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山崎樹一郎監督「やまぶき」~語らない美しさ、リアリティと寓話性~

すげぇ、ええ映画じゃった。。。(岡山弁)

山崎樹一郎監督は、祖父母の故郷だった岡山県真庭市に移住し、農業に携わりながら、日本の「地方」を舞台とした映画を制作している監督である。
このnoteでは、何度か書いたが、ボクも両親も岡山市の出身だが、父親の家系が、正にこの映画の舞台となった、岡山県北部の真庭市や津山市にルーツがある。
そのため、幼少時、両親と一緒に出かけると言えば、お墓参りや親戚の家など、真庭市、津山市に行くことがほとんどだった。
ボンエース!!(真庭市にあるスーパーマーケット)の看板が見える真庭の警察署や、やまぶきがサイレントスタンディングを行う、津山市の鶴山通りの交差点、旭川上流部に沿う、313号線、姫新線・・・見覚えのある風景の中で、繊細な人間の群像劇が描かれている今回の映画は、ボクにとって非常に魅力的だった。

いや、ボクの岡山への思い入れを差し引いたとしても、それ以上に、久々に、沈黙が意味を持つ、1シーンごとに繊細で記憶に残るすばらしい映画だった。

「リアリティ」と「寓話性」が交錯

しかし、多くを説明しない映画だからこそ、もしかしたら、説明が過剰過ぎる、昨今の映画や、テレビ番組を見慣れた人には、引っかかる部分が多いと思う。
もしかしたら、監督としては、わざと観客に印象付けて、観客の想像に委ねる意図なのかもしれない。
この引っかかりは何なのか、考えてみると、説明が少ない中での「リアリティ」と「寓話性」の交錯なのだと思う。

残念ながら、ボクは山崎監督の舞台挨拶やトークイベントに参加できなかったので、ホントなら直接山崎監督に聞いてみたい気もするけれど、それも野暮なのかな。

例えば、落石事故。
やまぶき(祷キララさん)とその父(川瀬陽太さん)の人生と、ユン・チャンス(カン・ユンスさん)の人生がぶつかる重要な交差点である。

いやぁ、都会に住んで、整備された道路しか走ったことが無い人には信じられないかもしれないけれど、恐らく、日本の「山」が杉とヒノキの人工林に植林されたのと時を同じくして、日本の山間部には、信じられないくらい細い山道、林道、農道がくまなく張り巡らされていていて、そんな山道、ボクも岡山県真庭市の山道、農道を何度も車で走ったが、「落石注意」の看板が至る所にあり、実際に実際に小さい崖の崩落現場を見ることもしょっちゅうなのである。
「落石事故」はまぎれもなく「リアリティ」である。
まぁ、あえて言わせていただくなら、それだけ頻繁に落石は起きているから、いくら地元の新聞でも、映画のように大きく報道はされんかもしれないなぁw
「真庭市の山道で落石事故、運転手一人重傷」
くらいの見出しで、地方面の下部に一段程度の記事で、その中に運転手採石会社員「ユン・チャンス」さんの名前があるくらいかなぁ。

しかし、その落石のリアリティと、やまぶきの父親が植物の「やまぶき」を採取する行為による小さな崩落が引き金になるのか!?
「わらしべ長者」の寓話を思い起こさせる。
ただ、映画としては、真実は何も語らない。「まさか」と「もしかしたら」のあいまいなところで観客に委ねる。

大金を巡るヤクザの攻防!?
これが面白いくらいに、説明が省かれているw
①何かヤバいことをやった。
②大金をつかんだ。
③仲間割れして、一人がその金を持ち逃げした。
拳銃を持っているくらいだから、かなりのワルなのだと思われるが、万国共通の「悪い組織」(ヤクザ、マフィア等々・・・)の典型的な筋書きをなぞって、説明を最小限に省いた描き方は、ある意味潔い!!
まぁ、チャンスが病院を抜け出して、車で通っていた採石場までの山道を、足を怪我した松葉杖で歩けるのか!?というツッコミもあるけれど、それも「寓話性」に振り切っていると思う。

逆に、チャンスの恋人、美南(和田光沙さん)は、リアリティに振り切っている。
小学生の父親を持つ身として、「学童保育」の先生(支援員・指導員)にスポットライトを当ててくれたことは、非常に意義があると最初に思った。
しかし、子どもとの関係性も、何故チャンスと同棲しているのかも、詳しくは何も語られない。
そこに現れる、美南の元夫。
その微妙な空気感、微妙な距離感を、この映画では繊細に描いている。
詳しい関係性を説明せず、観客に委ねることにより、観客一人ひとり思い当たる「身につまされる話」として、美南のエピソードは、観客にとって、より印象深くなっていると思う。

「家庭」から広い世界=「社会」へ

やまぶきは、サイレントスタンディングを始める。
やまぶきなりの、広い世界=「社会」に繋がりを持とうとする姿勢である。

今、ボクら自身は、大人になっているからこそ、仕事や社会との関係上、政治スタンスを表現することに躊躇する、あるいは、みて見ぬフリ、自分の中で、バランスを取っているふりをしているんじゃないかな。
小学校高学年から中学生で、世界史や地理を勉強して、なんとなく世界情勢、社会に興味を持ち始め、そして、高校生になって、自我に目覚めた頃、純粋に社会に興味を持って、何か行動を起こそうと思った人は、少なくないのではないかと思う。
しかも、やまぶきの母親は、あれだけ信念を持ったジャーナリストだった、そして、父親が警察官であるという家庭環境は、多感なやまぶきに、あれだけの行動を起こさせるには十分すぎる要素を、この映画は提供していると思う。

