。大阪のバンドと京都のバンドなので、それもあって、実家感が強いのかも知れない、とは思う。
私も、姉も、母も音楽を聴くのは好きで、趣味も概ね合ったので、リビングはいつもそれらの音楽で満たされていた。母はワールズエンド・スーパーノヴァが大好きで、自分のiPod shuffleに、シャッフルした時にその曲だけ流れる確率が高くなるように、その曲だけを多めにいれていた。
大人になって、どんどん知らなかった音楽を掘るようになって、魅力的なアーティストをたくさん知って、新しい音楽も、古い音楽も、どちらも同じように刺激があって、ライブハウスに1人で行けるようになって、ライブを見る時にビールが飲めるようになって、そんな時ビールを飲みながら、ああ、ちょっと大人になったな、なんて思う。
生まれて初めてライブを見たのは小学校四年生の時で、ウルフルズのライブを見てみたいと、親に懇願して家族で行った南港の屋外ライブだった。(*彼らが例年夏に万博でやっているライブだが、その年だけは南港だった)
背の低いわたしはステージも、ステージを映し出すヴィジョンも見えなくて、父や叔母がたまに肩車してくれた。
ステージもまともに見えないのに、でもあの時わたしはそれまでの人生で一番興奮したのを覚えている。生で聴くトータスの歌声はCDから流れてくるそれを圧倒的に超えていて、曲のアレンジはびっくりするほどしつこくて、演出もとにかくド派手でお祭り騒ぎで、当時まだ知らない曲もあったけれど、知らない曲でも私はその場を狂ったように飛び跳ね飛び跳ね、踊った。
それは全身の血が入れ替わるような、全身の細胞がすごい速さで死んで生まれ変わるような、そんな凄まじい体験だった。
それから狂ったように彼らの音楽を聴くようになって、カセットウォークマンを持ち歩くようになった。(私の世代はそのころMDが主流だったけど、なぜかMD持ってなかった)中学に入る頃には、高校生になった姉からたくさんの邦楽アーティストを教えてもらって、また新しい世界を知るようになった。
姉はくるりにドハマりし、我が家のリビングの音楽は一時くるりが覇権を握った。京都芸大の試験対策で油粘土をこね何か立体を作りながら、くるりのライブDVDを見ている姉の姿を覚えている(確か、その後ろ姿をわたしはスケッチしていた)
そのほかにも、中村一義やスーパーカーもみんなめちゃくちゃ好きだったし(100sのライブDVDも腐る程見た)フジファブリックもそうだ。
高校に入って、行動範囲が広がったわたしは日本橋の中古レコードショップに通うようになって、知らない音楽を発掘する楽しみを覚えた。聴く音楽の幅も広がった。
高校を卒業して、大阪の実家を出て東京にでてきて、浪人して、大学に入学して、1人でサマーソニックに行って、プライマル・スクリームのライブを見てまた衝撃を覚えて、1人でビールを飲みながら、大阪にいたころ友人達とカウントダウン・ジャパンというフェスに行ったことを思い出していた。
ビート・クルセイダーズ風のお面を作ろうといって、自分たちの顔でビークル風お面を作り、しかしビークルとフジファブリックのステージの時間が被っており、悩んだ末にわたしたちはフジファブリックを見に行った(ひどい裏切り…笑
こんな時、ビール飲めたら美味いんやろなあ、と言いながらわたしたちはでも、お酒なんかいらないくらいにその刺激を全力で味わっていた。
フジファブリックの志村正彦が亡くなったのを知ったのは、予備校の冬期講習で東京の父の家に1人でいたときだった。姉が交通事故にあって、父は大阪に帰っていて、父の家にわたしは1人だったのを覚えている。
今でもたまに、思い出したように志村正彦が歌っているフジファブリックを聴くと、不思議な気持ちになる。なんだか、まだどこかで生きている気がしてしまう。ビークルを裏切って見に行ったフジファブリックのステージを思い出す。
そして同時に、もういないのに彼の声を聴いている人がきっと今もたくさんいて、自分が死んだあとにも自分の声が生き続けるというのは、すごいことな気がした。今生きているちっぽけなわたしの声なんかより、今はもういない彼の声の方が、ずっとずっと生きている。
今はもういないアーティストの曲を聴くことは少なくなかったが、自分の声が残るというのはすごいことだな、と思った。
そういえば藤田嗣治が晩年、自分の肉声をテープに録音していたという話を聞いたことがあるが、彼は自分の肉声を残しておきたいと思ったんだろうか。文字ではなく、声で残したいと考えたんだろうか。絵や文章が残ることと、声が残ることの違いはなんなんだろう。
そんなことをとりとめもなく考えているうちに、くるりのベスト盤は終わり、気づいたら「ワルツを踊れ」が流れていて、それも終わって今度は「魂のゆくえ」が流れている。CDやレコードと違ってiTunesはほっとけば区切りなく延々と音楽を流し続ける。
サブスクは便利で、ステイホームしながら新しい音楽を漁ることだって簡単だ。
だけど(わたしにとって)懐かしい音楽を聴きながら、ビールを飲めなかったころのライブ体験や、少ないお小遣いで中古レコード屋で何を買うか散々迷っていたあの時間を思い出す。中古レコード屋で、どれを買うか迷って試しにかけてもらう。自分の選んだ音楽がお店に流れるのを聴きながら、店員のお兄ちゃんと話をする。
買ったCDを帰って聞いて、今度は友達に勧める。友達から借りたCDをまた家に帰って聴く。
音楽は常に場所とともにあって、人と人の間に音楽があって、それらの音とさまざまな思い出がくっついていて切り離せなくて、記憶を掘り出すとこんな風に、こんなふうに、止まらない。
音楽には聞いていた場所の匂いや、一緒に聞いた友達の記憶が、付随されていく。わたしのとってのウルフルズ、わたしにとってのくるり、わたしにとってのプライマル・スクリーム、それらは他の人が聴くそれと違う匂いや映像を持っている。
そんなことをとりとめもなく書いているうちに、目覚まし用に合わせていたラジオも流れ出したので、とくにまとまらないけどこのあたりで終わりにしておこう。
高校生のわたしたち、超楽しそう‼︎‼︎(一番左が私)
あらためてこれでビークル見に行かなかったの、ひどいな笑
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