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~オオカミ少年と不思議な仲間たち~ ①・3-5.6

第三話「赤い月と陰謀渦巻く王城と消えた姫君」-5・6

    
 

翌朝は、朝からどんよりと暗かった。

赤蘭月は魔の月である。
が、用心するのは夜であって、昼間は他の月と変わらず太陽が昇っている間は明るいのが普通だ。

昼を回ってから、ランたちは荷物を公園に隠し、出発した。

夜のうちにアージュに事情を離し、彼女も協力してくれることになった。

「その代わり、ことが無事に収まったら、王女さまにお礼をはずんでもらってよ」

——というのが、条件であったが。

ともかく、ランたちは昨夜と同じように城の北西にまわった。

北西側には住み込みの下働きや料理人たちが寝泊まりする建物がある。
が、今は皆、城内で働いているので、誰もいないはずだから見つかるはずもない。

ランが城壁を登ると、アージュもワンピースの裾をたくし上げ、器用に登ってみせた。

無事に敷地内に降り立つと、ランはひゅっと口笛を吹いた。

「アージュって、やっぱ、女の子らしくないよな」

「うるさい」

「痛てっ」

《静かに。今のうちに早く》

ランとアージュはばつが悪そうに肩をすくめると、足音を立てないように移動を開始した。

オードの提案で、今日はひとまず武器庫に潜り込むことになった。
そこは西側の区画にあり、屋内剣術場があるので訓練中の衛兵がいる可能性が高いが、昼食の時間ならばいなくなると考えたのだ。

衛兵たちの昼食時間は昼を回ってからである。正午は王族や大臣をはじめ事務官たちが昼食を摂る時間なので、衛兵やそのほかの使用人たちは遅めになってしまうのだ。

ランがそっと窓から中をうかがうと——
思った通り、衛兵の姿はなかった。

「誰もいないよ」

《よし、では入ろう》

剣術場の扉をオードが開け、ランとアージュは中に入った。

そこは建物の中だというのに、天井が高く、とても広かった。
壁際に敵に見立てた丸太に鎧を着せた人形が何体も立っていたので、ランは一瞬、人がいるのかと思って、ひやっとした。

「武器庫は?」

《北側だ。慎重にな》

ランとアージュは小走りで、武器庫に向かった。武器庫の鍵をまたオードが開け、中に入ると、ふたりは安堵の息をついた。

「ここまではうまくいったわね」

「で、どうする? 王女さまがいそうなところってわかる?」

ランとアージュが、ランの首にかかっているオードを見る。

《まだ未整理の古書が置かれている部屋がある。そこかもしれない》

「じゃあ、そこに行ってみる?」

「ちょっと待って。その前に。洗濯場はどこ?」

《洗濯場? え……》

「まさか、知らないの? ったく、侍女や下働きの服を手に入れれば動きやすくなると思ったのに。これだから、おぼっちゃんは。下々のことなんか関係なかったワケね」

「オード、城に詳しいって言ってたのに~~」

《……すまん》

オードは王女付きの護衛官だったのであって、基本的に王女が出入りしない場所には立ち入ったことがないのである。知らないのも無理はない。

「しょうがない。とにかく動きましょ。ひとつところに止まるのは危険だわ。夜のこともあるし、とりあえず古書室の場所を確認しましょ」

ランとアージュは様子をうかがいながら、武器庫から北側の通路に出た。

しーんと静まりかえった通路には人の気配はなく、二人は古書室への階段を上がった。
そうして、二階の北側にある古書室と隣接しているまだ未整理の古書が積まれている部屋に向かったのだが。

「あら?」

運悪く、通路の飾り台に置かれている彫刻にはたきをかけていた侍女に見つかってしまった。

(やっばー!)

