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古典芸術の生存と「映えの文化」

日本人は印象派の絵画が大好きだと思う。
個人的には、写実的なルネサンス、バロック期の宗教画よりよほど人気のような気がする。
私はカラヴァッジョやルーベンスのダイナミックで鮮やかな宗教画も大好きだが、両親や周囲の友人達にはあまり受けが良くない。

印象派が、若者の間でも広く受け入れられるようになってきたのは、彼らの「映え」の意識と印象派の相性の良さからだと思っている。

最近では、私が子どもの頃よりもミュージアムショップが充実してきたなと思うし、
有名絵画をモチーフにしたアクセサリーや雑貨なんかも登場していて目を引く。

そこで何を買いたいと思うか。

インスタグラムに自分の休日の様子を載せる人も多い。
そこで大多数の閲覧者が無宗教であることを考えれば、
宗教画の主題や背景は一般教養の域を超えている。

『キリストの埋葬』や『聖母マリアの昇天』を観たと誰かに言ったり、画像を投稿したりしても、
大体の人は美しいとか、荘厳だな、というより、「よくわからんがなんかすごそう」という感情になるのだと思う。

例えば、うちの母はこう言う類のものは「なんか怖い」と言うので、
自分たちが無宗教であるからこそ、宗教を主題にしたものに得体の知れない威圧感を覚える人もいるのかもしれない。


一方で、光の動きやうつりかわりといった目に見える物を捉え、そして画面の明るい印象派は、
観る者がその背景を知っていても知らなくても「映え」る。

そして、投稿者が芸術に興味があって、
芸術鑑賞が彼らの日常を豊かに彩っているということも堅苦しくなく伝わる。

印象派のミュージアムグッズが多く売れ、「モネの池」に多くの人が訪れるのをみると、
日本の若者の生活をより「美しく豊かにする」ツールとして、印象派はまさに適当なのだと思う。

結局、芸術も商業であるから、
生き残るためにはなるべく多くの人々の生活に根付かなくてはならないのだ。
近代以前の西洋絵画、オペラ、バレエなども生き残りをかけた同様の課題を抱えていると思う。

この「映えの文化」はまだまだ続くだろう。
古典芸術によって自分の生活を豊かに見せることが可能になったとき、より受容されるのかもしれない。

去年、新国立劇場で『カルメン』が現代風にアレンジしたかなり奇抜な演出で上演されたが、
こういった取り組みがいずれ起爆剤となるのだろう。

古典古典と言いまくっている私が今年逃したくないのは、メトロポリタン美術館展。
古典だけでなく500年分の系譜を追えてしまう。

蔓延防止で出鼻を挫かれてしまいましたが、こんなコロナ禍で実施してくれるということに感謝。
無事開催されることを祈っています。

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