対照的に、韓国や、ここも多くは語られないが、輝かしい乗馬騎手として、広い世界を経験してきた、チャンスは、自分の安心する「家庭」を美南と子どもと築こうと奮闘するのだが、上手くいかない。
最後は、何とか牧場に安穏できる場所を見つけることができたようだが、その後の結末もこの映画は多くを語らないまま、観客に委ねて終わる。

ここまで黙して観客に委ねるならば・・・

ここまで書いたように、この映画がここまで沈黙を大切にして、観客に委ねる描き方を貫くとすれば、ボクとしてはどうしても、やまぶきの父親がやまぶきに説教をする場面で、急に雄弁になるところが、少し引っかかる。
うーん、山崎監督がどうしても言いたかったセリフなのかなぁ・・・

やまぶきの母親はジャーナリストである。
やまぶきの父親は、もっと迷ってもよかった。
やまぶきの父親は、警察という「権力」の象徴でありながら、もっと「人間」であり、「父親」であってよかったと思うのだ。

あの自宅のバルコニーで、やまぶきの父親は、無様に自分の娘に語り始めて、それだけで、非常に緊張感を持ったシーンは、始まっていたと思う。
最初の父親のセリフは、どうしても権威的にふるまってしまう父親の、正に父親像を演じる父親の「セリフ」過ぎて、やまぶきの父親の本心としてセリフじゃないように思えてしまうのだが。
ボクは、その「本心ではない父親像」という始まりから、父親の「本心」をもっとあぶりだしても良かったと思うのだ。

「最後まで聞け!」と言った後、ボクは、一言、やまぶきの反論、自分の行動が通じていく、「母親に対する思い」が一言欲しかったように思う。
「父親」であり、警察官であるやまぶきの父親の、「父親像」という虚栄を否定する、本心の「母への愛」「妻への愛」を突く一言である。
その後で、やまぶきの父親が、妻(やまぶきの母)の遺影を前に泣く姿を、山崎監督は入れている。
そこに父親の「本心」=「愛」はあった、と、ボクは確信する。
うーん、このnoteを書きながら気付いてきたけれど、「本心」は言葉にせず、ただ「泣く」という描き方が、この映画ならではなのかなぁ・・・

一般的な描き方とすれば・・・
恐らく、やまぶきの父親は否定すると思う。
長い沈黙の後、「でも・・・もう・・・母さんはいない・・・」
その後、父親は、虚栄と、娘を思う思いが入り混じった、ふわっとした言葉でいいのではなかろうか。
「お前は・・・お前のことをもっと考えろ・・・」
その後、二人の心が平行線のまま、あの砂丘のシーンに繋がっても良かったのでは?と思うのであるが、どうだろう?

あと・・・岡山出身者じゃないとわからん話かもしれんけど・・・
岡山駅前じゃのうて、大阪くらいまで行ってもええんじゃないの?と思ったw
チャンスが恋人美南の娘の服を、手に入れたヤクザの金で買いに行ったシーン。
うーん、真庭市から岡山市じゃあ、ボクのような岡山出身者にしか、その大変さはわからんのんよw
しかも、チャンスはタクシーに乗っていくので、映画だと、移動距離がようわからんw
鉄道マニアとしても、せっかくやまぶきの他のシーンで、姫新線津山線と思われるディーゼルカーを描いているなら、チャンスも、駅から出発して、新幹線に乗るくらいせんと、その移動距離は観客には伝わらないのではないだろうか??
まぁ、「大阪」でも「神戸」でも、別に地名を出す必要は無いし、服を買うブティックのロケ地も大阪じゃなくてもいいのだけれど、「新幹線に乗った」という描写があれば、「遠く(都会)に行った」という描写になるのでは?
プラスで、一言言わせてもらうと、チャンスの恋人美南の子どもの「誕生日」という描写がもう少しあればよかったのかな?と。
子どもが誕生日なのに、チャンスがいない→チャンスは遠くに行っている→誕生日の寝る寸前に、豪華な誕生日プレゼントを買って帰ってくる
という描写まであれば、チャンスが家族を大切にしたい思いが、大金を手にしたことによって空回りしているのが、もっとよく伝わったのかな、と勝手に思ってみる。

奇跡のシーン

母親が亡くなった中東の砂漠を思わせる、砂丘の中、母親のスカーフを纏ながら、靴と靴下を脱ぎ捨てて歩くやまぶき。

ボスターのイメージ写真にもなっているが、ホンマにええシーンじゃった!!

後で、パンフレットを読んで知ったのだが、靴と靴下を脱ぎ捨てるのは、祷キララさんのアドリブ演技だったという!
祷キララさん、最高!!

なるほど、こうやって奇跡の名シーンは生まれるのだな!と思いました。

いろいろな意味で、印象に残る、本当にボクの好きなタイプの映画でした!
山崎樹一郎監督の他作品や、次回作も是非観たいと思います!

みなさまにも是非オススメいたします!


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