夏の

夏の「死を感じる」空気、
終戦とお盆由来のものだと思ってたけど、陽炎や蝉時雨がもたらす幽玄さや異様さが生の向こう側を想像させるのかもしれない。

ラジオで臨死体験の話をしている。部屋にはやかましい洗濯機の轟音と森本レオみたいな男の声、森の側に立つこのアパートでさえ雨上がりの明朝は蝉も鈴虫も鳴いておらず、話題は次へ移る。
朝イチから揚げ物なんて食うんじゃなかった。
余りリゾットで作ったアランチーニを四つ、一人前にして丁度よい量だが朝イチは間違えた。
中々に気だるい。


この異常な暑さと、煩わしくないが静かとはいえない蝉時雨を感じているとどうにも墓参りに行く気になる。
その人の命日は2月だし、もう一人は5月、更に言えばもう一匹も5月。
今までこんな炎天下に墓参りに行くような習慣があった記憶もない。

夏の明朝、雨上がりの曇天は特に、秋の湿度を感じる。
蝉も鳴かない、鈴虫も鳴かない。日曜日であれば人の音もしない。うちに風鈴はない。
この"静けさ"は、窓から覗く景色を「詩」とした場合の「ページの余白」に相当すると思う。
そこにラジオを流しても、珈琲の為のお湯を沸かしても、洗濯機を回しても、詩になってしまって残りは余白に書き消されてしまう。

何をしてもどうにもならないような、
或いはもう何もする必要がないような、
全身から力が抜けて、死ぬ前の自分の体はこんな風になって、この感覚がその時のデモンストレーションなのだと想像する。
自分がどんな日に生まれたのか確かめる術はないけど、例えどんな日に生まれていても、こんな朝に生まれた人を羨ましく思う。

目を閉じて、ラジオの内容は無視して、ここにある全ての感覚に集中して、今日を楽しくする小さなアイデアを考える。


そうだ、お風呂の排水溝だけは今からでも洗おう。掃除はいつも気にしながら忘れてしまう。

今からでも洗いたいけど、きついから午前中にしよう。朝食べるものは揚げ物にしないことだ。特に徹夜明けは…。

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