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夜間非行 第3話
徴税ロボットが二体に増えた。
戸外でインターホンが鳴り、玄関扉を開けると、山本は年嵩の男を連れてきていた。五分分けにした脂っぽい髪には白髪が混じり、ワイシャツの脇にじっとり汗が染み込んでいる。糊のきいたシャツを見る限り清潔さには気を配っているようだが、どこかドブネズミめいた不潔な感じがする。
中年男はリビングに入るなり、慇懃な態度で名刺を差し出した。正しい申告、正しい納税云々と書かれたデザインは裏面までそっくり同じであるが、役職名が違った。
『目黒税務署 個人課税第二部門 統括国税調査官 金丸卓夫』
徴税ロボット一号の役職名は事務官であったが、今回お出ましの貧相な上司は統括国税調査官という仰々しい立場の男であるらしい。見るからにうだつの上がらない風采に反して、国税という重苦しさたっぷりの単語がどうにもしっくりこない。
緑茶を二つ並べたテーブルに山本と金丸は並んで座った。午前中では一対一だったが、二対一でのやり取りになると、途端に圧迫感を覚えた。ベテラン刑事と若手という組み合わせは刑事ドラマではよく見かける配置だが、税務署の調査も同じような具合だった。
やけにせかせかとした喋り方で、金丸が話を切り出した。
黒いマスクを付けたままなので、声がこもる。
「午前の調査にご協力くださり、どうもありがとうございました。午後からは私も話を聞かせていただきます。午前の内容と重複する質問もあろうかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。ちなみに今日は、お仕事はお休みの日だったのでしょうか」
悪代官に揉み手をして擦り寄る越後屋のようなへりくだり方には虫唾が湧いた。バターナイフで適当に切れ目を入れたような細い目でじっとり見つめられた。今にも舌なめずりしそうな卑しい顔つきは血の通わない爬虫類を思わせる。
「調査に一日かかるとお聞きしたので休みにしました。平日は父の経営する東銀座の動物病院で助手をしており、南平台にある鳥類進化研究所でもボランティアをしています」
午前の供述とは微妙に異なる答え方をしたが、徴税ロボット一号は疑った様子もなかった。上司の横にお人形のように大人しく腰掛けて、口を挟む素振りさえない。
「お仕事をお休みさせてしまい申し訳ありませんでした。病院ではお父様と一緒に働いておられるのでしょうか」
「ええ、まあ」
忍が歯切れ悪く答えると、しつこく追及してきた。
「具体的にはどういったお仕事を?」
「受付業務、診療補助、病院ホームページの更新作業などを担っています」
徴税ロボット一号がメモ帳に忍の発言を書き加えていく。鳥類進化研究所での担当業務については特になにも触れられなかった。
「病院からお給料は支払われているのでしょうか」
「はい」
「失礼ですが、お幾らほどでしょうか」
「月に十万円ぐらいです」
午前は突っ込んで聞かれなかった事柄をねちねち質問された。
「金額的にはかなり少ないようですが、獣医師のお給料はそんなに安いものなのですか」
聞きようによってはかなり失礼な発言だったが、聞き流すことにした。
「獣医の初任給は二十万から二十五万円が相場です。父と同居しており、生活費を支払ってもらっているので、その分だけ給与は安くなっています」
「そうですか。お給料は振込ですか、それとも手渡しですか」
「だいたい手渡しです。それがなにか?」
忍が反問すると、金丸が片頬を歪めた。黒いマスク越しに、今にもちろりと蛇のような舌が出てきそうだ。
「念のためお聞きしたまでです。お給料を手渡される場所はご自宅でしょうか、それとも病院でしょうか」
またもや意味不明な質問をされた。
「ご質問の意図が分からないのですが」
給料を手渡す場所がどこであれ、なんの問題があるのだ。
忍は質問には答えず、金丸が慌てたような早口で補足した。
「深い意味はありません。ご自宅がとても新しいようですから」
金丸はわざとらしく頷き、室内をぐるりと見回した。
平屋であるが、天井は無駄なまでに高く、二階相当の高さがある。
自宅を猛禽ハウスにしたいと考えていた父は、古家を新築するにあたって突飛な注文をつけた。
「ハゲワシが飼えるぐらいの広さと天井高が欲しい」とだけ伝えられた注文建築の担当者は目を白黒させた。父は唯一の希望を伝えただけで、細々したやり取りは忍に丸投げし、建築計画に関わる打ち合わせすべてを一任した。今思えば国家試験前の慌ただしい時期に、よくも古家新築の窓口なんぞを請け負ったものだ。国試に受かれば、どうせ出て行く家だから、父への餞別のつもりだった。
父に結論だけを報告したが、建築費が嵩むので三階建てのプランは即刻却下。二階建てに父子の部屋を設けた平均的なプランも却下。幾度もの打ち合わせを経た後、人間の住環境はどうでもいいので、真四角の平屋でいい、という合意形成がなされた。
最終的に提案されたプランはある意味、斬新だった。
リビング、ダイニング、風呂、トイレを一角に集約し、廊下を挟んだ先に体育館のようなだだっ広いスペースを設ける。大型の猛禽の檻が余裕で入るぐらいに天井は高く、大空間にキャスター付きのコンテナがいくつも並ぶ。ワンルームマンションほどの広さがあるコンテナの中にベッドを据えればそこが寝室になり、本棚と机を持ち込めば書斎になる。