ランはめちゃめちゃ焦って、その場に凍りついてしまった。

が、もともと肝のすわっているアージュは平然と侍女に話しかけた。

「あ、ごくろうさま。そこはもういいから、上の階をお願いしていいかしら?」

どうやら上流階級の令嬢を装ったらしい。服装をよく見れば、アージュが他国の人間だというのはひとめでわかるのだが、幸い、今日は曇りで通路は暗く、まだ灯りもともっていなかったので、侍女はすっかりだまされてしまった。

「はい、わかりました」

そうして、侍女が頭を下げた瞬間、アージュは素早く彼女に突進し、当て身を食らわせた。

「ふへ?」

侍女が気絶したのを見て、ランはマヌケな声を漏らしてしまった。

「よし、これで着替えられるわ」

勝ち誇った笑みを浮かべたアージュに、オードは半ば感心したように言った。

《アージュはたくましすぎる》

 

気絶した侍女を未整理の古書が積まれている部屋に運び、念のため、手首をしばり、声が出ないように布でさるぐつわをすると、本の谷間にうまく隠した。

残念ながら、この部屋に王女は潜んではいなかった。

アージュは侍女の服装に着替えると(侍女にはアージュの服をかけた)、ランにここで待つように言い、オードを連れて出て行った。

(オレ、ずっとひとり? この人が目を覚ましたら、どうすればいいんだよお~~)

さっきのアージュのように当て身を食らわせるなんて、器用なことができるわけがない。嘘をつくのも、たぶん下手だし。

——と、古くさい本の匂いを嗅ぎながら、いろいろ不安に思っていたら、すぐにふたりが戻ってきた。

「古書室にいた学者のじーさんには掃除をするからって、出て行ってもらったわ。あっちに移動するわよ」

《アージュの度胸には本当に恐れ入る。アージュの髪は目立つから疑われやすいとばかり思っていたのだが》

「堂々としてれば、こんなの平気よ」

「あははは……」

ランは半笑いで立ち上がり、アージュについて部屋を出た。

隣の古書室に入ると、さきほどの部屋と同じく、古くさい紙とインクの匂いがした。

立ち並ぶ本棚の位置を確認し、隠れる場所を決めると、今後の作戦会議となった。

「二手に別れましょ。あんたはオードといっしょね。誰のでもいいから、どっかで服を手に入れて着替えて」

「え~~、オレ、嫌だよ。めちゃくちゃ不安……」

ランが情けない声を上げたが、アージュは聞く耳持たずだった。

「効率悪いし、目立つでしょ。あ、時間になってあたしが戻らなくても気にしないで。あたしは平気だから」

「そりゃ、アージュは平気かもしんないけどさ……」

「いや、一緒に行動しよう、アージュの後ろにランが下働きのふりをして、本を抱えて歩くというのはどうだ? これなら、さしてあやしまれまい」

侍女が下働きに言いつけ、本を運んでいるように見えるという寸法だ。
本を積んで歩けば、ランの顔も服の刺繍もよくは見えないだろうし。

「うん。それでいこう、それで」

ランはすぐにこの案に賛成したが、アージュは不満げに口を尖らせた。

「え——っ」

「なんで、そんなに嫌がるんだよ? いっしょにいたほうが——」

そのとき扉が開く音がし、ランは口をつぐんだ。

誰か入ってきたのだ。アージュが本棚の陰からそっとうかがい見て、小声で言った。

「学者みたい。さっきのじーさんとは別の」

《先ほどと同じようにお引き取り願うか?》

「そう何度も同じ手は使えないわ。時間ももったいないし、ここから出ましょ。ラン、なんでもいいから本をたくさん抱えて。オードはあたしがこのまま預かるわ」

「わかった」

ランは手近な本を抜き取り、積み上げるようにして抱え持った。

「ん? 誰かいるのかね?」

学者の問いに、アージュが本棚の陰から出た。

「はい。ジャルグさまに頼まれた本を取りに参りました。すぐに失礼します」

せっかく覚えた大臣の名前を使わなきゃ損だと思ったのだろう。涼しい顔で嘘をついてアージュが扉に向かった。ランも続く。

「ん? ちょっと待ちたまえ」

 (な、なに⁉ ひょっとしてバレた?)

