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30歳を迎えた私の人生振り返り-中編-

長くなりそうなので中編をつくりました!(笑)
私の人生の大きな分岐点になったUp with Peopleに参加をしてから
今のフリーランス生活に至るまでを書いていきたいと思います。

よく、
どうして海外に行くことにしたの?
なぜ今の仕事をするようになったの?
と聞かれるので、これまで話す機会も多かったのですが
改めて言葉にまとめてみました。

前編はこちら
30歳を迎えた私の人生振り返り-前編-|もっぴー(Kaede Mitsuya)|note

改めて自己紹介
三矢楓(もっぴー)
1992年京都出身。 世界中の人々の暮らしに飛び込む旅が大好きでホームステイで25ヶ国を巡る。アメリカで世界中から集まる100人のメンバーと共同生活とミュージカルをつくりあげてきた経験をする。自信の海外経験から、どんなバックグラウンドがあっても「やりたい!」と思えば、誰もが飛び込める国際交流の場をつくりたい、と新規事業の立ち上げに関わる。現在は、国際交流やファシリテーター育成のコミュニティ等でファシリテーターとして活動中。

カンボジアにて。4年のばした髪は今年、ドネーションしました!

巡って訪れたUp with Peopleへ旅立つチャンス

Up with Peopleとは、グローバルリーダー育成を目的とした
アメリカのNPOの教育プログラムです。
約20カ国から100人の若手が集まり、5ヶ国15都市を
ワークショップ、パフォーマンス、ボランティア、ホームステイ
をしながら旅をする過程の中で、リーダーシップを育成します。

Home - Up with People

大学4年生の時に出会ったコモンビートという100人、100日間で
ミュージカルを創り上げるNPOの
ミュージカルの原作がUp with Peopleであるご縁で知り、
海外とパフォーマンスが好きな私がこんなにどんぴしゃで
行きたくなるようなプログラムが存在するのか!!!
と知った瞬間に、自分の夢となりました。

とはいっても当時は大学4年生で就職先も決まっていたので
「世界1周行けたらいいなぁ」
というような「たらればの夢」、というような感覚でした。

転機となったのは社会人3年目の夏。
転職も考えだした頃、2回目のコモンビートの参加中、
日本に来ていたUp with Peopleのリクルーティングの人と出会い
面接を経て、Up with Peopleに参加する権利を得ることに。

転職の間なら参加できる!今だ!!
と確信めいたものを感じて、会社の上司に速攻
「1年後に会社を辞めます!」
と言って会社を辞め、
2019年1月、Up with Peopleへ出発しました!

Up with Peopleを経て見つけた自分の信念

Up with Peopleの期間は一言でいうと「修行」(笑)
毎日がネイティブレベルの英語環境で、
自己主張をはっきりする文化的な違いもあり
会話のスピード感、主張の強さの違いについていけない毎日。
もっと色んな人と話したいし、挑戦したいのに
臆病な自分に悔しかったり、情けなかったり、心細かったり
しかも周りはほとんど年下なのに・・・
間違いなく人生で一番泣いた期間でした。
毎日、鏡を見ては「大丈夫、私なら大丈夫」
と奮い立たせながら、毎朝出発していました。

基本的にはそんな厳しい日々だったのですが、
もう二度とできないようなたくさんの貴重な経験をしました。

世界中に友達や家族ができました。
キャストもホームステイの家族たちも愛しい存在で
今でもたくさんの人たちとやり取りをしています。
ボランティアの先で出会った子ども達のことはずっと覚えています。
顔の見えない場所にいるけれど、今でも幸せを願っています。

アメリカのサクラメントにて。メキシコ・バミューダ・日本からの4人でホームステイ

100人の仲間たちとのパフォーマンスは感動で何度も何度も泣きました。
何に感動をするのか、言葉で上手く表現しきれないのですが
キャスト1人1人が活き活きと「自分」を表現し、
普段出会うことのない世界中の人たちと心を通わせながら、
創り上げていくステージが大好きでした。
パフォーマンスが発するメッセージは「希望」そのものでした。

パフォーマンスのテーマはKeep Hope Alive
言葉の壁があるからこそステージの上が一番自分が活き活きしていた時間

世界の社会課題をシミュレーション型で学ぶワークショップを受け、
難民・環境・飢餓・ホームレスなど
疑似体験しながら学ぶことで何度も心を揺さぶられました。
何か自分にできることはないのか、と問いかけ
肉食を控えたり、服やコスメなど環境や人権に配慮された消費活動を
意識するようになりました。

