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じいちゃんが暴走したおかげで私は存在する

 昭和四十年代半ば、東北某県某村。田んぼと畑が広がるのどかな田舎にある、とある兼業農家の一軒にその男が帰宅した。

 ドンガラガッシャーン!!

 猛烈な破壊音を立てて、玄関に突っ込んできたのはその男の車だ。

「ただいまー」

 その車から呑気に降りてきたのが、無雲むうんの父方の祖父である文一郎ぶんいちろうその人だ。

 玄関に突っ込んだ車。破壊された玄関。それは事故によるものではない。文一郎の故意による行為だ。

 この訳の分からない行動をするファンキーな男・文一郎は、地元の名士として名を馳せており、広大な土地を持つ兼業農家のあるじだった。しかし、その性格はワンマンで傍若無人。村一番の暴君としてその地域に君臨していた。

 文一郎には三男三女の子供が居た。無雲の父カンブンは下から二番目の次男である。カンブンは所謂いわゆる集団就職で東京に就職して実家を出ており、実家の農家は長男が継いでいた。

 そしてその朗報は、カンブン同様東京で働く、末っ子の三男坊からもたらされた。

「カンブン兄さんに、彼女が出来たらしいよ」

***

 所は変わって、千葉県某市。そこに無雲母エイコは家族と住んでいた。エイコは高校卒業後、親戚のコネで某文具卸問屋に就職し、そこでカンブンと出会った。カンブンのスラっと高い背格好、キリッとした目付きに一目惚れしたエイコは、同じくエイコのスラッとした足に一目惚れしていたカンブンと順調に愛を育んでいた。

 実家住みのエイコは、その日曜日は嫁ぎ先から帰省していた姉と姪っ子二人、そして母親と穏やかな午後を過ごしていた。

 特筆するような事も無いのどかな午後。平和なその日、不意に玄関のチャイムが鳴った。

 どうせ新聞の勧誘か何かだろう。エイコはその位に構えて玄関を開けた。

「はーい。どなた様~?」

 そこには、一人の初老の男が立っていた。誰だ……? エイコには見覚えが無い。しかし、次の瞬間目を疑った。

 初老の男の後ろには、カンブンが立っているではないか。

 エイコは困惑したが、エイコが口を開く前に初老の男が口を開いた。

「エイコさんはご在宅だが? 結納さ参った(エイコさんはご在宅ですか? 結納に参りました)」
「はぁぁぁぁ!!??」

 エイコは混乱した。いきなり訪問してきて恐らく東北弁であろう言葉を口にする初老の男。そしてその男が口にした『結納』という単語。っていうか、結納の約束なんてしてないし、そもそもカンブンとは結婚の話すら出ていない。っていうかお前誰だよ。

「名乗るのが遅ぐなったが、おらはカンブンの父の文一郎だ(名乗るのが遅くなりましたが、私はカンブンの父の文一郎です)」

 穏やかな午後、突然現れたカンブンとカンブン父文一郎。カンブン親子の手には仰々しい結納の品の数々。エイコはまだ状況が理解できずにいた。同じく、エイコの母もエイコの姉も、姪っ子二人も、ポカーンとしていた。

 ここは、カンブンが説明責任を果たすべきだ。

 そう思うのが世の常である。しかし、カンブンはカンブンでこの状況を理解していなかったのだ。

 文一郎は、その日カンブンの元にも突然訪れていた。

***

 特に用事も入っていなかった日曜日。カンブンはただただボーっと自分のアパートで過ごしていた。そこに突然現れたのは東北に居るはずの父。そしてその父は、ただこう言った。

「彼女出来だんだべ? 結納さ行ぐがら家さ案内してぐれ(彼女出来たんだろ? 結納に行くから家に案内してくれ)」

 普通なら、ここで父にその行動を問い詰めるか、止めるかするだろう。しかし、カンブンはそのどちらもしなかった。カンブンは元来無口で言葉足らずな男だ。それに加え、自分の父が『止めても無駄』なワンマン男であるとよく理解していた。カンブンの一族の中では、文一郎が『白』と言えば例えそれが『黒』でも『白』になる。それほどまでに文一郎はワンマンであった。なので、カンブンは黙って文一郎をエイコの家へと案内したのである。