 ランはぎくりとした。

が、学者の次の言葉で、思わず本を落としそうになった。

 「妊娠・出産・育児の心構え……? ジャルグ殿は結婚でもするのかね」

 「さあ……? 私にはわかりかねますが。……失礼します」

 アージュは微笑を浮かべ、ランとともに古書室から出た。

通路をいくらか歩き、柱の陰になるところを見つけると、アージュはランの頭をはたくかわりにつま先で足を軽く蹴った。

「あんたね~~、変な本持ってこないでよ」

「そんなこと言ったって……」

「とにかく、行くわよ。オードは王女が隠れていそうな場所へ片っ端から案内して。誰かに呼び止められたら、適当にごまかすから」

そうして、アージュとランは城を歩き回った。

城は思ったより広く、そして、人が隠れられそうなところがたくさんあった。

ランたちは葡萄酒を寝かせてある地下の貯蔵庫や、晩餐会で使用される高価な食器やテーブルクロスなどをしまってある部屋や、外国の施設などの控えの間、身分ある客を泊めるための貴賓室——などなど、普段は使われていないような部屋を中心に見て回った。

もちろん、それらの部屋に入るときは、まわりに人の気配がないかどうか確認した。中に人がいた場合は「うっかり部屋を間違えました。失礼します」とアージュが微笑を浮かべて、早々に立ち去った。

しかし、これだけ回ったのにも関わらず、王女の姿を見つけることは結局できなかった。

「今日はあきらめる? 本当は王女さまを連れて古書室に潜んで、あいつらの話を聞かせる予定だったけど……しょうがないよね」

《仕方ない。夜中にでも探そう》

時間もだいぶ経ってしまった。

外は曇りでよくわからないが、もう夕刻に近い。

夜になる前に、古書室に戻らなければ——。

ランとアージュは西側の区画に戻り、二階の古書室への通路に入った。

と、そのときである。

階段を降りてきた内務大臣のジャルグと出くわしてしまったのだ。

 (ジャルグ……!)

 ランは一瞬、本を落としそうになった。

しかし、ジャルグはこちらが彼らの計画を知っていることは知らないのだ。

アージュは平然と頭を下げ、ジャルグの前を通り過ぎようとした。

が——。

 「ちょっと待て。おまえか、私に本を頼まれたと言っているのは」

 「いえ、私は学者さまに頼まれて本を戻しに行くところですが」

(やった! そのまま、うまくごまかしてくれ、アージュ!)

ランは心のなかで必死でアージュを応援した。

「そうか」

ジャルグが納得したようにうなずく。

今回の嘘もうまくいった——と思ったそのとき、ジャルグがランが抱えていた本の山から一冊抜き取った。

「じゃあ、これは? さきほど、私は学者のジアムにからかわれたのだぞ。『あんな本をお読みになるとは意外ですな。近々ご結婚でも? それとも愛人のどなたかがご懐妊ですかな』とな!」

ランは青くなった。

 (どうするんだよ、アージュ~~~~~!)

 当て身を食らわせようにも、さきほどの小柄な侍女と違って背の高い、しかも大人の男であるジャルグには無理だろう。

内心焦りまくっているランと違い、アージュは平然とこう言ってのけた。

 「間違えて持って出てしまったのです。暗くてよくわからなかったものですから」

 (すごい、アージュ! さすが! 肝がすわってるよ~~)

「なら、ジアムに呼び止められたとき、すぐに戻せばよかっただろう」

「すみません。他の方にも本をお届けするよう頼まれていたものですから……あとでいっしょに戻せばいいと思いまして」

(いいぞ、アージュ! その調子!)

ランは声に出さずに心からの声援を送ったのだが——
相手はそう甘くはなかった。

「なかなかおもしろいが……嘘はそのぐらいにしておけ」

ジャルグは口の端を歪めて笑うと、いきなりアージュのみつあみをつかんだ。

「深紅の髪か。そっちは金髪……西の者か?」

「離してください!」

アージュはジャルグの手を振り払った。

「もうっ、ラン! 見てないで、早く助けなさいよ!」

怒鳴られ、ランはハッとした。
そうして、すぐに持っていた大量の本をジャルグに向かって放り投げるようにぶちまけた。

ドサドサと床に本が落ち、いくつかの本はジャルグの肩や腹や足を直撃する。

ジャルグはたまらず床に膝をついた。

「くそっ……何者だ?」

「逃げるわよ!」

アージュがランの手を取り、走りだそうとしたのだが。

ランの目の前で、さらに驚くべきことが起こった。

いつのまにか陽が沈み、夜になっていたのだろう。雲間からのぞいた赤い月光が通路の窓から差し込んだ瞬間、

 

「うそっ……⁉」

 

