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ぐうたら人間のへらへら就活ダイアリー

喉元過ぎれば熱さを忘れるってこういうことか、としみじみ実感している。2か月前まではどっぷり浸かっていたはずの就活生としての日々が、いつのまにか、味がしなくなってきたガムみたいな、数年に一度ぐらいのペースでしか会わない親戚みたいな、もう絶対戻れない中学時代の鬼きつバド部の記憶みたいな、そういう存在になってきているからだ。でも忘れたくない。忘れたら1年間就活生を必死こいて乗りこなしてきた自分が報われない。だから書いてみようと思う。



去年の7月、就職活動というものをとりあえずなんとなくいそいそとスタートしてみてから初の面接が集団面接だった。話した内容を遠回しに批判され、自分1人だけ冷ややかなトーンでフィードバックをもらった。悔しくて情けなくて恥ずかしかったけれど、面接の細かいやり取りを思い出しながら就活ノートに記念すべき振り返り記録第1号を書いた。こんなんでこの先やってけんのかなって心底不安になった。

そこに当時の私は「早く終わらせたい!!!!!」と書いている。でも、これは本気の感情じゃなくてとりあえずの軽いノリだった。そうは言ってもなんだかんだ終わるだろうと思っていた気もする。就活早く終わりたいなあ、という一言に乗っかる気持ちの重みは、始めたての頃と本格化し出した頃とじゃ全く違ってくるよねってことを知るのはもっと先の話だった。

就活って、そこそこ長い時間やってればどこかの誰かがぽんと内定を手渡してくれるもんなんじゃないかと思っていた。そんなわけないことは百も承知の上で、それでもとにかく私にとってはそれくらいの存在だった。今日さぼっても、明日さぼっても、いつか自分はちゃんとした就活生になれると心のどこかで信じていたし、然るべき時にはどこかしらの内定が出ていると勝手に想像していた。やらなきゃいけないことの放置って精神衛生上最高に良くないんだけど、でもやっかいなそれに向き合ってけちょんけちょんにされるよりはやらない方がましだって無意識に選んでいて、だから何もしなかった。ふと理性が戻ってくると自分のやばさ加減が足生やして追っかけてくるから焦りに苛まれる。その一方で、現実から逃げてのほほんとする時間は、ちゃらんぽらんな私にとってこの上なく楽しい時間でもあった。

薄ぼんやり死にたくなるような感覚を経験した。

なんかほんと、きちんとできる人からしたらアンビリーバボーな生態なんだろうなとは思うんだけど、私はやらなきゃいけないタスクのはじめの一歩を踏み出すのが異様に下手くそだ。歯車が回り出したらそれなりに持続させるべく頑張れるものの、最初に回すためのエンジンをかけるのにかなりのエネルギーを要してしまう。いざ回してみると全然なんてことなくて、あんなに回すことが怖くて嫌で仕方なかったのが嘘みたいに元気になって調子こきだすから我ながらだるい。

歯車の前でお手上げ状態になってるときの自分はいっちょまえに真剣。動きさえすれば解決する問題なのにどうしてもそれができずに、狭くて暗くて重い部屋でこのまま自分は潰されるのではないかという行き場のない気分で身体中がいっぱいになっている。誰かといるときは普通に楽しくてお喋りモードになるせいでそういう自分をどこかに出して慰めを乞うこともできなくて、だから落ちに落ちた私の面倒を見るのは私しかいない。そういう自分のめんどくささには慣れっこなはずなのに、就活という環境下ではいつもみたいに自分の機嫌を取って立ち上がらせることがひどく難しかった。

全部嫌で全部面倒で全部腹が立って全部どうでもいい。時間が止まればいいのに。何もかも無かったことになればいいのに。このままぱっと消えたい。積極的に死のうとするのは怖いからやらないけど、さくっと今人生から退場できる機能があるなら使いたいかもね。死っていう言葉を使うと途端に鋭利で冷え切った恐ろしいものに見えるからそれは本意ではないものの、あの時無数に浮かんでは消えてまた目の前に現れてを繰り返していた私の絶望をひっくるめると、やっぱり「薄ぼんやり死にたくなるような感覚」という表現が一番相応しいと思う。

そうは言っても私は筋金入りの怠惰人間なので、来る日も来る日も全力で頑張りました系就活生にはなれなかった。手始めに髪を暗くすることでなんかやった気になってたし、ESの締切とか面接の日程とかに追いかけ回されながらいつもギリギリを生きてたし、泣くほどつらかったとかじゃないし、周りの友達の話聞いてたらいかに自分がさぼってるかを痛感することばっかりだったし、多分客観的に見たら甘ちょろもいいとこ。