***

 というわけで、父文一郎に促されるままエイコの家に来たカンブンと、突然の結納宣言に困惑するエイコ一家、一人で事を進めている文一郎、という妙な図式が出来上がった。

「まずはそこのめんこいお嬢ぢゃん二人にお小遣いあげるべーが(まずはそこの可愛いお嬢ちゃん二人にお小遣いをあげようか)」

 文一郎はそう言うと、膨れ上がった財布からおもむろに一万円札を取り出すと、エイコの幼い姪っ子二人にそれぞれ一万円を渡した。昭和四十年代半ばは、大卒初任給が四万円前後(出典:年次統計)の時代である。その時代に幼い子供二人に一万円をポーンと渡した文一郎、ぐぬぅ、只モノではない感が溢れている。

 エイコは、きっとこの時こんな事を思っていたのではないか? と無雲は思う。

「お父さんが居てくれたら、この訳の分からない状況も何とかしてくれたかもしれない」

 エイコの父は、エイコが高校一年生の時に、仕事上の事故で突然亡くなってしまった。それからエイコは母やきょうだいと手を取り合って生きてきていた。年の離れた姉と兄二人と、四きょうだいで母を支えていた。その生活は決して楽ではなかった。給料は全額母に生活費として差し出していた。家も決して広くはない。だからこそ、エイコの目にはポーンと万札を子供に差し出す文一郎は異質に映っていただろう。

 そんなエイコの困惑なんてどこ吹く風。文一郎はマイペースに、ワンマンにこの場を仕切っていた。

 結納の品を広げ、粛々と結納を進めていく。

「納めでくなんしぇ(お納めください)」

 よく分からないまま、エイコ一家は結納品を受け取った。何が起きているのか把握もしてないけど、エイコとカンブンは婚約してしまったようだ。

 この時、カンブンは何を考えていたのか? と娘である無雲は未だに考える事がある。無雲が知るカンブンという男は、物事を効率的に考え、無駄を嫌い、面倒な事も嫌う人間だ。

 きっとカンブンは、この状況をラッキーだとでも考えていたに違いない。プロポーズを考える事もしなくて良くなったし、大好きなエイコと婚約も出来たし、手間を全省き出来たとでも思っていたに違いない。文一郎が結納金として持参した金額は百万円。カンブンは高額な結納金を貯金する手間すら省けたのだ。

***

 嵐のような文一郎の訪問は、エイコの兄二人の耳にも入った。年の離れた兄二人は、エイコを溺愛していた。末っ子であるエイコを、それはそれは可愛がっていた。

 兄二人は激怒した。離れて暮らす長兄と同居する兄、二人とも激怒した。

「どこの馬の骨とも分からねぇ田舎者に、エイコを渡してなるものか!!」

 長兄はすぐさま東北某県に行った。カンブンの身元調査をするためだ。夜行列車に乗って、どんぶらこと東北某県まで出向いた。

 しかし、そこは素人。探偵みたいな真似をしようとしてもなかなか難しい。なので、長兄は村の商店で聞き込みをする事にした。世間話に見せかけて、それとなく、カンブンについて聞き出そうとしたのだ。

「この村のカンブンさんって、どんな青年ですかねぇ!?」

 それとなくどころか、どストレートに長兄は聞いた。すると、三十代に見える女性店員は、にこやかに、そしてあっさりと口を開いてくれた。

「カンブンさんはらずもねぐ・・・・・いい青年だよ。真面目で性格も良ぐで、素晴らしい人格者だよ! (カンブンさんはとってもいい青年ですよ。真面目で性格も良くて、素晴らしい人格者ですよ!)」

 長兄が東北を訪れて得た成果は、この女性店員の証言だけだった。わざわざ千葉県から東北まで行って、これだけ聞いて帰ってきたという事実に無雲は驚きを隠せない。

 しかし、無雲は知っている。この時長兄は失態を犯しているのだ。カンブンとしてはほくそ笑むレベルでラッキーハプニングだったのだが。

 この商店の女性店員は、実はカンブンの姉だったのだ。姉は、文一郎からカンブンの結納をしてきたと聞かされていたのだろう。狭い村、余所者よそものが来ればとても目立つ。東北弁ですらない言葉を話してカンブンの事を聞いてくるその客がエイコの関係者だと、カンブン姉はすぐに察知した。それで姉はカンブンを褒めたたえて良い事ばかりを吹き込んだのだ。

***

 長兄の東北某県での偵察から数カ月後、エイコはカンブンの実家に結婚の挨拶をしに行く段取りになった。村での聞き込みがはかどらなかった長兄は、未だにカンブン一家について懐疑的な見方をしていた。

