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四国大戦を書いたきっかけ

 今日は四国大戦を書くきっかけを書いてみようと思う。四国大戦とはこれだ。

 でもこれは逆噴射のレギュレーションに合わせて文字数とかを調整したので、本編としてはこちらが最初になる。紛らわしくて本当に申し訳ないと思っている。

 今日は、どうしてこれを書こうと思ったのか? その背景を書いていこうと思う。

どうして四国大戦が生まれたのか?

 今年の三月、俺は人生に行き詰まりを感じていた。同じく人生に行き詰っていた友人と共に、前々から行きたかった四国へ思い切って行くことにしたのだ。
 コロナ禍もあって、危ないなとは思ったが結果的にこのタイミングで行けてよかったと思う。
 四国は過酷な旅路だった。特に今年はうるう年と言うこともあって、四国八十八カ所を逆に回る、いわゆる『逆打ち』は三倍御利益と聞いていたので、俺たちは初めてお遍路をやるというのにその逆打ちをやったのだ。
 大型のワゴン車で約二週間、車中泊の旅である。
 この旅を遂行するにあたって、俺は入念な準備をした。必要な服装、金銭、装備、そして旅のしおり………。

旅のしおり

 ようするに、だいたい一日にこれくらい回ろうね、という日程をまとめたものである。しかし今読み返すと、当時の俺の不安な心境がところどころににじみ出ている。一部を抜粋しよう。

全体の行程計画
青ざめた月夜! 先を見通せぬ暗黒の帳! 有象無象が跋扈する時速100km超の高速道路で、今日も機械の断末魔が上がる!
2020年3月7日(土) 出発
可能性は二つ。宇宙人は存在するか、あるいはしないか。どちらもゾッとするほど恐ろしい。 ―――アイザック・アシモフ
出発点① 日立~徳島
日立北ICから板野ICに至る。
走行時間約10時間 走行距離787km
出発予定時刻21時 到着予想時刻7時
ETC料金19,360円
出発点② 土浦~徳島
桜土浦ICから板野ICに至る。
走行時間約7時間 走行距離690km
出発予定時刻0時 到着予想時刻7時
ETC料金14,230円
・安全運転を心がけ、1時間を目安に運転を交代しつつ目的地を目指す。
・時間帯が時間帯なので、交代で睡眠をとることも考えられる。
・無理をしない。
キャンプ地点
道の駅 第九の里
歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高なる者(歓喜)よ、汝の聖所に入る ―――歓喜の歌

