見出し画像

日々の暮らし、営み

毎年9月6日には献杯をしている。今年もまた。たった1枚だけCDを残して、
それぞれの日々に消えていったバンドの歌にこの季節は耳を傾ける。
「今度、呑みましょう!」という約束の日がいつ来るのかなんて分からないけれど、その日を楽しみにしている。それが空の向こう側だろうと、もしかしたら
いま生きているこの世界でだろうと。
僕は夢想する。彼らのCDが、いつか世界のどこかで、時代さえもこえて鳴り響く事を。
月並みな夢想だけれど、海へ瓶に詰めて流したラブレターが、何十年も、何百年も先の海岸沿いに流れ着き、そこで未来の誰かがそれを見つけ、拾い上げ、瓶の蓋を開けて、言葉の意味さえ分からず、見られる事、読まれるのではなく、ただ何枚かの便箋に綴られた言葉に、何かしらの感情がその彼に芽生えたとしたら。
我ながら呆れるほどに月並みなイメージではあるのだけれど。


Netflixで「アート・オブ・デザイン」というドキュメンタリーを夕餉に観ていた。
その時は(とて1ヶ月ほど前だけれど)映画を2時間じっとして観ている体力もなく、小説を読むには老眼(!)でなかなか厳しくなってきていて、ふとおもちゃ、それもキャラクターものではなく、もっと(この言葉が正確かは分からないけれど)アートによったおもちゃのクリエーター、キャス・ホルマンのそのドキュメンタリーを観てから、どっぷりとその番組にハマって、じっくりと観ていた。それが1ヶ月経ち、仕事でデザインの勉強をする事になるとは思ってもいなかった!。

デザインに関しては、(まあほとんどのことがそうだけれど)門外漢で、ある企画で僕がチラシ、フライヤーを作る事になって、なんとなく先週からエクセル(!)やこのパソコンの無料デザインアプリで試行錯誤している。これがなかなか楽しい。タイポグラフィーや、同時に僕が働いている会社の空間デザインなども、その番組を振り返りながら、ちょっとずつ本屋さんで、何か参照になるような、それでいて目に優しい(笑)大きめの本を探している。例えば他には、北欧の家具や日用品や雑貨の雑誌やヴィジュアル本を眺めたりしながら。

ある日、いつも髪を切ってくれている友達に、「料理を始めてみようと思う」と呟くと、「だったら今日、このまま帰って料理をしてください!」と強く言われて、翌日から(タイムラグ…)料理を始めた。誰に食べて貰うでもないので、クックパッドで調べながら、それからずっと料理をしている。毎朝、仕事に向かながら、今夜何を作ってみようか、考えるのは楽しい。

それでふと思い出した。母方のおじいちゃんおばあちゃんの家では、まだ井戸水を汲んでいて、夏の日に飲む水の美味しさや、畑で採れたばかりの野菜をそのまま洗って食べる事、縁側に寝転がって過ごす事、夜になるとどうしても壁時計の0時を知らせる時報で起きて、しばらく寝れず、田舎の真夜中の静けさが怖かった事。
いまでは静寂のない場所で暮らしているから尚更、懐かしく思う。

テレビでバスケットをやっていたから思わず見入ってしまった。友達と見た日にはお互いに泣いていて笑い合った。バスケットは島根では冬の季節に(僕の時代は)、ミニバスで県内を回っていて、随分とあの頃とはルールが違うんだなあと思うし、仕事でバスケットをやる時間もある。水泳もそうで、何十年ぶりにプールで泳ぐ(子供の頃、スイミングスクールでずっと泳いでいた)。意外と球技は身体が覚えていて、この角度でボールが飛んでいくとどう跳ね返ってくるか分かるし(野球なら尚更)、泳ぎ方も身体が覚えていてくれた。これだから(その時はそうと知らず)経験ってのは後で効く。

相変わらず音楽はたくさん聴いているし、友達が主演で映画公開予定で楽しみだ(私、先に行っちゃいますよ、早く小説書いてください。という彼女に煽られて、またこうして少しずつ書こうと思っている、まあ小説はもっとゆっくりになるだろう。だってまっさらな状態から…完全なるフィクションてのも難しくて…)。

ずっと構想では、家族がどんどんバラバラになっていく様と、時代や野球を絡めた(それこそ僕がいちばん好きな魚は川魚であるやまめなんだけど、開発されて川が死んだ町にいたし、もうさっき書いた井戸だって閉じられて、しばらく島根に帰ってもいないから、おじいちゃんおばあちゃんの家がどうなっているのかも知らない)小説を書きたい、と思いながら、同時にそれだと自分の経験やこの自分から離れられない、完全なフィクションにはならない、とも思うし、手探り状態ではある。

ただ、書く。(書きたいではない)
それからこんな事を思うとは思わなかったけれど、結婚する!。
相手は分からないけれど(笑っちゃうけど)。
笑ってしまうけれど、ある時期から自分が自分にかけた呪い、足枷のようなものからちょっとずつ自由になっている。
そして何よりいまが楽しい。暮らし、営みを愛おしく思う。
かつて背を向けていたもの。
それは「幸せ」もそうかも知れない。幸せって概念によるけど…何が幸せか、とかね、だけれど、そういう話ではなく、シンプルに幸せになって良いんだなと思う。
それをずっと教えてくれている友人たちに感謝。

ありがとう!。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?