咲く場所は自分で選んで変えていい
何かを得るためには、何かを失わなければならない。
辛く苦しい努力をしないと、欲しいものは手に入らない。
だから、自分を律して生きてきた。
遊びたいと、思っていたわけでは無いけど、遊びとかゲームとか娯楽とか、将来何の役にもたたないじゃん。なんて思っていた。
迷惑をかけちゃいけない。
これ以上負担になりたくない。
だからずっと、優等生のいい子ちゃんでした。
気づけば進路も「理系の方が職がある」「女子なら価値が高い」という理由で機械工学科を選んでいました。
だから私は、節目節目で生き方を変えてしまうんだと思った。
中高は吹奏楽と勉強
大学はロケット
そして春には理系やめる
ここまで極端に振り切る必要は無いのに、正反対に舵を切る。常に周りの様子を伺って、得たものは実は本当に欲しかったものじゃないから、新しいものを探しに出る。
自分のためのように見えて、全部他人のため。
そしてそこで、“置かれた場所で咲くため” に何かを失いながら得てきた。
でも、そこで得たものもほとんどは、もう必要なくなってしまうんだろうな。
こんな生き方、もう辞めたい。
何度も何度も読んだバイブル本。
今まではなんとも思わなかった一節が目に止まった。
これが私がこれからしたい生き方だ。
どう生きたいか
なんて、まだまだ全然分からない。
これから探していくものだと思う。
でも、その選び方は前とは違う。
自分のままで “楽にいられる” 人と場所を探す。
そのために、楽を悪と捕えなくていい。
まずはそう思いたい。
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