見出し画像

第二巻~オオカミ少年と伝説の秘宝~ ①-1

第一話「湖畔にたたずむ古城と吸血鬼伝説」-1
 

    
 
 ぽつぽつと雨が降ってきた。
 山深い森の中で――枝葉を叩く雨の音にアージュは目を覚ました。
「ん……雨?」
 目をぱちっと開けると、横でぐーすか眠っている少年のアホ面が目に入った。枝葉をすり抜けた雨粒が額や頬を叩きはじめたのに、まったく起きる気配がない。
それもそのはず、たぶん夜明けとともに自分たちが眠ってから、まだ三時間も経っていないはず……だからである。
 アージュは自分の寝袋を丸めると。ランの肩を揺すった。
「ラン! ちょっと、起きなさいってば!」
 が、ダメだった。アージュはすっくと立ち上がると、一度仕方なくと行った感じで軽く肩をすくめ――。
 まるでボールを蹴り上げるかのように右足を振り、ランを思いっきり蹴飛ばした。
 
「起きなさ――――――――いっ!!」
 
次の瞬間、
「痛って――っ!」
雨に煙りはじめた森の中に、実に痛ましい少年の悲鳴が響き渡ったのだった。
 
 大木の下で、ランは涙目でアージュに蹴飛ばされた腰をさすった。
「なんで起こしてくれなかったんだよ~~、オードぉぉぉぉ」
 恨みがましく胸にかかった鍵をにらみつけると、
《すまぬ……私も熟睡していたのだ。寝不足だったからな》
 四つ葉のクローバーを模した鍵は青年の声で素直にあやまった。
 ふたりの寝不足の原因はズバリ、アージュである。
 今は赤蘭月。夜になって赤い月が昇ると、アージュは吸血コウモリに変身する。
 そう、夜行性の吸血コウモリに合わせて旅をしているため、今は夜になると行動し、朝になると野宿するという夜型になっているのだ。
 しかし、もともと朝型だったランやオードの習性がそう簡単に変わるはずもなく……夜は眠い目をこすりこすりアージュについて歩き、朝になると寝袋に潜り込んで爆睡というパターンが続いているのだ。
「たまにはベッドで眠りたいよぉ。雨降ってきたし、今夜ぐらいはどっかに宿とろうよ。お金には困ってないんだしさ~~」
確かにお金には困ってない。
それどころかびっくりするくらいの金額を三人は所持している。
グランザックの都グランザリアの王城にて、王弟と内務大臣による王毒殺計画を見事に阻止したランたちは、
「国を救ったお礼に」
とフィアルーシェ王女から、「保存食と薬草がたくさん入った」トランクをもらったのだ。――で、それを開けてみたところ、一年は楽に暮らせそうなくらいのお金が蓋の裏に隠されていたのである。魔物に報奨など――と反対した大臣でもいたのだろう。だから、王女が敢えて見つかりにくいところにこっそり忍ばせておいてくれたのに違いない。
「あたしが夜になったら、変身するのに? 宿取るの?」
「部屋の中でじっとして、外に出なきゃいいじゃん。そうしたら、誰にも見つからないよ」
「イヤよ、そんなの。夜は飛びたいの! じゃないとイライラがたまって、ますますあんたのこと叩いたり蹴っ飛ばしたりするけど……それでもいい?」
「フツーにしてたって、叩いたり蹴っ飛ばしたりしてるじゃん!」
「うるさい!」
 アージュがランの頭をぽかりとはたいた。いつものことだ。
《……ラン、あきらめたほうが身のためだ。我らのリーダーはアージュなのだから》
「さすが、オードは大人ね。ものわかりがいいわ」
 勝ち誇ったようなアージュの微笑みに、ランは抵抗をあきらめた。
 


