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五島列島のみち 〜九州自然歩道・五島エリア〜 (3/8)

4日目(柏崎→魚津ヶ崎)

4日目の計画ルート
※ルート編集アプリ「Trail Note」にて筆者が作成

椿の防風林

空が白むと早々にテントを撤収して歩き出した。空には少し雲がかかっている。

この日は三井楽の東海岸を南下し、その後魚津ヶ崎ぎょうがさきを目指して東進する。

柏崎を出るとまずは南へ進む。緩やかな傾斜を上ってゆくと、やがて椿の防風林に入る。

林の中には目をみはる巨木がいくつかあり、「聖母の椿」とか「いつくしみの椿」とか「よりそいの椿」などといった名前がつけられている。

大村藩の外海そとめ地区から渡ってきた移民たちは、五島各地の未開地を開墾し集落を形成した。未開地とはつまり、比較的農耕に適さない土地である。

この地の場合、問題は夏の台風や冬の強い北風だった。だから彼らは椿を植え、育てた。畑を守る防風林として、椿は重要な存在だったのである。

移民の多くがキリシタンだった。椿の花は五島のキリシタン信仰(現在はカトリック信仰)のシンボルとなっている。

聖母の大椿

椿林を抜けると再び北上して海岸線に出る。高崎鼻、中島鼻、千々見ノ鼻などを通って、半島の付け根に位置する白良ヶ浜しららがはままで南下してゆく。

とびに驚いた。全国どこでも見られる鳥だが、驚いたのはその数である。空を覆い尽くさんばかりの鳶が、それぞれのベクトルで悠々と舞っている。数えようかと思ったがすぐに無理と悟って諦めた。

五島特有の文化にバラモン凧というのがある。赤い鬼が武者の兜に食らいつく特徴的な絵柄で、凧揚げ大会があるなど住民に親しまれている。最近はNHKの朝ドラでも取り上げられて、知っている方も多いかもしれない。

絵柄のモデルは渡辺綱わたなべのつなだという。領主の先祖である。ではなぜ凧揚げなのか。これは全くの推測だが、この鳶たちが舞う姿が、古くから身近な憧れとして島民の心にあったからではないか。

強さ、優雅さ、自由さを感じさせるその姿への憧れが、凧揚げという遊びとして文化になったのではないか、といったことを、悠々と舞う彼らを見上げながら思っていた。

メジナを掴んだ一羽が磯陰に消えてゆくのが見えた。

きびな

白良ヶ浜の手前に道の駅がある。建屋内では土産物屋やレストランがあるほか、遣唐使関連の展示がされている。昼時に近かったので食事を取ろうかとも思ったが、レストランは団体客の予約が入っているとのことで閉まっていた。

土産物屋できびなごの燻製を1袋買った。夕食の良い主菜になる。

(毎晩の食事はだいたい、米一合に梅干し、味噌汁、あれば干魚など、といった具合だ)

五島では昔からきびなご漁が盛んなようだ。地元では「きびな」というらしい。沿岸で量の獲れる海産物は、島民にとって貴重な資源だったであろう。

魚津ヶ崎

ここから進路を東に取り、海岸まで迫る山地を抜けてゆく。風が少し冷たくなり、雲行きが怪しくなってきた。

山地を越えてさらに進むとやがて魚津ヶ崎にたどり着く。「ぎょうがさき」と読む。ここのキャンプ場をこの日の宿泊地と考えていた。

管理棟には鍵がかかっていた。用がある方は、と電話番号が掲示されている。電話すると、なんと夏季以外は事前予約が無いと利用させられないという。迂闊にも計画の段階で気が付かなかった。

仕方なく近くにあった公衆トイレの脇にテントを張った。設営している間に雨が降り出した。やがて強風を伴う大雨になって、朝まで降り続いた。

5日目(魚津ヶ崎→堂崎)

5日目の計画ルート
※ルート編集アプリ「Trail Note」にて筆者が作成

水ノ浦

篠突く雨の中でテントを撤収し、歩き始める。

この日も福江島北部の海岸線を東へ進む。終着は堂崎天主堂どうざきてんしゅどうである。翌朝に久賀島ひさかじまゆきの船に乗るため、夕方にはバスに乗って堂崎から福江まで戻る計画だ。

魚津ヶ崎を出て南へ向かう。水ノ浦の集落で挨拶を交わした老人と会話になる。訛が強くて半分ぐらい理解できなかったのだが、とにかく楽しそうに話をする。

「傘はいらんか」とか「泊まっていかんか」といったことを言ってくれているのは分かった。「傘はある」「まだ朝だ」と言って辞退したが、こういうやさしさに触れることが嬉しい。

楠原教会

城岳という小さな山を越えたあたり、楠原くすはらという集落にカトリック教会がある。レンガ造りのどっしりとした構えで、黒ずんだ壁面が歴史の重みを感じさせる。西暦1912年(明治45年)の竣工だという。感染症防止のため拝観を中止している、という旨の貼紙がされている。

ようやく雨が止んだ。ずぶ濡れの靴下を絞り、再び歩き始める。

楠原教会

河務

東へしばらく進むと河務こうむという集落に出る。複雑な入江に向かって小さな川が流れ込んでいて、その河口あたりは小さな水田地帯になっている。

橋の上で婦人がひとり、川を眺めていた。会話になったので集落の生業について聞いてみると、このあたりは農業だという。水田があるし、漁に出るには入江がすぎるのかもしれない。

表情も話し方もとても穏やかな人だった。

五島の人は皆優しい、といったことを僕が言った時、「田舎の人はみんなさみしいからねぇ」と彼女は言った。

なんだか意味が詰まった言葉のような気がしたが、二の句がうまく形にならずそのまま流してしまった。別れの挨拶をして再び歩き始める。

アオガエルたちの声がコロコロとあたりに響いている。

賽銭泥棒

宮原という集落に小さな教会がある。外観は普通の民家のようだ。

拝観できるものかと近づこうとしたところで警官に声をかけられた。この辺りで賽銭や献金の盗難が起こっていて、見廻っているのだという。

(あなたは)旅の方だと姿でわかるので大丈夫です、もし怪しい人物を見かけたらお知らせください、というようなことを言って、彼は去っていった。

通報されないように気をつけねば、と思った。

堂崎

さらに東へ進むとやがて堂崎に着く。福江島の北東部、奥浦湾の先端部の海岸沿いに、レンガ造りの美しい天主堂が建っている。西暦1908年(明治41年)竣工だという。築115年である。

手前の駐車場には観光バスを含めたくさんの自動車が停まっていた。この教会は長崎県指定有形文化財に指定され、また資料館にもなっていることから、教会めぐりの観光客がよく訪れるようだ。

教会も展示資料も素晴らしいものだったが、きれいな格好をした観光客らの中にあってはなんだか落ち着かない。一通り見学してその場をあとにする。

福江島のルートはこれで終わりである。バスに乗って福江市街へ戻る。九州自然歩道のルート設定によると奥浦港から久賀島に渡ることになっているのだが、このあたりには宿泊施設が無く、福江港を利用するほうが都合が良いのだ。

ホテルで風呂と洗濯を済ませ、食料や燃料を補充し、久々の外食で存分に食事もとった。


つづく

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