アージュは悲鳴に近い声をあげて、ランの手を離した。
その拍子にランは通路に敷かれた絨毯につんのめり、転んでしまった。

「アージュ!」

顔を上げたランが見たのは、一匹の吸血コウモリだった。

首に鍵のオードをかけたそのコウモリは「キーッ」と鳴くと、開いていた窓から飛び去ってしまったではないか。

通路には、アージュが来ていた侍女の服が残されて——茫然と目を丸くしたままのランは驚きのあまりすぐに動くことができなかった。

 

      

 

オードを首にかけたまま、吸血コウモリは赤い月が見え隠れする空を飛び——例の古代の女神像があるという森に降り立った。

コウモリは木の枝にぶら下がった。
その拍子に、首にかかっていたオードが地面に落っこちた。

《痛っ……気をつけてくれたまえ》

——キーキキキッ

うるさいと言ったようだが、構わずオードは哀しげな声で話しかけた。


《アージュ……君は……君も呪われた血を持つ者だったのだな》


——キキッ、キキッ

どうやら、オオカミになったランと同じく、変身してしまうと人間の言葉がしゃべれなくなってしまうらしい。

 

《君は赤蘭月に吸血コウモリの魔物に襲われたのだな》

 

——キ——キキッ

またまた、うるさいと言いたげに、アージュが翼をばさばさと動かした。

《最近、元気がなかったり、急に私たちと別れるなどと言い出したのは、ひょっとして吸血コウモリになるのを見られたくなかったからなのか? さきほど、別行動をしようと言ったのもそのためか?》

すると、アージュが枝を離れ、オードのそばに降り立った。元は人間だからなのか、ちゃんと立てるらしい。

——キッ!

アージュは爪の伸びた足でオードを蹴っ飛ばした。

《痛い! なんだか、ますます狂暴になっているような気が……》

さらに蹴っ飛ばされた。

《わ、悪かった! 訂正する! たとえコウモリになったとしてもアージュらしさは失われてないのだな、と言いたかったのだ!》

今度は踏んづけられた。言い方を変えたところで、言ってしまったことの中身は変わらないと言いたいのだろう。

《悪かった。頼む、足をどけてくれ》

アージュは素直に足をどけた。


《ふー……やれやれ、それにしても驚いた。アージュだけは普通の人間だとばかり思っていたのに。私たち三人とも呪われた血を持つ者だったとは》

 

ランやオードを気味悪がらずに拾ったのも、アージュが単なる変わり者だというワケではなく、こういう事情を抱えていていたからなのだと納得がいった。

アージュは空を見上げて、キキッと短く鳴いた。

城に残してきたランを心配しているのだ。

それはオードも同じだ。
あの状況では無事に逃げられたとは思えない。

《アージュ。私は鍵になってからこの方、鍵になったことを嘆く日のことが多かった。が……その反面、鍵であることの利点もいろいろあった》

オードは明るく力強い声で、続けた。

《我々の利点を生かし、ランを助けに行こう》

 

 