 この世界は毎月、月の色が変わる。
 黄蘭月、緑蘭月、赤蘭月、青蘭月、紫蘭月、白蘭月、黒蘭月――月の模様が蘭の花に似ているため、こう呼ばれている。
 このうち、「魔の月」と呼ばれるのは、赤蘭月、紫蘭月、黒蘭月。
これらの月の下で魔物に襲われた者は「呪われた血」を持つ者となる。特に昼も夜も暗く一日中魔物たちが徘徊する月となる黒蘭月がもっとも人々に恐れられている。
 アージュは昔、赤蘭月に吸血コウモリの魔物に襲われた。
なので、それ以来、年に一度、赤蘭月がめぐってくると月が昇る夜のうちは吸血コウモリに変身してしまう宿命を負っているのだ。
 かくいう、ランも黒蘭月に魔物に襲われたため、黄蘭月になると銀色のオオカミに変身してしまうのである。
 鍵であるオードは二年前の紫蘭月の最後の夜に魔物に襲われた。
彼の場合、紫蘭月の夜のうちだけ人間の姿に戻れるらしいが、出逢ってからまだ紫蘭月がめぐってきてないので、ランとアージュは十七歳だというオードの顔を知らない。知っているのは、彼がこの国――グランザックの元王立騎士隊の騎士で、フィアルーシェ王女付きの護衛官であったことぐらいだ。
 およそ半月前、グランザックの王都、グランザリアを出たランとアージュとオードは進路を北西に取った。北西にはグランザックと隣国デリアンとの間に横たわるグオール山脈がある。
 とりあえずはデリアンを抜け、西へ。それが大雑把なこの先の旅の予定だった。
 本当は海沿いを行くほうが早いのだが、赤蘭月の間は夜になって赤い月が昇ると、アージュが吸血コウモリに変身してしまうため、なるべく人目につかないルートを選んだのだ。
 赤蘭月は魔の月。赤い月が昇ると、魔物が徘徊すると言われている。だから、人々は陽が沈むと固く門戸を閉ざし、外に出歩くことはない。
 月が昇ってから出歩くという一見、無謀な行動は、ランたちが実は「呪われた血を持つ者」だからできるのだ。その証拠に、今まで、山深い森の中だというのに魔物に襲われたことは一度もない。
「オレ、まだ眠いよ……」
 ランが腰をさすりつつ、ふわああああ――と大きなあくびをかます。
「しょうがないでしょ、雨が降って来ちゃったんだから」
 アージュが「あたしだって眠いのよ」とにらみつけると、オードが心配そうにふたりに言った。
《これから雨期に入る。寝泊まりの問題は切実だと思うが。私は構わないが、ふたりともヘタをすれば風邪をひくぞ》
 オードの言う通り、赤蘭月の中頃から後半にかけては雨期だ。天気はぐずつきやすく、空気はじめじめと重くなる。
「でもさ、こんな山の中に町とか村なんてあるの?」
ランの問いに、アージュが荷物の中から地図を取り出して広げた。
「ええ……と、昨日、タガンっていう村を通ったから……」
 ランは横から地図をのぞき込んだ。ランにはよくわからないが、胸元のオードはすぐに現在位置を把握したらしい。さすが元はこの国の人間である。
《もう少し先に行けば、グオール湖がある。湖の近くに……》
「あ、これね。北グオール村」
 場所を確認すると、アージュはさっさと地図を畳んだ。
「あと三〜四時間もすれば着くかしら」
「えーっ、そんなに歩くの?」
「じゃあ、夜になるのを待ってもいいのよ? あたしは飛んでくから、あんたたちはあとから来なさいよ」
「ええ――っ、ずるいよぉ――!」
「じゃあ、また根性でオオカミに変身すれば? そうすれば、何倍もの速さで走れるでしょ?」
「そんな簡単に言われても~~」
 ランは一度だけ金貨を見て根性で変身したことがある。しかし、それが癖になったらどうしてくれるのだ?
 口を尖らせたランを相手にせず、アージュは立ち上がった。
「とにかく、歩きましょ。初夏とはいえ、雨だと冷えるわ。動かないと手足がかじかんじゃう」
 
            


