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三番札所 金泉寺 および 四番札所 大日寺 1

目次

 ジョンの体が大麻山の斜面を滑り降りるように駆けた。その様子は足腰の強い若者も思わず嘆息してしまうほどのものだ。極楽寺を破戒し、疲れ切った彼の体を動かすのは、機動寺院に囚われた人々に対する慈悲である。
 降り注ぐ雨が極楽寺の戦闘に際して負った火傷の痛みを緩和していた。
 風はこちらに吹いている!
 彼方より地響きを轟かせながら迫りくる二つの機動寺院……金泉寺と大日寺に対してあくまでもジョンの心は不敵である。
 一方で、弘法大師空海の人格がインストールされた金剛杖は、現状を正確かつ冷静に分析していた。
 ジョンの体力は限界だ。恐らく二つの寺院に対して二分と持たない。
 この回答は状況を最大限甘く見積もって下したものである。
 だが金剛杖はこの計算結果をジョンに伝えることは無かった。人間をはるかに上回る機動力を持つ機動寺院から逃げるのは困難である。ならばジョンの士気を下げることに意味は無い。
「大師! 寺の情報を頼む!」
 ジョンが要請する。
「金泉寺は釈迦如来を本尊とする機動寺院だ。霊山寺をモデルに迫撃砲と仏弾を発射するガトリング法を一門備え、強力なウォータージェットカッターを発射する砲門を備えている。普段なら井戸水を吸い上げて使うのだが、この雨の中では水の補充も容易いだろう。
 大日寺は極楽寺と同じく支援特化型の寺であり、武装はガトリング砲しかない。本尊は大日如来だ。他の機動寺院が自己再生の難しいダメージを負った際の修理・メンテナンスするための寺院だ」
「そうか!」
 大日寺が攻撃型の寺院でなかったのは幸いであった。もし本尊が不動明王であればこの時点で完全に詰みである。
 ジョンへ向けて前進する金泉寺。無論、徳の補給は怠っていない。激しい動きには激しい徳を消費するのだ。干からびた人間の死骸を内部から排出し、新たな人間をロボットアーム『木魚』によって取り込む。
 前進する金泉寺に対して、大日寺は斜め後ろに控える形で追随する。支援特化型の寺とはそういうものだ。
 ジョンは既に大麻山の麓を駆け下りて、鳴門の町の西部へ達していた。そこへ家屋を蹴散らし、人を食らいながら突き進む金泉寺が肉薄する。
 先に敵を射程内に捉えたのは、高度に分のある金泉寺のガトリング砲であった。
「危ッ!」
 ジョンは素早く家屋の影に飛び込んだ。大木に斧を突き立てるが如き音を立てて、茅葺屋根が軋んだ。恐らく体面では仏弾がハリネズミのように突き刺さっているに違いない。
 ガトリング砲で狙われている以上、もう通りを普通に歩くのは即死である。家屋から家屋へ移動しようと、ジョンが地面を蹴った矢先に鼻先を仏弾が掠めた。
 金泉寺は家屋の影にいるジョンの位置を正確につかんでいた。
 この状況は詰みか?
 否! ジョンは台風などの強風においても着火する自動着火蝋燭で、線香手榴弾に火を点けて投げる。爆発。周囲に煙が広がった。
 ジョンは煙に紛れながら別な家屋の影に隠れた。金泉寺のガトリング砲から放たれる仏弾が遅れて追従した。そこから大木の影、また次の家屋へと短いスパンでジョンは遮蔽物の影を渡る。再び線香手榴弾を投げて、通りを渡って別な家屋へ隠れた。対仏ライフルの射程まであと少し。
「うっ」
 ジョンが膝から崩れ落ちた。
 疲労である。
 ジョンの体重は極楽寺との戦闘を経て、この短時間に二キロ近く減少していた。機動寺院との戦闘は、言語を絶する激しい苦行なのである。
 吐き気を催し、えづく。
「しっかりせよ! ジョン!」
 金剛杖が叫ぶ。それしか出来ない自分に、金剛杖は懊悩した。ああ、自分はどうして寺には足を付けて、杖には足を付け無かったのか!
