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ヴィクトリア朝の小説の「魔性の女」

ヴィクトリア朝という、イギリス史の中でもかなり厳格な時代の小説を専攻していたのに、私はファム・ファタルが大好きである。ファム・ファタルとは、魔性の魅力をたたえていて最終的に男性を破滅に追い込む女性のこと。

ファム・ファタルたちはイギリスにも?


『椿姫』をオペラで知ったのち、原作であるデュマの小説を読んで、作中のファム・ファタルであるマルグリットにどハマりしてしまった。

その後も『マノン・レスコー』、『カルメン』など、勉強の気休めにファム・ファタル文学をちょくちょくつまみ食い。ゾラの『ナナ』なんか、彼女の虜になってしまった人がごまんといるのでは。
これらの作品は、揃いも揃ってフランス文学。

逆にイギリス文学については、知人から「とっつきにくい」とよく言われる。実際のところ表現者たちは、こんな女性たちをどう考え、描いてきたのか。

ヴィクトリア時代にはまだまだ良妻賢母が良しとされていたが、1800年前後は「新しい女」が登場し始めた時期でもある。
小説においては「リアリズムの世紀」である一方、ロマンスの復権も唱えられ、冒険小説なども流行する。

今回は、私の独断と偏見で魅惑的なファム・ファタルたちを紹介します。

『洞窟の女王』アッシャ

R・ハガードの冒険小説。
研究者である主人公が、養子(亡くなった友人の子ども)レオと一緒にアフリカのとある土地に出かける。そこに住む部族を統治していたのは、信じられないほど美しい「洞窟の女王」だった。

本当にざっくり言えば「冴えない男が絶世の美女に恋する」。が、アッシャの魅力に取り憑かれる主人公の様子を見ていると、こっちまでのまれそうになってくる。

主人公が研究者の設定なのでわかりにくい固有名詞がめちゃくちゃ多いほか、部族の女王だけがなぜか白人であることなど、ツッコミどころ満載な作品ではある。

訳本はもう絶版か?なかなか古本でないと読めないのは残念だが、SF、ファンタジーの類で大きな影響を与えた一冊は、私たちをワクワクさせてくれる。

『ミドルマーチ』ロザモンド

大好きなジョージ・エリオットの傑作。

野心を持つ若い医師リドゲイトは、結婚が自分の仕事の妨げになると考えていた。しかし、まるで「ニンフ(水の精)」のように魅力的なロザモンドにあっさり心奪われてプロポーズする。
2人が結ばれるシーンは本当にドラマチック。ロザモンドがここぞ!というタイミングで涙を見せる姿は、あのマノン・レスコーばりに計算されているだろう。

しかし、ロザモンドは上昇志向が強く、別な土地からやってきた名家出身のリドゲイトとのロマンスに酔っていたというのが本質。
常に自分が1番で、近づいてくる男の人生をあれよあれよという間に狂わせる姿はまさしく魔性の女である。

フランス文学のファム・ファタルたちのように何人もの男を再起不能なレベルで破産させるというわけではない。
ロザモンドが「度を超えない」範疇で夫の気力を吸い取っていくところに、エリオットの現実主義が現れているのかも。

『剥がれたベール』バーサ

ジョージ・エリオットによる「怪異」を扱った小説。

「バーサ」という名前を聞くと、『ジェイン・エア』に登場するカリブ出身の美しい狂女を思い出す方も多いと思う。
こちらのバーサは先程のロザモンドとはまた違った、よりフランス文学ちっくなファム・ファタル。

主人公はバーサを「ニンフのよう」「セイレーンのよう」と評し、彼女が謎めいた存在であることが魅力を高めるのだと、ファム・ファタル像の核心をついている。
が、主人公は徐々にその本質を見抜き、落胆し、ある事件をきっかけに離別する。

男性目線での幻想ではなく、女性目線で描かれる魔性の女と、彼女に虜になっていた男性の「幻想の崩壊」がとてもリアル。
家庭や地域共同体を描いた長編が有名なエリオットだが、このような一風変わった小説も新鮮だった。

【Appendix】ラファエル前派

ラファエル前派で1番親しまれているのはミレイだろうか。シェイクスピアの『ハムレット』に由来する《オフィーリア》は、その画面の美しさからよく知られていると思う。
ミレイとともに「ラファエル前派兄弟団」を結成した画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは詩人でもある。
また、ラファエル前派の第3世代とされるウォーターハウスも、オフィーリアを描いた。

彼らもまた、ファム・ファタルに魅了されている。
魔女のキルケ、セイレーンなど、神話や戯曲の中のいわゆる「強い女」、男性を誘惑する女を数多く描き、しばしば官能的だったりする。

潔癖なヴィクトリア時代に描かれるファム・ファタル。しばしば道徳的でないとされる彼女たちだが、その存在によっていつの時代も物語はドラマティックになる。結局私たちは、男女問わず、ファム・ファタルたちを求めているのかもしれない。

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