 
 霧雨の中を、ランはアージュについてひたすら歩いた。
地図が読めないランはこうしておとなしく彼女についていくしかないのだ。はぐれたりしたら、それこそ森の中でのたれ死に――なんて、悲惨な末路を辿りかねない。
 そうして、冷たい雨にかじかむ手をさすりながら、二〜三時間歩いただろうか。
 アージュの足がいきなりぴたっと止まった。
「ん――……ん、ん、んんんんんん」
 困ったような不機嫌なようなアージュの唸りに、ランは嫌な予感を抱きつつ、おそるおそる口を開いた。
「もしかして……迷った、とか?」
「うるさいっ」
 振り向きざま、頭をぽかりとやられた。やはり図星だったのだ。
《迷ったのだな?》
「うるさいっ」
 オードのつぶやきに、ランはまたまたぽかりとやられた。
「だ〜か〜ら〜、なんでオレがぁ?」
《……すまない、ラン》
 涙目になって頭をさするランに、オードがあやまる。
 鍵の姿のオードのかわりにランの頭が犠牲になるのは、いつものことだった。
黄蘭月の初めにアージュと出逢ってから、ランは何回頭をぽかぽか叩かれたかわからない。最近では、そのせいで背がなかなか伸びないんじゃないかと疑っているくらいだ。
「まだ迷ったって、決まったわけじゃないわ!」
 負けん気の強いアージュが、空を仰いだ。
 が、雨のせいで太陽が見えないので方角がわからない。木立は深く目印になるものはおろか、「北グオール村こっち」とか示してくれる標識もない。
 嫌なことに、あたりがだんだん薄暗くなってきた。
このまま陽が落ちて、雨が上がれば……いつもと同じパターンだ。
しかし、雨のままで赤い月が見えなかったら、アージュは人間の姿のまま。村にたどり着けば、誰にもあやしまれることなく泊まれるはずだ。
 それになにより、冷え切った手足をあたため、寝不足の身体をふかふかのベッドで休みたい。
「オレ、ちょっと周りの様子を見てみるよ」
 ランは言うが早いかいちばん近い木に手をかけると、するすると登りはじめた。木登りは得意なのだ。
 かなり上まで登り、視界が開けたところでランはいったん登るのをやめた。頭上には重たげな雲が広がっており、これからさらに雨が強くなることが予想された。
 ランは目の上に手をかざし、ぐるりと周囲を見回した。
 すると――今まで見たことのない変わった風景を見つけた。
「あれって……」
 濃い緑に囲まれた中に、ほぼ楕円形に浮かぶ水面は。
《小さいが湖だ。グオール湖に違いない……ん、あれは?》
 湖に面した崖の上に、小さな城が見えた。この薄暗いのに明かりもないということは遺跡かあるいは誰も住む者のいない古城か。
「お城だ! やった、あそこに行けば寝られるかも!」
 疲れを一気に吹き飛ばし、ランがすぐに下に降りてアージュに報告すると、
「とりあえず、行ってみましょ。誰も住んでないならタダで寝泊まりできるし」
 と喜んで賛成してくれた。
アージュは、本当はお金に困ったら「ちゃちゃっと盗みに入ればいい」ぐらいのことは思っているのだが、生真面目なオードが反対するのでランの住んでいたクルリ村以来、盗みには入っていない。なので、自然、倹約傾向が強くなったようだ。
「もお、屋根があるなら、どこでもいいって感じ~~」
《今夜はぐっすり眠れるといいな、ラン》
 オードが苦笑まじりにそう言った直後、がさり、と背後で枝葉の鳴る音がした。
「――!?」
 野生の獣か? と思い、とっさに身構えたアージュとランが振り返ると、
 
「ああ、声が聞こえたから……やっぱり人間だった……よかったあ」
 
 と、いささか情けない声とともに、ひとりの少年が木立の中から現れた。
 今や純粋な人間ではなくなっているランたちは一瞬ドキッとしたが、少年の姿を見てホッと息をついた。
 歳の頃は十四、五歳ぐらいか――栗色の、少し縮れた髪の少年がランとアージュを見、きょろきょろと辺りを見回す。
「あれ? 大人の男の人もいっしょじゃなかったの?」
「え?」
「声が聞こえたような気がしたんだけど……気のせいかな」
 鍵がしゃべるなんてことがバレたら一大事だ。なので、オードはランとアージュと三人でいる時以外は口を固くつぐむようにしている。
「あ、今のはたぶん、この子の声よ。今、風邪気味なの。この雨のせいで」
 アージュがとっさにランを見て言い繕うと、ランはごほごほと咳き込む振りをしてみせた。
少年は遠慮のない目でアージュとランをじろじろ見た。
「君たち、こんな山の中でどうしたの? 道に迷ったの?」
 子どもふたりで、荷物を三つも抱えた旅姿。今は魔の月だというのに、こんな山奥をのこのこ歩いているなんて危険きわまりないじゃないか――少年の好奇の瞳からそれらの考えを読みとって、アージュが瞳をうるませ、不安げにつぶやいた。
 
「あたしたち……親に捨てられたの」
 
(はい――っ? なんだそれ?)
 ランは驚きを声に出さず、目を丸くした。今のはもちろんアージュの芝居だ。
「グランザリアにいるおばあちゃんの家に連れていくって言われて、お父さんといっしょに家を出たんだけど……朝起きたら、お父さん、いなくなってて」
 アージュはうっすらと涙さえ浮かべてみせる。
 
(よくまあ、すぐにそういうこと、すらすら思いつくよなあ)
 
