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他人を変える事は不可能で、変わるなら自分…そして最後の優しさについて

4月1日から配属先が変わり、その前後を慌しく過ごしている(僕は障害者介護に携わっている)。

ストレスを抱え込み過ぎる性格は相変わらずで、たまたまお酒の席で爆発させてしまう(記憶を所々で飛ばしながら、翌日、またやってしまった…と思う)。
それでも4月からの上司に、アドバイスされる。「君はね…鈍感力を身につけてください。察しや意図を汲む事、気付きは得意だと思います。だから尚更、この先もこの仕事を続ける為に、鈍感力が必要です」。それから、少し話した後、「他人を変える事は不可能で、変える事が可能ならそれは自分であるはずです」と言われる。深い会話だった。

上司は映画に大層、詳しく、映画専攻だった学生時代の僕の話しをすると、サラサラっと、たくさんの固有名詞が出てくる。映画を観て、身体で覚えている人っている。まるでその映画の話しを聞いているうちに、その映画を観ているような気にさせる人。そんな彼からNHKのドラマ「舟を編む」を勧められて、いま第二話まで観た。「舟を編む」のあらすじは省くし、映画も観ていないけれど、このドラマ、とても繊細に作られている。第二話、「恋愛」についてで一話が割かれているけれど、そこで僕は何度か涙腺が緩む。

おやすみだった昨夜、友人と会う。彼の恋愛話しを聞く。そのうちに、最近、ほとんど唯一長年付き合った恋人と聴いていたテクノのCDを久しぶりに聴いていた事を思う。それだけじゃなく、半同棲していた頃を懐かしく思い、別れた後、連絡を取ろうとした僕に「もう連絡して来ないでください」とピシャリと言われた事を。それ以後、僕はしばらく荒んだ。借金を重ねたし、浪費、お酒…消してはならないけれど、消したい記憶もたくさんある。その借金も完済がようやく見えてきた。けれど、あの時、そう言って、ピシャリと拒まれなかったら、と思うと、恐ろしい。ひとを好きになり、幸せな事に付き合って、それでも二人ではどうにもならなくなった時に、別れ、引きずり…僕は確かに消えたかった。けれど、その「もう連絡して来ないでください」と言う最後の言葉は守ったし、そうやってその時には苦しみを伴う言葉が、いまは彼女の最後にくれた優しさ、愛だったのだと知る。

それからしばらくして、法人は違えど、福祉の仕事に就いたあと、仲良くしてくれて、よく自宅に招いてご飯を一緒に食べさせてくれた彼女のお母さんと道端で会う。
彼女が結婚し、出産したあとだった。同じ町で、もし会ったら、とは何度か考えた。けれど、その日会った時、ずっと「ごめんなさい」と言おうとしていた自分が真っ先に言ったのは「おめでとうございます」と「ありがとうございました」だった。
それから僕の近況を話し、「あなたは優しいからあまり無理をしないでね」と言われた。
太陽の優しく差す春の昼だった。

それからまた時間がしばらく経つ。
それからそれなりに恋をしたし、友達と出会い、それからたくさんまた別れた。

その恋人がいまどうかは知らない。
この先も会いたいとも思わない。
彼女には彼女の、僕には僕の人生がある。
けれど、当時は別れの苦しみで潰れかけそうになる僕には響かなかった、その言葉がいまは(この5、6年かな)優しさだと心底思うし、
そんな風に愛をくれたんだな、と、また過去からラブレターがいまの僕に届く。
それは、自分が変わったんだな、と、
上司の話しも含みながら、思う。

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