「一人で挨拶なんて行って仮祝言でもあげられたら大変だ!!」

 そう考えた長兄は、次男をこの挨拶に同行させることにした。

「え。付いてくるのお兄ちゃん……」
「何を言ってんだエイコ! お前を守るためだぞ!!」

***

 そうして、カンブンとエイコ、エイコの兄は夜行列車に乗ってどんぶらこと東北某県に向かう事になった。

 夜行列車に長時間揺られ、最寄駅からはタクシーで二十分ほどの距離にカンブンの実家はあった。

 一行が到着したカンブンの実家は、広かった。

 南部曲がり屋と呼ばれている家屋は茅葺かやぶき屋根でだだっ広い。元々は農家であったカンブンの実家は、とにかくでかかった。敷地内には畑もあるし家畜も居た。昭和四十年代半ばは、まだカンブンの出身地は住宅地として整備されておらず、広大な田畑の中にどーんと家がある感じだったのだ。

 家の中には囲炉裏があり、一つ一つの部屋も十畳以上あり、しかもそれが何部屋もある広大な家だった。エイコもエイコ兄もあっけにとられた。自分達の家は六畳二間だったから、その規模の違いにびっくりしたのだろう。

「まぁ、田舎だから」

 とは現在のエイコの一言だが、無雲は幼心にこの南部曲がり屋がけっこう好きだった。南部曲がり屋というのは、東北某県に伝わる伝統的な建築で、その名の通り建物が直角に曲がってL字型になっていた。馬屋と建物が続いて出来ている造りで、幼い無雲にはとても珍しいモノに映っていた。

 カンブンの実家の南部曲がり屋は、その後老朽化で取り壊され、現在はその敷地に現代風のでっかい建物が建てられている。

***

 話が逸れたが、カンブンの実家にやってきたエイコ一行、特にエイコ兄は、ここで初めて文一郎に対面した。エイコ兄は、文一郎にも同居する家族達にも敵意を隠さなかった。

 お茶をどうぞ……という言葉で出てくるお酒を飲み、ありきたりな初対面の挨拶を済ませた所で、エイコ兄はどストレートにこの一家が何者であるかを聞き出そうとした。

「失礼ですが、お父様のご職業は!?」

 ほんとに失礼な奴だな、と無雲は思うが、そうなのだ、文一郎はエイコ家襲来の際に自分の身分を『カンブンの父』とだけ名乗っており、職業などは全く明かしていなかったのだ。

「おらは村議会議長だ(私は村議会議長です)」

***

 エイコは、その時の事をこう話している。

「うちの兄達ったら、おじいちゃんの職業が議員だって分かった途端に態度を変えたのよ。それまでお父さんの事をうがった見方しかしてなかったのに、急に『カンブン君♡ カンブン君♡』ってなったし、結婚にも大賛成しだしてね。本当にあの手のひらの返し方は恥ずかしかったわ……」

 文一郎の身分が議員だと分かってからの、エイコとカンブンの結婚の段取りはスムーズだった。エイコの家族は結婚を大歓迎し、文一郎も率先して結婚準備に参加し(口も出すが金も出す)、とんとん拍子に事は進んで、文一郎のエイコ家突撃の一年後、エイコとカンブンは晴れて夫婦になった。

***

 それから、今年で五十年が経った。

 エイコとカンブンは、金婚式を迎えた。

 五十年という長い間に、子供は三人生まれた。長女の非行や、長男のいじめ問題、二女の病気の問題など、色々なトラブルがあった。長女は二度の結婚の間に二人子供を産み、現在はシングルマザーだが子供も成人し何とか生活しているようだ。長男は独身貴族を謳歌している。病気に長年苦しんだ末娘(無雲)も回復し、結婚まで出来た。

「本当に、この五十年色々あったね、お父さん」

 エイコとカンブンは、金婚式記念の旅先でこんな会話をしていただろう。

「でも、幸せね、お父さん」

 無雲は、文一郎に対して「グッジョブじいちゃん!!」と今も感謝の念を持っている。無口で恋愛偏差値の低いカンブンが、自力でエイコとの結婚まで到達できたかどうか疑問が残るからだ。

 じいちゃんの突撃は、無雲家の伝説として未だに語り継がれている。じいちゃんが暴走しなかったら、きっと無雲は誕生していない。じいちゃんがワンマンで良かった。じいちゃんがじいちゃんであってくれて良かった。じいちゃんありがとう。じいちゃんよ永遠に! 文一郎フォーエバー!! 天国のじいちゃん、ずっと無雲一家を守っていてくれよ!!

────了

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