 これは徳島に至るまでの予定を示したものである。
 ところどころに入るよくわからない詩のようなものと、引用が我ながら怖い。
 
せっかくなので、詩について全文を公開する。

四方を海に囲まれた島。逃げ場などどこにもない。海の水は冷たく、大渦に潜む魔物が希望を飲み込む。恐るべき怪異!
 ホームページを調べてみると、たらい回しにされた挙句にリンク切れとなっていた。かがわ都市公園という市のホームページには小ぎれいな写真が載っているが、実態はどうなのだろう。管理の適当さが熱意の薄さに繋がっているんだよ。あるいは隠されたものがここにあるのか。わかっている、秘密は甘いものさ。
文明、切り開かれた都市、しかし君は聞く! 正確な歩幅でついてくる足音を! 黄昏には気を払うがいい! 闇が、血に染まった闇がそこある!
鉄と硫黄の悪臭が漂い、熱い蒸気が口を塞ぐ。地獄ですら手ぬるいと思う状況で、天使の肌触りが君に舞い降りたもうか? 否! 否! 冷たい夜気! 旅人の足を取る小鬼! 誰も君を助けるものなどいない!
死だ! 死が迫る! 頭上より降り注ぐ暗黒が我らを見つめる! 旅人よ、屋根を見つけるがいい!
去れ! ここより先に光は無い! 乾いた風、死に絶えた川、死骸をくべる火にぬかるんだ土! おお、このような地に何を求めて分け入るのか!
長き道のりが立ちはだかる。絶望が降って注ぐ。名もなき偶像が囁く! お前は誰だ!
長い道のりに旅人が水を乞う。痛む足に薬を願う。そんなものはない! ここは慈悲無き国、四国! 弱る旅人をオオカミがつけ狙う! ここは慈悲無き国、四国! 獣頭に刃物を突き立て、生き血を啜る者こそ生き延びる資格が与えられる!
南からの潮風が希望を乾かす! 遠い町の灯に姿の見えない幻覚があざ笑う! 夕闇がお前を食み、朝焼けが罪を裁く! どうか、どうか狂うことなかれ!
どこかで自分を裏切った者の血が流される。鐘の音と共に無実の人間が処刑される。波の打ち付けられる岬で罪人が許しを乞う。虚無は来たれり! 今こそ暗い穴の中へ石を放り込む時なのだ!
全ては砂浜に打ち上げられる。一粒の砂には打撲した過去の情景が描かれている。
男が言った。「一週間前、お前はここで俺を殺した」女が言った。「一週間後、お前はここで私を殺すだろう」藪に潜む瞳が言う。「何も信じるな」ここには真実は無い。
終わりが見える。井戸の底から白い光が見える! ああ、何ということだ! それは陽光ではない! 不気味な笑みをたたえる司祭が、松明を手に穴からこちらを覗いているではないか! 司祭はじっくり私が弱るのを待っているのだ。いつまでも………。
積み上がる死体! 燃え盛る家々! 狂乱はいよいよ極まれり! 疲れ果てた亡者は自ら頂きに登る。
青空に浮かぶ白い雲。頬を温める太陽の光。熱気を冷ます風。面を上げる花々。ああ、それらは全て夢なのだ! 夜明け前が最も暗い!
光、光だ! もっと光を!
旅人よ! 丘向こうの彼方にそなたは何を置いてきた! 天井に張り付く濡れた手形! 窓に映る怪しい瞳! 通路の曲がり角で手招きする悍ましい腕! 見よ! これが四国から持ち帰ったものだ! 捨てたはずの過去がひたひたと足音を立てて近づくのを、まどろみながら聞くがいい!

 以上である。
 お前はクトゥルフ神話の古き神々とでも戦っているのか?
 思わずそう突っ込みたくなる詩だ。
 とはいえだからといって、四国大戦がクトゥルフ神話の影響を受けているかと思えば、それは早計である。この文章はゴーメンガーストに影響を受けているのだ。ゴーメンガーストとは何か。

 ゴーメンガーストとはマーヴィン・ピークの書いたファンタジー小説である。人類が想像する限りもっとも巨大で、巨大すぎて城主も全貌が把握できないくらい巨大な城ゴーメンガーストで暮らすゴーメンガーストの継承者タイタスの話だ。
 これは三部作の二部作目で、ロードオブザリングでいうと二つの塔である。俺はこれしか読んでいない。これしか古本屋になかったのだ。しかしゴーメンガーストとは、何というか心に来るタイトルである。
 まぁ、とにかくこのゴーメンガーストは我々が『中二病』と吐き捨てたものが、中二病というレッテルを張られる以前の格調高い何かを内に留めていて、物語自体は正直退屈だけれど俺の中の『中二病観』を一新させてくれた本である。前述の詩と四国大戦の文体は、この本の影響下にあると言ってもいい。興味のある人は一読をお勧めする。内容はともかく文章だけはなんだかかっこいい。
 さて、これはあくまでも方法論的な話である。次に内容へ移ろう。機動寺院についてだ。どうして俺は寺に足を付けようと思ったのか? それを説明する。

機動寺院の誕生

 もちろん、クトゥルフなどと出会うことはなく、俺たちの旅は順調に進んだ。旅は過酷である。道に迷ったり、迂回したりしてしおりの通りには行かなかった。三月の四国は寒い。車中泊は寒い。寺は多い。ときには寺から寺まで百キロ近くある中をした道で走るのだ。
 辛い。
 辛すぎる。
 距離の問題ではなく、道に迷い、あるいは道そのものがいわゆる荒れ地であることもあったこの旅は過酷を極めた。
 そんな中、俺たちは切に思ったのである。
「寺の方から俺たちに参拝してくれねぇかな」
 機動寺院というアイデアの誕生である。