可動式コンテナをその日の気分で動かせば、間取りは自由に変えられる。いざハゲワシを飼うとなれば、コンテナを捨ててしまえば手つかずの大空間が現出する。梯子をかければコンテナにも登れる。コンテナとコンテナの間にハンモックもかけられる。空き地にテントを張って野営もできるし、お望みならキャンプファイヤーだって出来るだろう。
コンテナの森とでも言うべき建築プランを報告すると、父は微かに笑みを浮かべ、即刻承認した。平屋の魅力はどこにいても家族の気配が感じられることだそうだが、父が肌で感じたかったのは猛禽の気配だ。
忍が獣医学部を卒業するのと歩調を合わせるように新居が完成したが、獣医師国家試験に続けて三度も落ちるような愚息と顔を合わせる気にもならないのか、父はただ寝に帰るだけで、親子の会話など久しく交わしていない。コンテナの森にハゲワシは生息しておらず、もっぱらメンフクロウのズーイの遊び場になっている。
「家の新しさは今回の調査に関係があるのですか」
止まり木の上に一本足で立ったままのズーイは相も変わらず彫像のようにぴくりとも動かなかった。しかしよくよく見ると、午前中とは立ち足が反対になっていた。ズーイも忍と同様に苛立っている。
「建築費用はすべてお父様がお支払いになったのでしょうか」
「いえ、父がローンで二千五百万円、僕が現金で一千万円負担しています」
あくまでも事実なので、包み隠さず答えた。
「山本の報告によりますと、鷹桐さんは銀行口座に二千万円の預金があるそうですね。住宅の建て替えに一千万円を拠出したということは、それまでに三千万円ほど現金をお持ちだったことになります。毎月十万円ほどの給与では到底貯まるはずのない金額ですが、このお金はどうやってお貯めになられたのでしょうか」
言葉こそ丁寧だったが、容疑者をじりじりと追い詰め、自白を引き出そうとする刑事のような迫り方だった。偽物の税務調査官ではないかと勘ぐっていたが、偽物らしからぬ迫真性を帯びている。
安い挑発だが、明確な殺意を覚えた。ぶち殺すぞ、この野郎。
「午前中にお話した通りです。仮想通貨投資をやっておりましたが、ここ三年は運用していません」
忍は内心の苛立ちを抑え込み、預金通帳を見せた。残高こそ二千万円以上あるが、定期的な入金はなく、自宅の建築費用を拠出した以外に大きな出金もなかった。
仮想通貨投資を仲介する暗号資産取引所からダウンロードした過去三年分の年間損益報告書には、実現損益はどの年もくっきり「0」と記されている。
通帳に現金だけがあり、資金の流れは完全に止まっている。
統括国税調査官の金丸は、ほんのわずかに渋い表情を浮かべた。
当てが外れた、とでも思ったのだろうか。
無駄足ご苦労様。さっさと帰れ。
忍が仮面のごとき無表情でいると、金丸が言った。
「こちらの報告書は取引所からプリントアウトしたものですよね。作成日時が知りたいので、パソコンを拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
有無を言わさず、という感じではないが、拒否はできそうもない。
忍は渋々ながらもタブレット一体型のパソコンを起動し、差し出した。どうせ何も出てきやしない。何も出てきやしないはずなのに、蛇のような国税調査官に粗探しされると、気が気でない。脂っぽい指でキータッチされるだけで、怒りが沸々と湧いてくる。
「おや、これはちょっと変ですね」
金丸が底意地の悪い笑みを浮かべた。
忍からはパソコン画面が見えず、調査官がなにを嗅ぎ回っているのか窺い知れない。この男はいったいなにを見つけたのだろうか。
調査前に、すべて隠したはずだ。
太古の記憶は跡形もなく抹消した。
どこぞの国会議員のように、パソコンにドリルで穴を開けるほど、愚かではない。太古の記憶はクラウドサーバー上に保管してあり、記憶もろともに削除してしまえば、おいそれと復元はできまい。
忍はそう高を括っていたが、どうにも相手が悪かったようだ。
金丸がどんな操作をしたのか定かではないが、クラウド上に隔離してあった太古の記憶が次々と掘り起こされた。
出土した記憶は、さしたる価値のなさそうなものばかりだった。
一億円の運用益に到達した億り人の特集記事。
忍が著した有料の情報商材をダウンロードした購入者リスト。
情報商材に寄せられた感謝の言葉並びに罵詈雑言。
しかし、それだけではなかった。数千万円の利益があった最盛期、熱心に記録していた売買譜が、まさしく「動かぬ証拠」と言わんばかりに忍の眼前に突き付けられた。
「こちらのご説明をしていただけますか」
仮想通貨投資に熱心だったのは、もう四、五年も前のことだ。
投資判断の逐一を売買譜に書き込み、運用損益を細大漏らさず、記録した。博打というよりも科学の実験のようでさえあった。
今や、あの頃の熱はない。
ご説明を、と言われたところで、どんな申し開きができようか。
「これらのファイルをどうして最初から提出しなかったのですか。これはれっきとした隠蔽行為で犯罪ですよ」
調査の手前、太古の記憶を人目に付かぬよう細工した。
だが、それだけだ。
隠蔽行為で、犯罪?