インターンの事前課題をどうにかなるさと先延ばしにしまくった結果、間に合わなくなって参加するのをやめた。適当に申し込んだところのインターンの日の朝、どうしても眠くて「〇〇(会社名)」ってGoogleで打ち込んで「やばい」って出てきたら飛ぶことにして検索かけたら「やばい」だったので安心して二度寝した。オンライン面接=zoomだと決めてかかったらまさかのteamsで、トラブって10分遅刻をかまし、落ち確消化試合面接を精一杯にこやかにこなした。案の定落ちた。しかも2か月後の忘れた頃にお祈りメールが来て、それ自体は全然良いんだけどさすがに遅すぎてサイレントにしてよーってちょっと嫌な気持ちになった。どうしても気が乗らなかった日、面接ぶっちした。初の対面面接を控えていたのにまたもや先延ばし癖のせいで対策を怠り、嫌になって仮病で欠席しリスケしていただいた。恥を忍んで私の最悪就活生仕草の数々を晒している。もしかしたら都合良く忘れているだけでもっとあるのかもしれない。(とりあえず土下座)(就活中もしくは就活を控えた皆さま、こんな24卒がなんとかなったなら自分は全然大丈夫だろうと元気になってもらえると嬉しいです☆彡)

そんなこんなで前科多数なのだけれど、それでも私なりに孤軍奮闘した毎日だった。

頑張って勉強したのにテストセンターにこてんぱんにやられた日、帰りの電車で涙が出そうになった。絶対こぼしたくなくて、窓の外の景色を穴があくんじゃないかってぐらい見つめていたことを覚えている。最終面接が立て込むようになってきた時期、謎に長引く風邪に目を付けられてずいぶん苦労した。健康の素晴らしさを実感した。ついつい就活情報ばっか見ちゃうせいでインスタの検索のとこでそういうまとめばっかり出てくるようになって、些細なことだけどなんか息が詰まった。よせばいいのにTwitterで24卒アカウント漁りまくって、意識高い同い年がごろごろ転がっている事実が眩しくてしんどかった。YouTubeの広告にたまに出てくる清原果耶ちゃんのリクナビのCMが25卒向けに切り替わったときは地味につらかったっけ。オンライン面接の時は録音して、自分の就活生モード客観視すんのきついなあと思いつつもひたすら再生して改善点を探した。出版社受けてた時期は、業界特有のめっっっちゃ重たくて色々やらなきゃいけないESと対峙するのが大変だった。頭を捻り倒して必死に個性的な人を装って自信満々で書いたあの頃の成果物たちは、今思うと相当恥ずかしい。でも、怠惰な自分が招いた超つめつめスケジュールの中で使える時間のほぼ全部をESに充ててひたすらごりごりやってたあの時の私は、ダサいけどなんか悪くなかった。面接前にテンションを上げるためのお守りはジョンハンさんの可愛くてごめん、応援歌はブソクスンのファイティンヘヤジ、夜に聴いて沁みるのはF*ck My Life。(これまじで歌詞が自分と重なって励まされたありがたかった。みんなのうたすぎる)車の免許取った時も思ったけど、自分がいざそれをやるとなると世の中のそれを当たり前にこなしてる皆さんがとてつもなく大天才に見えてくる現象、就活でもめちゃくちゃそうだった。就活を卒業して会社員として働いている全ての人すごすぎる、と心底思ってたもん。特に深い意味はないのだとわかっていても、周りの人がひょいっと投げかけてくる「就活どう?」にフラットな気持ちで反応できない時がままあった。ほっといてほしかった。でも誰かにこの黒い気持ちをぶちまけたい瞬間もあった。向き不向き、ご縁、相性、残念だった時に使われるそういう耳障りの良いマイルドな言葉は、就活が終わってからようやく受け入れられるようになった。Wordに想定質問とその答えを打ち込みまくって対策した。毎日毎日お風呂で志望動機をぶつくさ唱えた。当日はそれなりに喋れて上手くいった。手応えだって結構あった。なのにあっけなく落とされて、お祈り申し上げますの一言で切られる。たまったもんじゃない。企業が割ける時間とか人員にも限りがあるし、ただ私より魅力的な就活生がいたっていうそれだけだとは理解しているけど、こっちはこんなに一生懸命向き合ったのに落ちた理由すら教えてもらえずにさよならされるって不条理だなって何度も何度も思った。私の顔がすこぶる良ければとっとと就活なんかやめてYouTuberでもやってインスタとかでフォロワー稼いで案件もらって生きてけたのになとか不毛な妄想を繰り広げたりもしてさ。顔といえば、ちょくちょくある動画面接のせいで自分の顔面の出来の悪さに真正面から向き合わされることになって普通に病んだこともあった。私が受けたとこのやつは一発撮りじゃなかったからベストで出すために何回もやり直して、動画を見返して、その度にそこに映るしょうもない顔の自分に絶望する。就活やっててただでさえ疲れてんのに顔のせいで病むっていう予想外のパンチ食らった時はほんとしんどくてウケた。最終面接はしご旅は比較的記憶に新しい。