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雨ニモマケズ  風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカ二ワラッテイル 一日二玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズ二 ヨクミキキシワカリ ・・・背中を押してくれる言葉シリーズ

    • ちなみに絵描きは書道教室に月三回通っているが今日は休んだ。「なんだか気持ちが向かない」と超小声で言ってくれた。休んだ分振替できないので月謝を捨てることになる。大人はコスパが身に染み着いてしまってるけど彼女の心から出てきた超小声を何より大事にしたい。それにしても上手すぎやしないかい

      • やはり「ありのままを受け止める」

        見苦しい投稿はしたくないけどうまくまとめている余裕もない。 今感じていることをとにかく出しておく。 喫緊の課題。それはやはり長子の小学校の問題。 絵描きは小学二年生。小学校に入学するまでは、自然の中で五感を使ってたくさん遊ばせてくれる、子どもの発達に寄り添った保育をしてくれる園に毎日草履を履いて通っていた。 絵描きが卒園するとき、まだ先生は一才で授乳していたと思う。睡眠不足と疲労で記憶が全然ない。 睡眠不足だと思考も深くならない。 小学校への漠然とした不安、不審は

        • noteを始めて早1ヶ月。3才~8才の言うことやること毎日珍事なのだが、あまり変なものは…とか、ちゃんと考えてからとか見栄を張っているうちに過ぎていく。いかんいかん。当初の目的、日々の記録。とりあえず今朝の釣り活。体感温度-20度。3才のやる気に脱帽。この「やりたい」に応えたい。

        雨ニモマケズ  風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテイカラズ イツモシズカ二ワラッテイル 一日二玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズ二 ヨクミキキシワカリ ・・・背中を押してくれる言葉シリーズ

        • ちなみに絵描きは書道教室に月三回通っているが今日は休んだ。「なんだか気持ちが向かない」と超小声で言ってくれた。休んだ分振替できないので月謝を捨てることになる。大人はコスパが身に染み着いてしまってるけど彼女の心から出てきた超小声を何より大事にしたい。それにしても上手すぎやしないかい

        • やはり「ありのままを受け止める」

        • noteを始めて早1ヶ月。3才~8才の言うことやること毎日珍事なのだが、あまり変なものは…とか、ちゃんと考えてからとか見栄を張っているうちに過ぎていく。いかんいかん。当初の目的、日々の記録。とりあえず今朝の釣り活。体感温度-20度。3才のやる気に脱帽。この「やりたい」に応えたい。

          反芻3子どもの「なんで?」に「なんでだろう?」とこたえる育児(仮名)

          先週、絵描きと先生の咳で大変だった。 我が家は絵描きを筆頭にまあまあなアレルギー体質だ。絵描きはエピペン持ちの食物アレルギー、先生は喘息気味。これも私の懺悔の一つなのでまた別の機会に書きたい。 さて、既に消化されてしまった感があるが、もう一度口に戻してよく噛んでみたい。 子どもから「なんで?」攻撃を受けたことはないだろうか。 私はある。生半可な気持ちと知識で応戦すると無傷では帰れない。最終的には言葉に詰まり、濁して逃げるか、有無を言わせぬ空気を出して終わりにするしかない。無

          反芻3子どもの「なんで?」に「なんでだろう?」とこたえる育児(仮名)

          反芻2 マネする育児(仮名)

          「子どもは自ら育つ力を持っている」 大人は見守るのみである。 という考えのもと、子どもという特殊な生き物について、関わり(声かけ)方、生活の仕方、母親父親の役割などを遠藤さんの子育ち講座で学んだ。(途中まで) 遠藤さんいわく、「子どものありのままを受け止める」、大人(母親)は「マネ、指示、労い」だけでよい、それ以外のことは不要でむしろ有害だ、と仰っていた。(私の解釈) マネというのは、 子どもが「りんご食べたい!」と言ったら「りんご食べたいね~」と返す。 「やだ!着替え

          反芻2 マネする育児(仮名)

