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1ヶ月入院して感じた人生のこと

こんにちは、もーこです。
秋葉原で「株式会社MoWorks」というWebデザイン会社の社長をしています。

2021年11月末〜12月末の間、膠原病の一種で指定難病でもある「成人スティル病」と診断され約1ヶ月ほど大学病院で入院をしていました。
病気の詳しい経緯と体験談は下記に書いています。

今回、約1ヶ月の検査入院・治療を経て、入院生活のなかで考えたこと、感じたことが多くありました。
病室も何度か変わり、膠原病科ではない患者さんのいる病室も体験しました。

入院を通して様々な病状の患者さんと一緒の時間を過ごすことで人生観を見つめ直す大きなきっかけになったのです。

入院とは必ずしも喜ばしくはないことだとは思います。
ですが、私自身今回の入院生活を通して得たものも多く、復帰後の生活や働き方、ひいては自分の人生において何が大切なのかを大いに内省できる時間となったことは本当に良い機会を与えてもらったと感じています。

入院生活体験記

病室は特殊な空間

そもそも、この記事を書こうと思ったのは、入院が長くなるにつれ「病室」という場所はかなり特殊な空間なのではないかと考えるようになったからです。
その理由はいくつかあります。

  • 基本的に外から切り離された空間である(病院の生活ルールの中で運営されている)

  • 看護師さん、医師、その他限られた患者さんとしか触れ合わない

  • 弱っている人が集まり共に過ごす場所

  • 病気の治療、日常への復帰という目的は同じ

入院自体が日常から離れた非日常であるとも言えます。

病室について
基本、病室のメンバー(患者さん)は入退院で入れ替わることが多いですが、長く入院されている方もおり、固定のメンバーでずっと過ごすこともあります。
※こちらは病院のシステムや入退院の多い少ない時期、病名などによってかなり差があると思います
私のいた膠原病科の病室は長期治療が必要なことや年末年始という時期もありメンバー固定でいることが多かったです。

病室の基本情報

  • 6名1室の相部屋(レディースルームなので全て女性)

  • 年齢は40〜90代くらい(症状の程度はさまざま)

  • 空きベッドは基本なし(常に満床)

ここからが体験になります。

生きるための部屋

いちばん衝撃を受けた病室の話です。

その部屋は全く静かではありませんでした。

昼、夜もひっきりなしにピーピーと響く点滴の電子音。
音が鳴ると看護師さんがやってきて点滴を交換。
その病室は何をするにも自分1人では難しい方が多く、看護師さんが常に部屋に出入りをしていました。

口から食べ物や水が全く取れず4本管を繋げながら痰を頑張って吐き出すおばあちゃん。
その隣には骨が溶けてしまう病気で身体を少し動かすと大声で痛い、痛いここで死ぬー!と叫び続けるおばあちゃんが。
夜になれば、必ず子供の名前を呼び他人のスペースにまで入ってきてしまう方、夜3時頃にガサガサと音を立てたと思ったら急に着替えを始め荷物をまとめ病室からふらふらと出て行ってしまう方もいました。

昼間は皆、治療を頑張っていますが夜には本音が出てしまうのか、ここに居るのは自分のこと意思ではない、家に帰りたいという言葉を呟いているのを隣で何回も聞きました。

恐ろしく大変な部屋に来てしまった、と思いました。
と同時に、

  • 一日一日を生ききること

  • 今日は穏やかに過ごせた、そしてまた眠れば明日がやって来るということ

そういった当たり前のことが本当に素晴らしいことなのだと同じ病室の患者さんと過ごして肌で感じました。

比べてしまうことは良くないのですが、他の患者さんが自分の病気よりもはるかに重篤だったために自分の病気は本当に軽症で些細なことのように感じました。

この病室では「生きていること」自体が本当に素晴らしく感じたのです。

入院しているとほぼ毎日、患者さんのところに担当医が来ます。
どんなに病状が大変な方のところにも必ず来て、患者さんに調子はどうですか?と耳を傾けて話を聞いていました。
そして、こうしたい、こうしてほしいという患者さんの意向に沿うように治療の方針を決めていました。

病気は悪くなることもあります。
辛い状況にあることを患者さんに宣言をしている時もありました。
それでも、これからどうするかは患者さん本人に聞いていました。
それを見てどんな状況にあっても決断するのは自分自身なのだとも思いました。
しっかり向き合い完治する治療にするか、ここまでと決めて頑張らずに緩和を選ぶか。

自分の意思で病気と向き合い、自分の生き方で何が大切なのか、優先順位を決めていくこと
誰にでも生きることの選択肢がある。
自分の意思でどう生きるかを選択することを捨ててはいけない
のだと、そう感じました。

この病室で「今日この一日を生きていられた」こと。
これが何よりも価値があり素晴らしいことに感じました。

メンタルを保つ部屋

2番目の病室の話です。

この病室の患者さんは自分自身と様々な向き合い方をしていました。
そのなかでもメンタルの整え方が人それぞれで印象的でした。

  • 朝と夜に般若心経を必ず唱えてお祈りの時間を作る方

  • 自分自身の気持ちや状況を声に出して反省し、振り返りをする方

  • 看護師さんに自分の思いや過去を話して気持ちの整理をつけている方

この部屋にも本当に色々な方がいました。

身体は目に見えて快復し元気になっていくのに比例して、今までに出来ていたことが出来なくなっていることに気持ちが沈んでいる方もいました。
思った通りに出来ないし、他人に出来ないことを頼むのがもどかしい。
自分はここに居ると邪魔ものなんだと看護師さんに伝えている時もありました。
何度も出来ることと出来ないことへの折り合いをつけようと苦悩し、気持ちの整理をしていました。

今まで一人暮らし、何でも1人でやってきた芯の強い方のようでした。
自分の気持ち折れてしまわないように自分を保つ。
自分のためではなくて家族に会いたい、家に帰りたから頑張っているんだ、という強い想いも仰っていました。

究極の内省の場所

病室にいる時は基本的にひとりです。
相部屋では同室の患者さんもいますが、かなり仲良くならないと患者さん同士で話すことは無く、検査などが無い限りはほぼ1日中カーテンで区切られた自分のスペースの中で過ごすことになります。

入院が長くなってくると自分なりのルーティーンを見つけて生活をしていくようになりますが、毎日、たっぷりと自分自身の状態と向き合う時間のあるこの空間は、究極の内省の場所だと感じました。

この特殊な内省空間のお陰で私自身もこれからの生活や働き方について考える時間を持つことができました。

いくつかの病室を経験して得られたこと

思い起こせば今まで目の前の仕事で毎日を走り続けていました。
入院することで同じ病室の患者さんの人生や考え方に触れ、自分自身を振り返ることができ、今までの生き方や考え方を立ち止まって考えることができた天から与えられたギフトの時間と捉えています。

私はこれからの人生で何を大事にしていきたいか

  • 自分を大切にする

  • 家族を大切にする

  • 自分と関わってくれる人を大切にする

今生きている時間は尊いもの、自分にとって大切にしたい人と過ごすこと。

最後に、入院している間、看護師さんや医師のお仕事も目の当たりにし、ひとりひとりに向き合う大変な労働だと感じました。患者としては治療ということに対しては他に頼れる人が他にいません。入院の間、心の支えになりました。
退院というところまで来ることができた医療チームに感謝いたします。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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