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オースティンの痛烈な皮肉を楽しむ〜『自負と偏見のイギリス文化』より〜

映画『アンナ・カレーニナ』でキーラ・ナイトレイの存在を知った。単純に華やかな顔立ちに目を引かれたのだ。
監督ジョー・ライトと彼女の共演作の多いこと!

その後他の作品も見てみると、個人的にはジェーン・オースティン『自負と偏見』のエリザベス役の方がはまっていると感じた。
最後にエリザベスの父親が愛娘の結婚を認めるシーンなど、こちらも泣いてしまった。

しかしこのお父さん。娘の結婚にはかなり無頓着。妻とはかなり性格が違うようだ。
妻はというと、5姉妹の結婚に常にヤキモキしている。財産がないため、とにかく金持ちと結婚させようとあれこれ手を焼く。

私たちの目には、どうしても「落ち着いた父親」とは正反対の「お節介な母親」に思えてしまうが、実際これはどういったことに起因しているのか?というお話。

ベネット夫人に見る『自負と偏見』の面白さ

物語の始まりでは、資産家のビングリーが引っ越してきて、そのパーティですぐに美人の長女ジェーンを紹介しようとする。
また、ヒロインであり次女のエリザベスを、胡散臭い牧師のコリンズと強引に結びつけようとするなど、かなり必死である。

また、当初交際に反対していても、結婚すると決まれば、今までの態度がどこ吹く風のように優しくなったりもする。(以前noteに書いた↓)

ページをめくりながら、あるいはBBCの映画を見ながらその様子を垣間見る私たち。
この周囲の笑い者になっているのも気付かず金持ちの男性らに娘を売り込もうとする姿が、しばしば滑稽に映るのではないだろうか。

しかし、それこそオースティンの意図なのである。
参考図書はこちら↓

ベネット夫人の立ち回りと「皮肉」

ベネット夫人の行動の要因はなにか?

19世紀の中産階級の女性が働くことはタブーだからである。
しかもベネット家は5姉妹もいる。加えて十分な持参金も、相続も見込めない。

娘たちが中産階級の対面を守って生きるためには、とにかく金持ちの男性との結婚が重要なのである。

そう考えると、ベネット夫人はむしろ娘の幸せを願う「良い母」ではないだろうか?逆に娘の将来に我関せずな父親こそ責められるはずである。

しかし、実際はベネット夫人だけが「娘の結婚に焦っている滑稽な母親」になってしまうのだ。

これには、社会のしきたりを守って結婚したはずのベネット夫妻が明らかにうまくいっていないことが、感じる違和感をより大きくしている。

「実際普通なのに、なんで笑ってるの?」

この時代の女が生きるには、結婚が1番重要。なのに、重要だというふうに見せてはいけない。
実際は感情なんて二の次。なのに、いかにもロマンスや愛がそこに「ある」というような風潮。

私には、オースティンがこのダブルスタンダードに意義を唱えているように見える。
「あなたはベネット夫人を見て笑ったけど、実際自分がこの状況に置かれたらどうかしら?」と。

出版当初のイギリスでこれを読んで、はっとした読者は果たしてどれくらいいるのだろう。
今だってこの矛盾に気づく人は多いのではないだろうか。

こんな感じで、オースティンの紡ぐコミカルな物語は、とっつきにくいと思われているイギリス文学に触れる良い間口だと思う。
イギリスよろしく、痛烈な皮肉に面白さがあるのだ。

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