その頃、ランは。

剣術場でグラド公とジャルグの前に引き出され、城の衛兵に両腕を取られて床に膝をつく格好で押さえつけられていた。

「まだ子供のようだな。刺繍から察するに、エルクラーネ——いや、しかし、髪の色からすると西方の者かと思われるが……」

グラド公がランをまじまじと観察し、ジャルグが威圧的な声で問う。

「おまえ、スパイか?」

ランはムッとした顔で、言い放った。

「オレはどこの手の者でもないよ。王女さまがいなくなったって聞いたから、捜してただけだ!」

「王女の心配をしたというのか? たわけたことを……」

ジャルグが鼻で笑った瞬間、ランは「嘘をつけばよかった」と後悔した。
勢いにまかせて素直に言ってしまった自分をバカだと責めるが、もう遅い。

そのとき、衛兵のひとりが剣術場に入ってきた。

「未整理の古書室から侍女が見つかりました。襲われて服をはぎ取られたと思われます。これを——」

衛兵がジャグルに差し出したのは、アージュのワンピースだった。

「この刺繍はどこのだ? 見たことがないが……どこか遠い大陸のものか? あとで学者たちに調べさせろ」

「はっ」

ワンピースを手にその衛兵が出て行くと、今度はグラド公が訊いてきた。

「ルーシェをさらったのは、おまえたちか?」

「ンなワケねーだろ! オレたち、王女さまを捜してんだから」

「なぜ、捜す? では、仮に探していたとして、いったい誰に頼まれたのだ?」

「それは……」

オードの名前を出してはダメだ。

ランが口をつぐむと、グラド公はランの目を覗き込むようにして言った。

「フン……下手な言い訳しおって。王女をさらい、デリアンとの仲を決裂させようという魂胆か?」

「違うよ! それはあんたたちの計画だろ? そのデリアンとかいう国の王子との結婚をやめさせて、そこのおっさんの嫁さんにしようっていう魂胆のくせに!」

おっさん呼ばわりされたジャルグは肩眉を跳ね上げた。

「そのような作り話、誰が信じるか」

 

「作り話じゃないって! 王さまを暗殺する計画まで立ててたくせに!」

 

さすがにジャルグとグラド公の顔色が変わった。ランが密談の内容を知っていることがわかったからだ。

「王暗殺……?」
「どういうことだ……?」

ランの衝撃的な発言に衛兵たちがざわつく。

グラド公は一瞬だけ苦い顔をしたが、すぐに平然とした声で言ってのけた。

「よくまあ、そのような嘘をすらすらと」

「嘘じゃないって!」

ここまできたら、もうヤケだ。ランは衛兵たちに向かってわめいた。

「オレが言ったことはホントだって! あんたたち、王さまが暗殺されてもいいのかよ⁉ こいつら、王さまの薬に少しずつ毒入れてんだぜ? そんでもって……」

「ええい、うるさい! こいつを黙らせろ」

グラド公が怒鳴ると、衛兵のひとりがランの頭をぐっとつかみ、床に押しつけた。

背中を踏みつけられ、肺が圧迫される。苦しくて声が出ない。

(……ぐっ……苦しい……くそっ)

子どもひとりの力ではどうにもならない。大人ふたりの力を跳ね返せる体力は、悔しいがランにはない。

ランの瞳だけは鋭くグラド公とジャルグをにらみつける。

「そのような目をして。生意気な。嘘で我が国を混乱させるつもりだろうが、そうはいかないぞ。魔物を仲間にしているような輩の言うことを誰が信じるものか」

ジャルグが靴先でランの頭を蹴りつけた。

ランの額が傷つき、血が滲む。

「くそっ……」

それでも、ランはにらみつけるのをやめなかった。

グラド公は「フン」と苦々しく鼻で笑ってから、ランから目をそらし、衛兵たちに命令した。

「この者を地下牢に放り込んでおけ。明日にでも仲間の居場所を吐かせるのだ」

 

ランは地下牢に放り込まれた。

両腕を後ろで縛られ、さるぐつわをされ、左足を鎖でつながれてしまった。身体の自由を奪い、一晩、絶望を味わわせ、吐かせるつもりなのだろう。

(仲間の居場所を吐けって言われても、どこに飛んでっちゃったのか、わかんないよなあ……)

そもそも、アージュが「呪われた血を持つ者」だということも知らなかった。

アージュが自分やオードを拾ってくれたのは、アージュも同じ境遇だったからなのだと、ランは改めて気づいた。

(アージュは変わってるだけで普通の人間だと思ってたのに……だまされた~~)

そう思うと、なんだかおかしくて笑いたくなってきた。

こんな状況なのに、ランはなぜか楽しい気分になってしまった。

そうして、いつものようにお気楽にこう考えた。

(アージュとオード、そのうち助けに来てくれるよね……あーあ、おなかすいた~。なんでもいいから食べさせてくんないかなあ)

アージュとは別の意味で、たくましい精神の持ち主であるランであった。

 

 

それから、どのくらい時間が経ったのだろうか。

こんこん、と金属が軽く叩かれる音に、ランはハッと目を覚ました。

いつのまにか眠っていたのだ。

「ん……? なに?」

音のする方を見ると、眼鏡をかけ髪をひっつめにした、まだ若い侍女がひとり、鉄格子の向こうからランプを持ってこちらを見ていた。昼間、アージュが気絶させた侍女とは違う。