自分がワークショップをする機会もたくさんあり、
パフォーマンスや海外というキーワードで惹かれて
参加したUp with Peopleでしたが、
自分が伝えていくことで人の背中を押したり力にことができる
楽しさを知り、教育・場づくり・ファシリテーションに
興味が広がっていきました。

Alumniの前でスピーチをする機会も

そんな経験を経て、子どもの頃から憧れていた
「世界の弱い人を助けられるような人」になるための一歩を
踏み出している気がしました。

Up with Peopleで自分の可能性が広がり、
社会のことを考えて行動できるきっかけをもらった経験から
「人と世界が繋がることで、人も社会も幸せになる!」
という、ひとつの信念が生まれました。

コロナ禍が後押しした自分の理想の働き方

Up with Peopleを経てそれまでの常識と行動力の枠がはずれ、
アフリカ・南米と一人旅をした後に日本に帰国。
この頃は、何でもできるスーパーマンのような気持ちでした。
たくさんの子ども達の前でダンスクラスをしたし、
韓国に行って100人の前でダンスワークショップをしたり話をしたりした。
ただ好きなことと、できることを活かして、
自信いっぱいにのびのびとしていました。

国際交流のお仕事をコモンビートから頂き、
Up with Peopleで学んだことを活かして本格的に仕事をするぞ!
といった矢先に訪れたのが新型コロナウイルス感染拡大でした。
予定していた海外のプログラムは中止。
仕事は始まる前に予定は白紙になり、
何の保障もないフリーランスとしては
絶対絶命と思われる時期だったのですが
私の場合は違う未来が待っていました。

この時期に人生の大きな分岐点の二つ目が訪れます。
NPO法人Les Worldの代表をしている志藤大地と出会い
ファシリテーター養成講座「Raise your Flag」を立ち上げました。
二人の実家はとても近いのですが、お互いあちこち移動しているので
コロナ禍で行動が制限されない限り出会うことのなかった人だと思います。緊急事態宣言で世間が止まる中、近所の特権で毎日ミーティングを重ね、
二人の共通スキルであるファシリテーションの講座事業をつくりました。

ファシリテーション講座lRaise your Flag (raise-your-flag.net)

自分は大地と違って実績も経験値も少ない中で
講座を運営するということに怖い気持ちもありましたが
走り出してしまえば止めることはできず、
自分にできることを必死にやって
何とか価値発揮をすることに精一杯でした。
それが今ではかけがえのない仕事場でもあり居場所になるとは。

尊敬、そして大好きな人たちが集まるコーディネーターチーム
ただの京都駅で何をそんなに爆笑していたのか。

そしてもう一つ、国際交流への情熱が最高潮の中
海外への道が閉ざされてしまい、
でも何か動かずには気が済まなかった時に
コロナ禍という環境に負けず、今だからできる国際交流の場を作りたいと
オンラインでの留学体験プログラム「Jump in 週末留学」
を立ち上げるきっかけとなりました。

Jump in 週末留学 | NPO法人コモンビート (commonbeat.org)

オンラインだから世界中と繋ぐことができて、
人の繋がりで世界のリアリティを学んでいくことができるのは
Up with Peopleで旅をした世界観そのものでした。

国際交流への「人と世界が繋がることで、人も社会も幸せになる!」
という信念に加え、もう一つの想いがありました。

「世界に飛び出したい誰もが楽しめる国際交流の場をつくること」

Up with Peopleには29歳までという参加条件があります。
私が面談をする時に1人前に並んだ人が、
この年齢制限で参加を断念した姿を見ていた経験からでした。
自分の海外経験は、全員ができる訳ではない。
自分だけのものではないなら、何か還元したいと思うと同時に
制限なく、やりたい!という気持ちで飛び込める場所をつくりたかったのも
Jump in 週末留学のスピリットになっています。

コモンビートの国際交流事業では考えては試しての繰り返しで
仕事が実験で、勉強でした。
新しい事業、チームをつくっていく楽しさも難しさもたくさん学びました。

Jump in 週末留学はこれまでに計8回の開催・のべ250人以上の参加者・約50カ国と繋ぎました。

気が付くと仕事の9割がオンライン上になり、
どこにいても仕事ができるようになりました。
いつか独立して、場所に縛られずに仕事ができたらいいなという
ぼんやりとした働き方の理想像は
思いのほか、コロナ禍によって一瞬で実現しました。


今振り返ってみると、苦労もあったけど
自分らしいエネルギーで、いいフリーランス人生を
スタートさせてたんだなと少し自信が蘇ってきた気がします。

最後の後編では、
国際交流への疑問、フリーランスとして働く葛藤、
苦しかった2022年と自分の今の核心的な課題
についてを書き綴っていきたいと思います。


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