スケジュール的には余裕だったのに、1社目で予想外に時間取られたことで本命の方に間に合わないかもってなって真剣にこの世の終わりだと思った。無事間に合って面接を受け、そしてその本命企業が今の内定先になった!(なんかこれノリがコナンのオープニングみたい)(何の話?)でもその中身は割とハードだった。私はどこかの誰かの辞退のおかげでお鉢が回ってきた、いわば補欠合格者なのである。もちろん人事の人に聞いたわけじゃないから想像だけど、合否に関わらず1週間以内に必ず連絡しますって言われたのに結果が来るまでにその倍以上の時間がかかったこととか、オプチャ見てて知った他の人の合格通知の時期は言われてた通り1週間以内で正規のものだったこととか、そういうのを加味すればほぼ確。内定は内定なので補欠だろうと恥じることはないはずなんだけど、プライドが高い私はなんとなく友達には自分が補欠っぽかったということは話していない。ずっと目指してた業界だったこともあって、周りの友達にすごいねよかったねって言ってもらえることも多いから、なおさら言えない。見栄っ張りすぎて大変お恥ずかしい限りですが、ここにはちゃんと見栄っ張りな自分も記しておく。私の見栄っ張り話はここまでにして話を戻すと、先述した通り自分は結果が全然来ない上にもう受かってる人もいるっていうとどめは刺されてないけど限りなく終わりに近いみたいなメンタルズタボロ期間が結構続いていたからハードだった。他のとこの内定もあった(承諾期間伸ばしてもらうやつ)ものの、そっちに就職することをリアルに考えると抵抗がある自分がいた。それなりに吟味して受けることにして最終まで進んで突破して無事手持ちに加わったはずの企業なのに。その時に自分の就活には現実味が足りなかったことを痛感した。内定がゴールじゃないってよく聞くけど、そんなの当たり前じゃんって思ってた。転職しない限り何十年も働くんだからしっかり考えなきゃって。でもやっぱり就活生マインドを散々纏っていると、早くこの未来が不確定な状態から抜け出したい、脳内にずっと就活の二文字がどでんと居座ってる日々から解放されたいっていう気持ちが知らず知らずのうちに大きくなっていたらしい。そう気付いた時は就活を終わるに終われなくて、とりあえずまだ募集してるとこにエントリーしたり説明会の予約を入れたりした。この説明会は寝坊してぶっちした。(は?)オプチャでどこかの誰かが言っていた「今の時期募集かけてるようなとこは大体微妙」「留学帰りとかの理由があって夏採用に乗り込んでる人以外かなり苦しい」的なやつにすごいやられて落ち込んだ。両親にここまでお金をかけてもらって大学出てその末路がこれかって嫌気がさした。ここで手持ちから選んで妥協したとしても、他の企業に挑むにしても、とりあえずみんなが一般的に就活を終える時期に普通に笑えてる気がしなくて、就活終わったら遊びにいこ!っていう何人もの友達とした明るい約束は片っ端からキャンセルしなきゃいけないなって本気で思った。そういえば、結果待ちの半殺し状態から奇跡の内定マンへと進化を遂げたあと保留にしてもらってたとこに辞退の電話をかけたんだけど、元々電話が苦手なこともあって普通に精神削られイベントだった。選考過程であんなに優しかった人事の人に穏やか〜に詰められる感じを味わったり、第一志望ですっておっしゃってたのはどこへ…的なことを言われたり、他業界を受けてることを伏せてた企業の人に内定先を聞かれて正直に伝えた時にかなりわかりやすくがっかりされたりして、それに対して私は恐縮謝罪botになるしかなくて、どうしようもなく疲れた。あちらもお仕事なのはわかっているし、面接のお決まりの台詞とはいえ御社が第一志望ですと言い切った身としてはしょうがないのかもしれないけれど。かなりわかりやすくがっかりされた件ついでに言うと、私の就活プレースタイルは多重人格系だった。気になる企業が業界問わず色々あったから、とりあえず選択肢狭めないためにも良さげなところはじゃんじゃん受けてみようっていう。もちろん志望動機はその都度考えなきゃいけないし、場合によってはガクチカとか趣味特技系もある程度変える必要があってなかなか手間がかかる。なのに馬鹿正直に色んな業界見てま〜すって言って、この子内定出してもほんとにうち来るのかな的なことを思われるのは避けたかったし、そういう眼差しを向けられないような説得力のある就活の軸は考えつかなかった。ということで、Aの企業を受ける時はそこの業界しか受けていません中でも御社が第一志望です♩の人格、Bの企業を受ける時は以下同文♩って調子で多重人格就活生と化して、面接前に各人格をログインさせるっていうやり方を取っていた。ログイン作業だけ入念にやって、面接終わった後はすぐ振り返りしてセーブ作業も丁寧にやれば、ボロが出ることもなかったし。私は道徳ガバガバオンニなので嘘つくことに抵抗はあんまなかった。(こら)今考えると、後悔ないようにするっていう意味でもとりあえず受けたいところ全部受けてみてよかったかもな、と思う。