彼女は「しーっ」と指を立てて静かにするよう、ランに促した。

「グラド公とジャルグが王暗殺を企てているというのは、本当なのですか?」

うんうん、とランは二度うなずいてみせた。

すると、侍女は鍵を開けて牢の中に入ってきた。
そうして、ランのさるぐつわをはずし、両腕と左足の縛めも解いてくれた。

「あ、ありがと……えっと」

「しっ、声を小さく。見張りは眠らせてありますが、いつ誰に気づかれるともわかりませんので」

こくっと、とランがうなずく。

それから、侍女は驚くことを口にした。

 

「わたくしは……この国の王女フィアルーシェです」

 

「ふへ?」
「しっ! だから、声を小さく」
「ご、ごめん。びっくりしたから……」

まさか、王女さまが自分から姿を見せて、しかも、ランを助けてくれるとは。

王女はめがねを外し、髪の毛をほどいた。
栗色の大きな瞳。頬はバラ色で、愛らしいというよりは美しいと表現するのがふさわしい高貴な雰囲気である。

思わず緊張してしまったランに構わず、フィアルーシェ王女は言った。

「まずは質問に答えて、あなたはなぜ、わたくしを探していたの?」

「ええっと……それは……」

オードは王女に呪われた血を持つ者になってしまったことを知られたくないのだ。そのことを思い出し、ランはオードが鍵になったことを伏せて話すことにした。

ランは逆に王女に質問した。

「王立騎士隊にいたオードレックって覚えてます?」

王女の顔色が変わった。驚きに、大きな瞳をさらに大きく見開いた。

「あなたはオードを知っているの?」

「はい。オレ、オードの友だちで、ランっていいます。王女さまが行方不明になったっていう噂を聞いて、心配したオードに頼まれて、こうしてお城に……」

「あなたがオードと知り合いだという証拠はありますか? それにあなたは魔物の仲間がいるとか……。ことがことです。それを聞かねば、わたくしはあなたを信用するわけにはいきません」

「えーと……」

証拠と言われても困る、と黙りかけたランは例の古代の女神像のことを思い出した。

王女とオードのふたりでお忍びで行ったこと。四つ葉のクローバーを摘んだことなどを話すと、王女はおだやかな表情になった。

「それはわたくしとオードのふたりだけしか知らないことです。わたくしはあなたを信じます。オードは無事なのね……よかった……」

王女は上品な動作で、服の袖でそっと涙をぬぐった。

「でも、オードはなぜ城に戻ってこないのです? ひょっとして、怪我でもしているの? それとも病気なの?」

ランはとっさに作り話をした。

「オードは王女さまを襲った魔物にさらわれて気を失ったんだそうです。で、森で倒れてたオードをオレたちが拾っ……いや、助けたんですけど……オードは病気で動けなくなって、それでオレたちがこの城に」

本当は森に落ちていたオードを拾ったのだし、病気で動けない——というのも、呪われた血によって鍵の姿となり自力では動けないのだから、あながち嘘ではないだろう。

「オードの病気はひどいの?」

「……今はちょっと」

と、言葉を濁したが、ランはすぐに明るい声で付け足した。

「でも、必ずよくなりますよ。実際、前より良くなってきてるから」

「そう……それはよかった」

王女はちょっと安心したように笑った。

「王女さまはオードのことが好きなんですよね。だから、どっかの王子の嫁さんになんかなりたくなくて、いなくなったりしたんですか」

うっかり思ったことをランが口に出してしまうと、王女の頬はたちまち赤く染まった。

「いやだわ、恥ずかしい……でも、本当です。だから、侍女になりすまして、城を出ようと思ったんですけど……オードと女神像を見に行ったときと同じように、侍女の格好をすれば簡単に外に出られるのはわかってましたから」

ただ王女は病気がちな父王が気がかりだった。自分が行方不明になってから、床にふせってしまった父が心配で出るに出られず、戸惑っているうちに、数日が経ち——

昨夜、ランたちの騒動によって、叔父と大臣の陰謀を知ったというわけだ。

「どうりであちこち探してもみつからなかったわけだ……侍女として普通に働いてたんですよね?」

「ええ、疑う人はいませんでしたわ。でも、夜は侍女たちの部屋に入るわけにはいきませんから。こっそり貴賓室で寝たりしてました」

「なるほど……」

繊細そうな王女のたくましい一面を見て、「女の子ってやっぱり肝がすわってんのかな」とランはちらりと思った。

王女は祈るように手を合わせた。

 