          褒めない・叱らない、驚く・怒る育児(仮名)

          前回の絵描きがそろばんを持ってきた件をゆっくり反芻してみた。 まず、私が褒めない育児(仮名)に出会ったのは2018年、遠藤さん(仮名)の「子育ち講座」を見学したことがきっかけだ。 遠藤さんの理論は、「子どもは自ら育つ力を持っている」という考えのもと、子どもとの関わり方、大人の役割などを体系的に示している。 子どもとの関わり方に「これでよいのだろうか」と漠然と不安を抱えていた私は衝撃を受けた。 それまでに読んだ育児本は「大人が子どもをこんな風に導きましょう」という内容が多

          褒めない・叱らない、驚く・怒る育児(仮名)

          どんぐりすだれ

          先週書いたものだけどアップしておこう。 秋の休日、爽やかな朝。 「今日は何しようか~また山にいこうか~!」 「そうだ!玄関にすだれが欲しいんだ。どんぐりですだれ、作ってみない?公園でどんぐりたくさん拾ってさ」 「いいね!いいよね。そうしよう。お弁当持ってみんなで自転車で行こう!」 上記の会話はすべて、私の独り言だ。 しかし独り言も大きな声で発すると周囲のひとがキャッチしてくれる、こともある。 とりわけミニマリストを目指し(挫折し)57平米の1LDKに5人で共存し

          どんぐりすだれ

          もっと泣かせてあげればよかった

          妖精と先生は家から自転車で20分ほどのところにある保育園に通っている。 いわゆる自然保育園で、毎日お散歩に出て、近くの里山や河原など自然の中で思う存分、五感を使って遊ばせてくれる。 少々行き渋ることはあっても、行けば「よそ行き」のお顔になって、妖精も先生も毎日楽しく通っているのだが今朝は二人とも様子が違った。 大変行き渋った。 二人とも玄関前で大泣きだ。 口では保育園に行きたくないと泣いていたけど、原因は今朝の過ごし方にあったのではないかと思っている。ここでは割愛す

          もっと泣かせてあげればよかった

          もらってきた!

          先生(3才)が公園の木の下に落ちていた花びらを拾ってきた。 「これ、もらってきた!」 「もらってきた?」 「うん、だってこれ、あの木のだもん」 確かに。 地面に落ちていたけど、この花びらはもともと木に咲いていたもの。 「拾った!」ではなく、「もらった!」と先生は認識したらしい。 子どもの発言にはいつも本質的なことが含まれてると思う。 例えば、人は勝手に地面に線を引いて、土地の所有権をつくる。 でも所有権のある土地も元は、土だ。地殻の表層だ。 誰のものかって

          もらってきた!

          絵描きがそろばん持ってきた

          昨日は私、絵描き、怒りんぼの妖精(以下、妖精)と三人で出かけた。 am6:00 先生と長男は、友人とテニスをするため歌いながら家を出た。 彼らは歳こそ30離れているが生まれながらの親友のようで、とにかくテンションが同じで我々はついていけない時がある。 絵描き、妖精、私で過ごす朝は静かで平和だった。 日頃、先生がいかに活発に活動されて家を破壊・・・もとい盛り上げてくれているかを、しみじみと実感した。 でもゆっくりはしてられない。 我々も出かけなければならない。 目的は二つ。

          絵描きがそろばん持ってきた

          学校に違和感

          いきなり悩み投稿。 一号(8歳1ヶ月)が学校から帰ってきた。 この日は6時間授業で16:00帰宅。 ただいまーの声もなく、重い空気を纏ってる。 「おかえりー」と言ってみるが 無言。 無言のまま、学校からのお知らせを出して宿題をやり始めた。 おそるおそる聞いてみる。 「学校で何かあったの?」 「・・・」 無視。 そして投げやりな姿勢で宿題を進める。 動揺を隠しつつ、母は一号の横で生協の注文書を書く。 気付いたら5キロの米を5袋注文していた。 動揺は隠せない。

          学校に違和感