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国東半島のみち 〜国東半島峯道ロングトレイル〜 (6/6)

6日目(梅園ばいえんの里〜両子寺ふたごじ


最後の朝

最終日である。空はよく晴れていた。

梅園の里の本館の裏手から林道へと入ってゆく。杉林の中で一部がクヌギである。クヌギ林には鹿の食害を防ぐためにネットが張られている。トレイルをゆく者はそのネットを開閉して進む。

道標を見失った。伐採後か崩れた後か、地肌がむき出しになっているところに入り込んだ。細い切り株が沢山あるからおそらく皆伐したのだろう。林との境界線の上に、林の断面が見えている。マッチ棒のような杉が、密集して垂直に整列している。暗い林中の空間を背景に、枝葉の無い幹が、手前の地面と同じうす茶色の肌をこちらに見せていた。

トレイルに復帰して再び進む。道は朝来野川あさくのがわがつくる谷に広がる集落へと入って、両子山ふたごさんに向かって北に進んでゆく。

諸田もろたのくらしと伝統

諸田という地区を歩いている時、挨拶を交わした男性と会話になった。歳はぼくの父親ぐらいだろうか。その口ぶりは穏やかでいて楽しげで、知性を感じさせる。なんだか農村そのものの良さを体現している、とでもいった空気をまとっていた。

いいところですね、とぼくが言うと、都会の人はそう思うかもしれないけど不便なところだ、と言う。今はもう年寄りばっかりだ、と。住民の生業について尋ねると、やはり稲作だという。広い平地は無いが、棚状に造られたみごとな水田とため池の連携が、彼らの生活を支えているのだ。

林業はどうか、と尋ねた。この集落には今は営んでいる者はいないという。国東にも人工林が多い。そしてその大部分はあまり手が入っているようには思えなかった。このとき目に映っていた風景にもひのきの林が広がっている。というような話になると、戦後に植えちゃったからなぁ、と言って少し苦そうな顔をした。二人の上空で、桧の樹冠から遊離した花粉が塊になって漂ってゆくのが見えた。

林業家はいないが早生桐(わせきり、そうせいきり)を育てている人がいる、と彼は言った。昭和の市町村合併の際、集落の共有山林を国東市が買い上げた土地がある。現在そこで、行政と九州大学が中心となって5年で成木になる桐を実験的に栽培しているとのことだ。二酸化炭素の排出量削減が目的らしい。そういう取り組みがあるとは知らなかった。

自然の作用と時間に任せるのが良いようにも思えるが、果たしてどうであろうか。山林の回復や活用はこの国の大きな課題のひとつだ。官民学を問わず、様々な努力が試みられている。

御田植祭おんたうえさいという地区の祭りについて、彼は教えてくれた。毎年春分の日に執り行っていて、今年は明日がまさにその日だ。久々に観客を入れての開催になる。200年の歴史があって今も絶やさずに続けている。人が減ってしまったが、三人の息子らをはじめ残る若い者らに繋いでいってもらいたい。といったことを彼は言った。

御田植祭というのは昔から全国的に行われてきた農耕儀礼で、形態は様々だが、多くはその年の豊作を願う行事から発達した神事芸能といったものらしい。国東市作成の資料によると、諸田の御田植祭についておおよそ以下のような説明がされている。

諸田山神社の境内を水田に見立てて、神前で田植神事を行う。文政4年(西暦1821年)、奈多八幡神社(国東半島東南部の海岸に位置する)の御田植祭の方法を取り入れて始まった。祭式は当時の農業の姿をそのまま伝承していて、諸役(出演者)の服装や言葉なども当時のままである。演者は滑稽な化粧や動きを交えて観客の笑いを誘う。

古き良き、明るく楽しげな農村の空気を想像せずにはおられない。

「来るのがあと一日後だったら、見てもらえたのになぁ」

と、老紳士は残念がってくれた。

全く同じ思いである。今年の祭りが楽しいものであったことと、今後も息子さん達と一緒に永く続けてゆけることを、陰ながら願っている。

両子山ふたごさん

トレイルをさらに北へと進む。長閑な山里の小路を歩き、やがて山道へと入ってゆく。国東半島の最高峰、両子山へ続く道である。

麓のあたりは人工林で、トレイルと作業道が入り混じる。尾根に取り付く前に道を誤ったが、なんとか復帰する。山頂に向けて急斜面を上ってゆく。空は曇り始めていて、岩稜となる尾根上は風が肌寒い。手前のいくつかのピークを越えて、両子山の山頂にたどり着いた。

大きな電波塔と、高床の展望台が建っている。国東の岩峰や渓谷、周りの海まで、全方位が見渡せる。空は曇って景色は少し霞んでいた。それでも半島の北に浮かぶ姫島は当然のこと、その先の周防すおうの陸地や、四国の佐田岬さだみさき半島までも望むことができた。

この山域を歩いてきた。愛着のようなものが生まれていることを感じながら、しばらくぼうっと眺める。もうすぐこの旅も終わりである。

両子寺ふたごじ

終着点の両子寺に向かって山道を下りてゆく。山道は背後から、寺の境内へと近づいてゆく。樹木は次第に照葉樹の巨木となって、美しい森林になってゆく。巨岩は苔を纏って静かに佇み、岩陰のそこかしこに小さな石仏が幾体も並んでいる。

奥の院を参拝して、本堂の方向へと下ってゆく。大きな石段を下ると両脇に石の狛犬が座っていて、足元にはこう書かれている。

「ご参拝の方で足腰の悪い人はこの獅子の足をさすって強い足にあやかって下さい」

ロングトレイルの終点にはなんとも相応しいご利益ではないか。

狛犬のすぐ先には石の鳥居があって、立派な注連縄しめなわがかかっている。神額には「両所大権現」とある。いかにも神仏習合の聖地たる雰囲気である。

両子寺は六郷満山ろくごうまんざんの多くの寺院と同様、養老2年(西暦718年)仁聞菩薩にんもんぼさつの開基とされる。中世の武士の台頭とともに一度衰退するが、江戸期に再興を果たし、明治に入るまで杵築藩きつきはんの最高祈願所として栄えたという。広大な境内はその全体が史跡に指定されていて、「全国森林浴の森百選」に選ばれているという。

本堂の周りはもみじが、群生と言っていいような密度で生えている。葉は落ちているが紅葉の頃には圧巻であろう。

本堂の中を覗いてみると、直径40㎝ぐらいであろうか、黒光りする円盤状の物体が賽銭箱の前に二つ置かれている。上面に両足の型が描かれている。佛足石ぶっそくせきなるものらしい。これの上に乗って足腰を擦り、心身の健康と足腰の丈夫を祈る、のだそうだ。

足は痛むし、ぼくは元来腰痛持ちである。先程の狛犬といい、旅の終わりになんともありがたい祈願をすることができた。


参拝入口から出たところで、この旅は終わりである。

裏から入ったと言って受付所のご婦人に拝観料を手渡す。どうもありがとうございました、と穏やかな口調でゆっくりと、そのご婦人は言った。こちらこそ感謝の気持でいっぱいだった。

ウグイスのさえずりが、美しく、なめらかに響いた。季節はもう春分である。


おわり

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