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積み荷の分際 第12話

「さっきは悪かったな」

 風呂上がりの鴻上はすっかり冷静さを取り戻していた。
 怒りはすべて水に流したらしい。

「いえ、こちらこそ」

 期せずして鴻上の狂犬ぶりを垣間見たが、これまでの付き合いの中で鴻上に殴りかかられたことはなく、鴻上が他人を殴っているのを見たこともない。

 だが、恋人に手を上げたことはあったのだろうか。

「ガミさんって、もしかして凛さんを殴ったことがあるんですか」
「あ? そんなことあるわけねえだろ」

 鴻上は即座に否定したが、居心地悪そうに胡坐をかいた。

「イラついたら拳で解決する脳筋野郎だと思ってんだろ」
「はい、正直」

 在沢が素直にうなずくと、鴻上はわざとらしく嘆息した。

「昔はイジメられっ子だったんだよ、オレは」
「……は?」

 筋肉が服を着て歩いているような鴻上に、イジメられっ子という言葉がさっぱり似合わない。

「なんですか、それ。どこの世界線の話ですか」
「オレが小学生の頃の話だよ、バカヤロウ」

 鴻上は不本意そうに昔話を始めた。

 小学生時代の鴻上は、アフロのような天然パーマをからかわれるイジメられっ子だった。

 心配した両親が近所にあったボクシングジムに無理やり通わせると、最初のうちこそ嫌々通っていたが、小学五、六年生と中学生を対象にした全国アンダージュニアボクシング大会で優勝するなど、鴻上はめきめき頭角を現した。

 すっかり自信をつけた鴻上だが、頑固な天然パーマは直らない。学校でからかわれることは減ったが、相手に悪気はなくとも髪型のことで傷付けられることは依然として在り続けた。すんでのところで堪えたが、いちど本気で殴り倒そうかと思ったこともあった。

「ねえ、親父。本気でムカついたときは殴ってもいいのかな」

 鴻上が父に訊ねると、何気なく人生の指針となるような言葉を授けられた。

「ムカつくことがあっても絶対に他人は殴るな。怒りはぜんぶサンドバッグに叩きつけろ。お前の拳は、将来大切な人ができたとき、その人を守るためにとっておけ」

 父は息子に諭すように言った。

「それとな、仁。アフロってのはパンチ力が増すんだぜ」

 鴻上の父は介護福祉士で、ボクシングとは無縁の人生だった。それでも父のおかげで自分に自信がつき、自分の髪型も丸ごと愛せるようになった。何かしら父の役に立てる男になりたいと思ったのは、ごくごく自然の成り行きだった。

 高校生活も終わりに近付くなか、プロボクサーになるほどの圧倒的な実力はなかった鴻上は将来の進路を決めかねていた。

 父の勤める老人ホームを見学すると、高齢者相手のレクリエーションにコミュニケーションロボットが用いられていた。

 そのロボットの動きがあまりにもポンコツで、鴻上はふと閃いた。
 親父のためにオレがロボットを開発してやるよ、と。

 鴻上は猛勉強の末、一浪して筑波先端科学技術大学に入学した。ロボット自体にさして興味があったわけではないが、アメリカ留学帰りにレイ・タウンズ教授のゼミに入り、内海凛に出会った。

「そのアフロ、格好いいね。待ち合わせのとき、ぜったいに見失わなさそう」
「いや、これ天パ」

 初対面で髪型のことに触れてくるなんて、いきなりなんだこいつ、と思ったが、内海凛は素直に驚いた。

「天然パーマとアフロって、どう違うの?」

「天パは髪型が安定しないの。夏場はとにかく安定しないし、湿度にも左右される。雨の日はもはやアフロ。ただ、乾燥した冬場は良い感じのアフロになるから、そこだけは感謝してる」

「よく分からないけど、すごく似合っているよ。天然かあ、天然は良いよね」

 内海凛はうっとりと溜息をついた。

「天然のどこがいいわけ?」

「富士山のお土産に毬藻まりもがあるの。でも、あれって養殖でね。山中湖の毬藻は天然記念物だから本物は採っちゃだめなんだ。養殖でも水を替えたり、日光に当てたりするときちんと成長するんだけどね」

「マリモって成長すんの? マジで?」

「うん、一年に1センチぐらい」

 スマートフォンに大量に保存されたマリモの成長記録画像を見せられたが、鴻上の目にはほとんど差異は分からなかった。

 分かったのは、内海凛は毬藻好きの不思議ちゃんだということ。

 ゼミで顔を合わせるたび、鴻上の天然パーマの暴れ具合を見ては楽しんでいた。ゼミ生たちで集まった飲み会の帰り、やけにしおらしい凛に袖を引っ張られた。

「仁くん、あの……、うちに毬藻を見にこない?」

 凛の顔は真っ赤で、膝はぶるぶると震えていた。

 勇気を振り絞ったであろうそのお誘いがどういう意味であるかが分からないほど、鴻上は純情ではない。

「オレと付き合ったら、子供はたぶん天パになるぜ」

 自分がからかわれるのは慣れているが、自分の遺伝子を受け継いだ子供がからかわれることには耐えられないかもしれない。

 言外にそんな意図を込めて凛の顔を真っ直ぐに見据えると、凛は思い切り背伸びをして鴻上の頭を撫でた。壊れ物を扱うような繊細な手つきであり、触れるのを躊躇うような遠慮がちな撫で方だった。

「いいよ。養殖もいいけど、天然はすごくいい」
「養殖パーマなんてねえだろ、ばーか」

 内海凛の唇を塞ぎ、思い切り強く抱きしめた。

 美しい直毛のこの女性も、おそらくは天然パーマになるであろう我が子も等しく愛そう、何があろうと守ってやろう、と決意した。

「そう思ってたんだけどな」

 話を中座した鴻上は、ちらりとLiSAを盗み見た。

「凛は亡くなったんだ」

 鴻上はごくりと唾を飲み込み、独り言のようにぽつりと呟いた。

「いや、本当は殺されたのかもしれねえ」

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