「オードに会いたい……」

 

「きっと、会えますって。でも、今は王さまを守らないと」

「ええ。お父さまを暗殺するだなんて、絶対に許せません。でも……どうしたら……」

不安げにうつむく王女に、ランは明るく言った。

「王女さまは王さまのそばにいてあげてください。オレはオードのところに戻ります。オードなら、きっとどうすればいいか良い案を出してくれると思います」

ひとまずランはここから逃げ、オードの知恵を借りて対策を練り、すぐに戻ってくることを約束した。

「そうね。それがいちばんいいわ」

「あ、そうだ。最後にひとついいですか」

「なあに?」

「あの魔物の女の子ですけど、いいヤツなんです。実際、オードもオレも彼女が助けてくれなかったら、どうなってたかわかんないし……」

「わかりました。呪われた血を持つ者でも邪悪なものでないと信じます。だって、オードの恩人ですものね」

王女は微笑んで、めがねをかけ直した。

それから、ランは王女に連れられて、そっと、地下牢から抜け出した。

眠り薬でも飲まされたのか、地下牢の入り口にいる見張りは気持ちよさそうに眠りこけていた。

それでも気をつけるにこしたことはない。音を立てないように階段を上がり、ランたちは一階の通路に出た。暗くてよくわからないが、西側の区画だと思われた。

「こちらへ」

ランプの火を消し、足音を立てないように進む王女の後ろを、ランも慎重に歩く。

が——まだ仲間がいるかもしれないという警戒を強めていたのだろうか。
見回りの衛兵にすぐに見つかってしまった。

「誰だ⁉」

「あ、あの……この者の具合が悪いので、お薬を取りに」

「薬だと? なら、おとなしく寝ていればいいだろう。なぜ、一緒に取りにいくのだ?」

「そ、それは……」

衛兵が持っていたランプの明かりをこちらに近づける。

「ん? おまえは……」

 

(しまった! 気づかれた⁉)

 

ランは身を固くした。

が、さらに最悪なことが起きた。

めがねをかけた顔で必死に芝居を続けようとした王女を、しかし、衛兵は見破ってしまったのである。

「もしや、王女さま⁉」

「い、いえ、わたくしは……」

その一声で、正体はもうバレバレだった。

王女はめがねを外し、ランを守るように両手を大きく広げた。

「この子はわたくしのお友だちです! わたくしが行方不明になったと聞いて心配で城に入り込んだだけなのです!」

「え……」

その衛兵が戸惑っているうちに、次々と他の衛兵たちが駆けつけてきた。

「王女さま!」
「王女さま、よくご無事で……」
「やはり、この者が王女さまをさらったのですか?」

「違います!」

王女はきっぱりと否定した。それは毅然とした美しい声だった。

衛兵たちは黙り、王女を見つめた。

「それより、みんな助けてちょうだい! 叔父さまとジャルグはお父さまの命を狙っているのよ!」

「ええっ」
「そ、それは……」

たちまち、ざわめく衛兵たち。
王女の言うことの真偽をはかりかねているのだ。

と、そこへ。さらに最悪な人物がふたり現れた。

「なんのさわぎかと思えば……ルーシェではないか!」
「フィアルーシェさま。今までどこにいたのです? 心配していたのですよ」

「叔父さま……ジャルグ」

王女は蒼白になった。

そんな王女に向かって、グラドは威圧的に言った。

「なにを吹き込まれたのかは知らないが……そのような子どもの言うことを信じるとは、どうかしているぞ。ルーシェ」

「叔父さま……でも、叔父さまがお父さまを亡き者にしようとしていると」

「なにをバカなことを。私が兄王を殺すなどと、そんなことするわけないだろう? 私は弟なのだぞ?」

グラド公が王女をにらみつける。気の小さい者なら、誰も身をすくめて逃げ出したくなるような——恐ろしさだった。

が、王女は負けなかった。

 

「わたくしはこの子を信じます」

 

一瞬、場がしんと静まりかえった。

しかし、すぐにその静寂をジャルグが破った。

「王女はご乱心のご様子。ご静養が必要だ。お部屋にお連れしろ」

だが、衛兵たちはすぐには動かなかった。どうしたものかとためらっているのだ。

「早くしろ。これは命令だ」

王女の後ろで、ランは自分の無力さに唇をかんでいた。

(くそっ、こういうときにオオカミに変身できたらいいのに!)

