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夜間非行 第4話

 忍は学芸大学駅から東急東横線と日比谷線を乗り継ぎ、東銀座駅で降りた。駅名に冠されてはいるが、東銀座は正式な地名ではない。あくまでも俗称であり、鷹桐動物病院の所在地は銀座四丁目にある。

 番地こそ銀座であるが、銀座のメインストリートである中央通りと、日比谷と築地方面とを結ぶ晴海通りが直交する銀座四丁目交差点周辺がいわゆる銀座であり、銀座界隈の人間の感覚からすると、ここいらは銀座ではなく、ほぼ築地・・・・と言うべき立地であるらしい。

 通称東銀座と呼ばれる歌舞伎座周辺は、かつて江戸時代は木挽こびきちょうという名で呼ばれていた。江戸城修築の際に鋸商――木挽き職人が多く住んでいたことに由来するそうで、東銀座は旧木挽町エリア・・・・・・・と呼ばれることもある。

 番地こそ銀座であるが、いわゆる銀座ではなく、通称は東銀座、感覚的にはほぼ築地であり、旧木挽町とも呼ばれる、なんとも掴みどころのない空間を訪れるたび、父はどうしてこんな場違いな場所で動物病院を開業したのか、と忍は疑問に思う。

 黙して語らぬ父の考えなど知る由もないが、叔父の陸雄から、それらしい理由を聞いたことがある。

 江戸時代から続く甘味屋の道楽息子が無類の猛禽好きで、若かりし日の父が診療に当たった。猛禽を愛する者同士にのみ分かり合える絆があったのか定かではないが、それ以来、父は道楽息子の猛禽のかかりつけ医となり、道楽息子は持ちビルの一角を格安で貸し与えた。

 聞くだに麗しい関係であるとは思うが、猛禽を診察できる獣医はそう多くない。ビルの空き室を貸し与える代わり、猛禽の守り人を手元に置いておいた、と見るのは穿ち過ぎであろうか。

 ほとんどタダ同然の家賃という気安さもあってか、父は平気で診療所を空にする。父が不在にしているのに獣医師資格のない忍だけいてもどうしようもない。代診の藪内カヲルを引き込んで以降は、猛禽以外の動物も積極的に診るようにした。

 歌舞伎座の裏手にある陰気臭い路地に、鉛筆の芯さながらの細い雑居ビルが建っている。その二階に鷹桐動物病院が入居しており、猛禽類以外にも、犬、猫、兎、ハムスター、フェレットなど、院長代理のカヲルが診察している。

 東京を代表する高級商業地である銀座はその土地柄からか、動物禁止のビルが多く、動物病院もさほど多くない。競合が少ないため、犬や猫の診療もするようになると、ことのほか喜ばれた。

 寡黙で無愛想な父と違い、人好きのするカヲルは丁寧で説明も分かりやすいと評判も良い。

 気に食わないことがあるとすれば、カヲルがしきりに父の指導を受けたがっていることと、父をよく知る古参から「立派な後継ぎができて安泰ね」と言われるたび愛想笑いを浮かべねばならないことぐらいだ。

 獣医師国家試験に落ちた日、父は落胆するでもなく、激怒するでもなく、表情ひとつ変えやしなかった。人並み外れた冷血漢に慰めの言葉なんぞ期待していなかったが、父は、ただ一言。

 働け。

 口にしたのは、それだけだった。下手に慰められたって傷心は埋まらないし、腫れ物に触るようによそよそしく扱われたくもないが、いくらなんでも人間味がなさすぎる。

 あんた、それでも親なのかよ。

 忍は腹の底から煮えたぎるような怒りをぶちまけそうになったが、相手は人間ではない。人間の面を被った猛禽なのだ、と思い込んで、なんとか怒りを鎮めた。

 もともと父とは思えぬ父であったが、あの冷酷な言葉が決定的な溝を生み出した。同じ家に住み、職場も同じであるが、父子の仲はとっくに断絶している。顔を合わせたところで、会話ひとつない。

 板挟みのカヲルは、何かにつけて父子の仲を取り持とうとするが、修復不可能な溝はもはや永久に埋まりはしない。

 近頃は父の存在を感じるだけで、無性に苛立ちが募る。

 ほんとうに自分は父の子なのだろうか。
 真相を聞こうにも、実の母は忍が小学校低学年の頃に急死した。
 母方の親族とは疎遠で、まるっきり付き合いがない。

 幼い日の記憶はひどく曖昧だが、父が母方の親族の一団に寄ってたかって罵倒されていた光景だけは鮮明に瞼に焼き付いている。

 父は頬を殴りつけられ、汚い言葉を浴びせられた。

 この、悪魔!

 一方的に責められても何ひとつ抗弁しない父の背中が、幼い目にはとてつもなく格好良く見えた。孤高な姿がやけに気高く見えた。

 成長した今となっては、美化された記憶に異なった意味を見る。

 父は親族に悪魔と罵られる、なんらかの所業をしでかしたのだ。
 悪魔の所業……。
 いったい父は何をしでかしたのだ?

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