仏教の破戒兵器

「寺に足が生えて順繰りに俺たちに参拝するの。これなら足腰の弱いお年寄りだって、安全に参拝できるよね」
 悪くないアイデアだと思った。ただ動力はどうするのか? 細かい路地は行けないのではないか? なんで四国民の運転マナーは悪いのか? 友人と話すうちに様々な課題が浮上した。
 まず機動寺院には足がついている。タイヤとかキャタピラでは、起伏の多い四国の大地は不利だからだ。狭い路地とかもダメ。細い足なら、体を浮かして家を跨いだりできる。
 そんな話をしている内に、俺たちの間ではいつのまにか寺が歩くことは既成事実になっていた。
 
そう、かつて寺は歩いたのである。
「あれを見ろ!」
 崩れた岩肌を指して言う。
「機動寺院の不動粒子砲のあとだ!」
 見渡せば四国のあちこちには機動寺院の戦った痕跡がある。
 では何と戦ったのか? そもそもどうして今は動かないのか?
「それはあれだよ、破壊僧の仕業だよ
 と、俺は言った。
「破壊僧が対仏ライフルで機動寺院の足回りを破戒しちゃったんだよ。仏教の軍事利用だ!」
 こうして四国大戦は生まれた。

四国タイム

 以上がライナーノーツに当たるのだが、もう一つ言及しておきたいのは俺たちがお遍路の最中にした不可解な自然現象、四国タイムについてである。
 四国を回っていると一日が長かったり、短かったりする。気のせいで済む話かもしれないが、俺たちはハッキリと異常な現象を体験した。
 四国を回るお遍路さんは、納め札と言うものを書いて、それをだいたい各寺に付き願い事を書いて二、三枚納めるのだが、その作業を夜の車中で行っていた。
 しかし電気ランタンの電池が切れてしまい、電気屋に電池を買いに行くことになった。
 その日の天気は雨である。どんよりとした曇り空である。だが俺たちが電池を買ってちょっと店を出たとき、雨雲などどこへやら、外は快晴になっていた!
 これはおかしい、何かが変だ。時空が歪んでいる。
 
このときから、四国における時空間の異常を俺たちは『四国タイム』と呼ぶようになった。これは四国大戦の中でも重要な概念になるので注意だ。

ブッダがキレた。

 そうしてお遍路を終えて四国から帰ってきて書き始めたのが、四国大戦である。元々は逆噴射小説大賞に出すつもりもなく、自分の中の何かを吐き出すために書いた小説だ。
 主人公はジョン・田中。彼には何か大きなトラウマがあって、それを抱えながら機動寺院と戦う。金剛杖は弘法大師、同行二人とはお遍路の際に弘法大師がついてくれるということ。金剛杖は弘法大師の足である。つまり弘法大師である。そういう発想から来ている。
 それからそもそも四国八十八カ所はいつ生まれたのか? お遍路の歴史は? そもそもブッダとは? そういう勉強の果てに出来たのが冒頭の戦である。末法である、退廃的である。こんな光景をみたらさすがのブッダも怒るんじゃないか?
 いや、怒るという表現はどこか理性をはらんでいる。まだ怒り切っていない。あのブッダが、思わず一目でカンカンになって「コラー!」というぐらいに怒るのだ。ブチギレるのだ。
 ブッダがキレた。
 冒頭の一文はそこから生まれた。

これからの四国大戦

 しかし四国大戦は、まぁ色々あってしばらく書いてなかった。原稿用紙約八百枚超のファンタジー『ベアトリクス・スタンディング』を書いてみたかったし、ピクシブで連載していた小説を終わらせたりしたかったので、止まっていたのだ。
 だがみなさんが注目してくれたおかげで、また書いてみようかなという気になっている。気長に見守って頂きたい。
 以上です。ここまで読んでくれてありがとうございました。
 みんなに仏の加護がありますように。
 次回の更新は11/26を予定しています。投稿ペースも様子見ながら考えます。

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