まさか、そんな大袈裟なことをしたというのか。
全く身に覚えがないでもないが、いかんせん記憶に重い蓋がされたようで、はっきりと思い出せない。
忍は血の気を失い、呆然としたままなにも答えられずにいると、金丸は怒気交じりの声を室内に響かせ、静かに恫喝した。
慇懃な仮面をかなぐり捨てた徴税ロボットは、矢継ぎ早に部下に指示を出した。部下はデスクトップ上に勝手に「調査用」と題したフォルダを作成し、上司が見繕ったファイルを次々に複製し、放り込んでいった。
「これらのファイルは調査資料として押収いたします。調査用フォルダに押収したファイル群を残しておきますので、くれぐれもこのフォルダは税務調査が終了するまで消去しないでください」
挑発的な声音に鋭く反応したのか、止まり木で寝こけていたメンフクロウのズーイが二本足で踏ん張り、獣めいた低い声でキイキイと唸っていた。「否!」と言っているかのように首をぶんぶんと横に振り、しきりに頭を揺らしている。
ズーイの首振りノーノーは、相手の顔を引き裂く前の最後通牒だ。奇妙な仕草だが、「殺すぞ」と警告している、れっきとした誇示行動である。
いっそのこと警告だけでなく、闇夜に紛れて葬ってくれたらいい。「敵」と認識した徴税ロボットを二体とも。
金丸はズーイの威嚇を意にも介さず、預かり証と題された用紙に必要事項を書き足した。所得税及び復興特別所得税の調査上必要がありますので、下記の物件をお預かりします、との注意書きが書かれており、暗号資産取引所の年間損益報告書まで持ち去られた。
「最初から全てのファイルを出していれば、調査がこんなに長引くことはなかったんですよ。税務調査の期間は過去三年とお伝えしておりましたが、五年になりますのでご了承ください」
帰り際、徴税ロボットが当然のごとくに付け加えた。
三年ではなく、五年?
それは話が違う。
「次回は目黒税務署にいらしていただきます。日程は後日、追って連絡させていただきます。来週から再来週までにはご連絡できるかと思いますので、また調査にご協力よろしくお願いいたします」
道端にガムでも吐き捨てるかのような物言いがしつこくどこまでも耳に残り、どっと疲れが押し寄せてきた。
掛け時計を見ると、時刻は午後五時を回っていた。
「勤務先にご迷惑がかからない時間帯に改めてお電話を差し上げますが、ご本人様がお出になられない場合もあるかと思いますので、念のため携帯番号をお教えください」
部下の山本が事務的に言った。
「診療中は携帯の電源を切っているので、繋がらないです」
「お出になられない場合、名刺の番号に折り返しお電話ください。内線二二一と伝え、個人課税第二部門の山本と仰ってくだされば、大丈夫です」
山本は忍の携帯番号をメモすると、一礼してから立ち去った。
見知らぬ侵入者が去っても、ズーイの「殺すぞ」という警告は、しばし続いた。
「なにが隠蔽行為で犯罪ですよ、だ。ふざけんな」
怒気を孕んだ低い声で忍がぽつりと言う。
「あいつら、殺っちゃいたいね、ズーイ」
冷凍庫からネズミが五匹入ったポリ袋を取り出し、電子レンジで解凍する。キッチン用ハサミで食べやすいサイズに小分けにして、屋内ケージの餌台に置く。しきりに頭を揺らしていたズーイが飛びかかり、あぐあぐとがっつきはじめた。
餌に夢中になっている間に、金網のついた上部扉を閉める。
基本的には室内での放し飼いだが、忍が目を離した隙に窓ガラスに衝突したり、糸くずを誤飲したりする危険性があるので、長時間の外出の際は屋内ケージに入っていてもらうことにしている。
移動用のキャリーボックスに入るときは「一緒にお出掛け」、屋内ケージに入るときは「お留守番」ということはズーイも心得ている。
嘴をカチカチ鳴らしながら、忍をじっと見つめてきた。
後ろ向きのズーイは首をぐるん、と百八十度回し、忍がリビングから出て行くまで、きいきい唸りながら見続けていた。
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