ヤノルクの群れ

 ヤノルクの群れが僕の目の前を横切って行ったのは、夜中に人けのない山道を車で走っている時だった。一人きりのドライブで退屈していたし、ラジオはもちろん入らない。スマホを車につないでYouTubeを流したりもしていたのだけれど、その電波さえ途切れがちという有様だった。何しろ山奥なのだ。

 眠気もいよいよ危なくなってきていたが、ライトをハイビームにしていたおかげで、僕はすんでのところで車を停めることができた。もしあと少しでも道が急な下り坂だったり、あるいは急な登り坂だったり、あるいは曲がり道だったりして先が見えなかったら、僕はヤノルクの大群に突っ込んであっさりと死んでいただろう。

 でも僕は見通しの良い下り坂の途中で、ハンドルに頭をぶつけそうになりながらも無事に停まることができた。

 永遠と目の前の道路を横切り続けるヤノルクの群れを眺めながら、僕は今まだこうして死なずに、生きていることについてゆっくりと考えをめぐらせた。そう、僕はついさっきここに突っ込んで死んでいてもおかしくはなかったのだ。ヤノルクの群れが急に方向を変えてこちらに向かってきたら僕のオンボロ軽自動車ではひとたまりもないだろう、ということはほんの少ししか考えなかった。群れはそんなに急に部分的に進路を変えたりはしない。それに、僕はこうして停まって生きているのだ。こうなったからには僕はこのままここで死にはしないに違いないという根拠のない感覚がしていた。それはまるで麻痺状態で宙に浮かんでいるような具合だった。リンボというものがあるのなら、それはこういう感じなのだろうと僕は思った。

 そして僕は別れた昔の恋人を一人ひとり数えながら思い出してみた。なぜかそうすることが一番適切であるように思えたからだ。といっても大した数ではない。でもその中には、もうずいぶん長い間思い出していなかった子も含まれていた。

「やっぱり、あなたといた時が一番大事にしてもらってた気がするな」
 と彼女は言った。婚約していた相手との別れ話を、ごく短く僕に聞かせたあとの科白だった。僕は何と返してよいか分からなかった。別れの経緯からいって、僕には関係を戻す気にはなれなかったし、それは彼女も分かっていた。それなのになぜ僕らはまた会っていたのかは僕にも分からなかった。

 今でもその理由は分からなかった。なぜ彼女がそのとき僕に会いたがったのかも分からなかった。よりを戻すためではなかったのだろう。誰か話し相手が欲しくて、でも誰でもいいというわけでもなかったのかもしれない。昔の恋人というのがそういうときにちょうどいいという場合はあるのだろう。

 ヤノルクの群れが去ってあたりに真っ暗な静けさが戻っていたとき、僕にはいつ最後の一匹が横切っていったのかが分からなかった。それは最後の一匹というようなものではなくて、最後まで集団で横切って唐突に途切れたのかもしれなかった。でもそれは分からなかった。とにかく僕はハイビームだけが照らす古びたアスファルトの上にいた。周囲の森林は全くの暗闇で何も見通せなかった。そこにヤノルクの群れが吸い込まれるような空間が本当にあるのかさえ定かではなかった。もしかしたらそもそも何も横切ってなどいなかったのかもしれなかった。

 僕はまた車を動かし始めた。何か深夜の森の変な出来事や生き物に捉えられないうちに、行けるところまで逃げてしまわなければならない。といってもまだ何時間も続く森の中だから、逃げるといっても行った先のほうが危ないということだって有り得るだろう。それでもとりあえず進み続けなければならない。次に彼女のことを思い出すのは、またどこかでヤノルクの群れに遭遇したときであるような気がした。それはもしかしたら、このすぐ後なのかもしれない。もうないのかもしれない。とりあえずライトを点けて走り続けなければならない。結局それ以外にできることなんてないのだ。

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