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無情だから美しい〜ゴーリキー傑作選より「女」〜

最近、ゴーリキーの傑作選をやっとちゃんと読めた。
4つめに収められている「女」についてだいぶ強烈な印象が残ったので、そのことについて。

※ネタバレを含みます!

「きらめく銅片」が濁流にのまれる無情

他の女たちとはどこか違った雰囲気を纏っているタチヤーナ。
他者の境遇を憐れみ、未来の幸運を渇望するタチヤーナの姿は、あまりにもまっすぐで愛おしい。

そんな煌めきが、たった1人の力ではどうにもならない大きな流れと対峙したかと思えば、あっという間に飲み込まれていく。
彼女の望んでいたこと、熱く語った計画は叶うことはなかったのだろう。

残酷な結末だが、こんなことは世の中にありふれている。
だからこそ、私たちの心をぎゅうっと締め付ける。

希望と転落が生み出す「共感」

語り手とタチヤーナはともに、まるで自らが世界を俯瞰しているような物言いをすることがある。
そして、タチヤーナはそのことを自覚している。

「まるでこの地上にいるのがあたしだけで、すべてを最初から、ひとりで新たに作り上げなきゃならないような気になってしまうのさ」

ゴーリキー「女」(光文社)

あるときは希望が心を包み、またあるときは世界の冷たさに泣きたくなる。
2つの感情が入れ替わったり、同時にせめぎ合ったりすることはおかしなことではない。
タチヤーナの言葉は、そんな「当たり前」を提示してくれる。

また、社会の仕組みに抵抗することが困難であると本質的に理解している、言ってみれば「冷めている」とき。
他者が純粋な希望を持ち、なんとか進もうとする姿を目の当たりにすると、美しいと思わずにはいられない。

私たちがタチヤーナの現状や性質を客観視しようとするとき、彼女に共感することもまた避けられない。
それだけではなく、最後に彼女が「堕ちた」とき、悲しくもその共感がさらに強まるのである。

※おまけ

ゴーリキーを初めて読んだのだが、読んだ後のなんとも言えない感覚が忘れられない本になった。
今の時代の日本では、近代ロシア文学が刺さるかもしれない。
また、風景描写の疾走感にも目を見張った。

短編集に入っている最初の小説「二十六人の男と一人の女」を取り扱った動画を見つけた。
面白かったのでおすすめ。

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