 芝居とは気づかない栗色の髪の少年が、アージュを心配そうに見やる。
「家はどこなの?」
「デリアンのカナギって町」
 地図を見て覚えていたのだろう。ランが聞いたこともない町の名前(向かっている方向は本当はまったく逆なのだが)をアージュが口にした。
金髪で青い瞳のランと深紅の髪に深紅の瞳のアージュは一目で異国の者だとわかるし、着ている服にもこの国の馬蹄形を模した刺繍は入っていないので、この方が説得力があるのだ。
 人の良さそうな少年は驚いて眉を跳ね上げた。
「デリアンはグオール山脈の向こうじゃないか! そんなところから来たの? すっごく遠いよ? いったい何日迷っているの?」
「かれこれ半月……ああ、でも暦を持ってないから、正確にはよくわからないわ」
 アージュは涙を拭ってみせた。あきれるほど、完璧な芝居だ。
 そして、それは見事に少年の同情を誘った。
「かわいそうに……」
 おろおろする少年にランが声をかける。
「……あの、君はなんでこんなところに?」
「ああ、僕は北グオール村の者だよ。用事があってタガンの村に行った帰り。陽が落ちるまでには余裕で帰りつけると思ったんだけど……うっかり道に迷っちゃって。あ、名前はローイ」
 相手が名乗ったので、こちらも名乗る。
「あたしはアージュ、こっちは従弟のラン」
「あ、姉弟かな〜って思ってたけど、従姉弟なんだね」
 十一歳のランと十二歳のアージュは髪の色も瞳の色も違うので、このほうが話が通じやすい。
本当は血のつながりなどまったくないのだが、フィアルーシェ王女に別れ際、「姉弟みたい」と言われてから、「姉弟よりかは従姉弟同士だという方が警戒されないかも」と思い立ち、グランザリアを出てからいくつかの町や村でこの手を使ってきた。
 たいていは、「へー、そうなんだぁ」で終わる。旅の目的を聞かれた場合は、「おばあちゃん家に行く」と答える。すると、「ふたりの孫が仲良く大好きなおばあちゃん家を目指して旅をしている」という図式が人々の頭の中で勝手に組み上がり、世の中断然渡りやすくなる。実に便利だ。
 互いに自己紹介が終わったところで、アージュが質問した。
「ねえ、ローイ、ちょっと聞きたいんだけど。湖のほとりにあるお城って……誰か住んでる?」
「いや、あそこは……誰も住んでないけど……なんで?」
「できれば、赤蘭月の間だけでも夜露をしのげればと思って」
 すると、ローイはぶんぶん首を振った。
「ええ? あそこはダメだよ!」
「どうして?」
 
「吸血鬼が出るって噂なんだ」
 
「吸血鬼?」
 アージュはおそろしげに眉をひそめてみせた。ランは笑いを堪えるのに必死だった。吸血コウモリ少女が吸血鬼を恐れるワケがない。


 さっきまでの泣きの演技はどこへやら。アージュはにっこり笑った。
「それ、ただの伝説でしょ? 怖くないわ」
「ええっ!?」
 意外な言葉にローイが驚く。吸血鬼と言えば、見た目は普通の人間とあまり変わらないが、人の生き血を吸うと言われている恐ろしい魔物だ。
「怖くないって、そんなわけないだろ? ましてや今は赤蘭月なんだぞ?」
「だって……あたしたち親に捨てられたんだもの。これ以上、怖いことなんてないわ。ねえ? ラン」
「あ、うん。そうだよね~~。オレなんか両親いないし、育ててくれたおじさんには捨てられるし、人生踏んだり蹴ったりって感じ?」
芝居を引き継いで、ランは明るく笑った。
吸血鬼がいようがなんだろうが、早いとこあの古城に行って寝たいのだ。
「やめといたほうがいいって! あんなとこ、絶対に行っちゃだめだ!」
 必死で止めようとするローイに、アージュが困ったように眉根を寄せた。そうして重大な秘密を打ち明けるように、声のトーンを落とす。
「言おうかどうしようか迷ってたんだけど……ローイになら言ってもいいかな? 実はあたしたち退魔師の卵なの」
(退魔師? なにそれ?)
 ランと同じことを思ったらしいローイが、「退魔師って?」と訊く。
「魔物を退治する特殊技能の持ち主のことよ。たぶん、その力を試すために、父はあたしたちを魔の月にこんな山奥に置き去りにしたんだと思う……」
「そ、そうだったのか……」
 納得したようにローイがうなる。
「でも、本当に吸血鬼がいたら……どうすんだよ?」
(あ、平気平気、そんなの怖くないから)
 とアージュは心の中でぶんぶん手を振りつつ、「大丈夫。怖いけど……がんばって退治してみせるわ」と、しおらしく言った。
「でもでも、あかずの間には、今でもたくさんの処女の死体が……」
(あかずの間なのに見たことあんの? いいよ、自分で開けて確認するから)
 と心の中でつぶやきつつ、「あかずの間ね。じゃあ、そこには近づかないようにするわ」とアージュは真剣なまなざしでうなずいてみせた。

(第一話・2に続く…)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?