こんな感じでマイどたばた就活は終了。

結論から言うと、それなりにいいこともあって、学んだこともあったから、就職活動をして良かったと思う。過去になったせいで思い出補正がかかって美化されたわけではなく、就活生だった頃もたまに感じていた気持ち。

やるかやらないかで迷った時、背中を押してもらえる環境があることに改めて感謝した。SOSを出したらすぐ助けてくれるのってすごくありがたいことだった。初めての面接で盛大にずっこけた後、そこで腐らず頑張る方を選べた自分は結構いいじゃんって思う。普段脳直で適当に喋ってるせいで就活生らしいハキハキかしこ喋りを習得するのに手間取ったけれど、使いこなせるようになるとちょっと楽しい。そうやって少しずつ装備を強化していった甲斐があって面接で褒められるようになると、だいぶテンション上かった。グルディス地蔵人で夏インターンの頃なんか「〇〇さんはどうですか?」されるいいカモだったのに、就活後半はコツ掴んで負け知らずになれた。そういうのを苦労せずにできる人とか最初からポテンシャルを持ってる人の方が、断然楽だし要領よくこなせると思う。緊張しないしおじさんとお喋りするだけだから余裕だよーんみたいなタイプだったらよかったのにって何回思ったことか。おじさんだろうがおばさんだろうが面接という場なだけでしっかり構えてしまう(対面だとリクルートスーツにパンプスで会場に向かいノックとかの通過儀礼をこなすという工程が追加されるからなおさら無理)自分の性質を何回呪ったことか。でも呪ってるだけじゃ就職できないから戦った。自分を信じるとかそういうの信じてなかった(?)けど、弱気になったら負けだと思ってなけなしの自信をかき集めて毎回面接に向かった。諦めて期待しない方が楽だから普段はそういうマインド寄りでやってるけど、時には無理やりにでも自分を信じること、信じられるようにこつこつ積み上げることの大事さを知った。平素は自己肯定感系の概念見失ってるし自分を認められる場面もないけど、何もわからないあの時間の中を歩いて自分の足で納得のいくゴールテープを切れたことはなかなかの快挙だと思う。頑張るのが苦手な私にしては頑張ったじゃん。



まあまあな勢いでこの量をすらすらぺらぺら書けちゃった。卒論もこんな感じに終わらせられたらいいのに。就活してた時は早く卒論にぴーぴー言ってる次元に到達したいって心底思ってたけど、いざこっちに来てみると全然やだ。でもきっと、働き始めてくたくたになった時の私は卒論でへこたれてる時期なんか全然幸せだったわって思うんだろうな。

人生ってこんな感じなこと多くない?
今の私がしんどくても別のある地点から見た今の私は相当お気楽で、今の私から見たいつかの地点の自分はすごく羨ましいんだけどそのいつかが来たらそうでもない。

学校に行けば当たり前に友達がいて、自分のテンションの上下に関わらず強制的に毎日毎日クラスに放り込まれる高校生活(小中もだけど)は、当時の私からすると楽しいけど楽しいだけじゃなかったし、学校だるって思うことも普通にあった。でもそういう否が応でもな日々を終えてみると、約束しなくてもみんなに会えて、しょうもないことでげらげら笑えるって結構特別で幸せなことだった。

まあでも実際高校生だった時に毎日毎日そういう感傷に浸ってたらそれはそれでなんか違うし、後から見るときらきらしてたなっていう向き合い方にも一定の良さがあると思うけど。今自分がなんでもないことだと思ってるものが、実はとんでもなく貴重だということはそんなに珍しくない話だよねーという気持ち。

そういえば、最初に書こうとしてたのはもっとポップで軽い調子の文章だった。1度下書きを消して、なるべくあの時の自分の感情に正直になりながらぽちぽちやってたらこんな仕上がりになった。心なしか第一次ダイアリーよりも楽に書けたような気がして、こっちが本物の自分だったんだなってわかった。あの時の記憶を消さないでここに残せてよかった。



TMI:写真はハオちゃんのインスタストーリーから拝借したやつ。ハート可愛いし空綺麗だしなんかご利益ありそうって一時期ロック画面にさせていただいていたら、内定通知来た 감사

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