そうすれば衛兵たちは恐れをなし、王女を背に乗せ、ここから逃げることができるだろう。

けれど、夜空にかかるは赤蘭月の赤い月。

あれではダメだ。

武器もなにも持っていないし、いったいどうしたら……。

ふいにランはズボンのポケットに手を入れ、金貨を一枚取り出した。

ダメもとで、じっとそれをにらみつける。

 

(これが黄蘭月だと信じるんだ! これは黄蘭月……黄蘭月……)

 

ランは必死で念じた。

脳裏に祭りの夜、飾り人をやったときのことがよみがえる。

モミの大樹のてっぺんで振り仰いだ黄蘭月。

あの金色に輝く光を——思い出せ!

「ラン……⁉」

異変に気づいた王女が振り返り、悲鳴に似た声を上げた。

ランは見事にオオカミに変身していた。


——ガルルルル……

(オレが王女さまを守ってみせる‼)

——オオーン!


ランは牙をむき、ジャルグとグラド公に向かって吠えた。

「ま、魔物……」

「おのれ、こやつも魔物だったとは!」

ジャルグが腰の剣を抜いた。

が、ランはひるまなかった。
王女をかばうように前に回り込み、牙をむき、唸る。

そのときだった。

バサバサと羽音が聞こえたかと思うと、どこからともなくコウモリが飛来したのだ。

首にはオードがかかっている。アージュだ!

(アージュ!)

アージュとオードはランを助けるためにふたたび城に潜入し、この場に駆けつけたのである。

オオカミにくわえ、吸血コウモリまであらわれたのだからたまらない。
アージュの登場で衛兵たちは堰を切ったように我先にと走り出した。

「うわあ、魔物だ!」
「逃げろ!」

衛兵たちは蜘蛛の子をちらすように、この場から逃げ出していく。

そうして、グラド公とジャルグだけが残された。

「ジャ、ジャルグ。なんとかしろ」

グラド公はジャルグの背中に周り、彼を盾にした。

——キキッ!

そんな卑怯で臆病者のグラド公に向かって、アージュが飛びかかった。

首筋に噛みつき、血を吸うかと思いきや——鋭い爪でひっかいた。

「うわあ! た、助けてくれっ」

グラド公は情けない悲鳴を上げて、しゃがみ込む。

一瞬、それに気を取られたジャルグの隙をついて、ランはジャルグを突き飛ばした。

その拍子にジャルグが剣を床に落とした。とっさに王女が拾い上げ、ジャルグに取られないように自分の後方に放り投げた。

(王女さま、エライ!)

「ラン、叔父さまたちを地下牢へ!」

 それから、吸血コウモリになったアージュとオオカミになったランは、ジャルグとグラド公を追い回した。

ふたりが右に逃げようとすれば、アージュが右に回り、後ろに退こうとすればランが立ちふさがり——というように追い立て、そうしてうまい具合に牢獄に閉じ込めることに成功したのである。

ランが扉を閉め、身体を横におしつけるようにして開けられないようにし、駆けつけた王女が鍵を閉めようとした。

が、この騒ぎでどこかに落としたのか、ポケットをいくら探っても出てこない。

「どうしましょう……鍵がないわ」

 

《鍵ならここに!》

 

オードの声がし、王女はハッとなって滞空していたアージュを見た。
首にかかった鍵を取り、牢屋の鍵を閉める。

魔法の鍵であるオードは、どんな扉でも箱でも開けられるのと同時に、どんなものでも閉めることができるのだ。

「フィアルーシェさま! なぜ魔物の味方などするのです⁉」
「ルーシェ、なにかの間違いだ。話せばわかる。ここから出してくれ!」

 そう叫ぶジャグルとグラド公に対し、鉄格子越しに王女はきっぱり告げた。

「叔父さま、ジャルグ殿。真偽のほどが明らかになるまで、ここにいてもらいます」

その瞬間、

——オオ——ン!
——キキッ、キキッ!

地下牢に、オオカミと吸血コウモリのうれしそうな鳴き声が響いたのだった。

 

 (第三話 6・7 に続く…)


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