「問題ない!」
 ジョンは掌に雨水を貯めて啜った。雨水は血と泥の味がした。
 しかし結果的に、膝をついたのはブッダの加護と言って差し支えなかった。次の瞬間、ジョンの頭の少し上を金泉寺のウォータージェットカッターが掠めた。金泉寺のウォータージェットカッターが、周囲の家屋、木々、塀を横一閃し、一呼吸の間をおいて倒壊せしめる。
「ぐあああああ!」
 瓦礫がジョンに襲い掛かる。ジョンは体に残った最後のカロリーを振り絞って、金剛杖を地面に突き刺して立ち上がると、通りへ向かって身を投げるように飛び出した。
 その隙を逃す金泉寺では無かった。住民が心を込めて木を彫り、寄進した仏像が弾丸となって金泉寺のガトリング砲からジョンへ放たれた。
 ジョンの胸に仏壇が突き刺さる。身長百八十センチを越える体が、仏弾の直撃を受けて吹き飛んだ。だがしかし「かはっ!」ジョンは死んでいなかった。般若心経に辛うじて残っていた徳が、説法が、ジョンに対する攻撃を無力化したのである。
 同じく追撃を試みる金泉寺のガトリング砲が停止した。仏弾が切れたのである。これによって金泉寺はガトリング砲が永久に使用出来なくなった、と考えるのは早計である。金泉寺の後ろに控える大日寺がロボットアーム『木魚』によって周辺の木材を取り込む。取り込まれた木材は大日寺に内蔵されている小型BNCフライス盤(BNC:梵字数値制御)によって仏弾に加工され、金泉寺に供給されるのだ。
 同時に金泉寺は急ピッチで吸入器から雨水を充填し、ウォータージェットカッターの第二射の準備を進めていた。計算ではあと三分でジョンの体は真っ二つになる。
 いや、それよりも踏み潰した方が早いか?
 金泉寺は八本の足を不気味に動かしてジョンへ迫った。今度こそジョンに打つ手は無かった。泥の中に身を横たえ、手足は疲労に震え、息も絶え絶えだ。
 しかしその目! 目だけは変わらずに闘志と怒りを湛えたまま、金泉寺を睨みつけている!
 金泉寺はジョンの眼差しに何を感じるのであろう? 何も感じない! 経典に書かれたプログラムに基づいて動くこの木と紙と鉄と徳の複合体には、自我や感情と言ったものは一切存在せず、人間の心情を察して思いやる機能は搭載されていないのだ。
 ジョンに金泉寺の足が迫る。甲殻類のそれを思わせるそれが人体を踏めば、問答無用で原型をとどめずに潰してしまえるだろう。ちょうど人間が蟻を踏むように。
 そのとき、東方から無数の矢が飛んで金泉寺に命中した。
「ジョーン!」
 女の声がする。やはり東方である。ジョンが声のする方へ目を向けると、左腕を包帯で吊って、赤い衣を来た女が馬を早掛けして近づいてくる。
 真空の紅だ!
「紅!」
 来た理由はどうでもいい。来たことが重要なのだ。ジョンは紅に向かって右手を伸ばす。馬も気を使って足を屈めた。紅はジョンの手を掴んで彼を馬上に引き上げて後ろに乗せた。
「よく来た紅!」
 ジョンの代わりに金剛杖が礼を言った。
「遠くから寺が二軒来るのが見えてね! 一日に二寺は無茶すぎるだろ」
「三寺だ」ジョンが言った。「今日は既に一寺倒している」
 ひゅう、と紅は口笛を吹いた。
「四国から寺が絶滅する日も近いね!」
「それはそれで困るが」と、金剛杖は言ってから「そうか!」と何かを思いついた様子で「紅! 西へ走れ! 破戒された極楽寺へ向かうのだ!」
「極楽寺? 何故だ?」
 ジョンの疑問に「説明している暇はない」と金剛杖は言う。
「とにかく西へ!」
「あいよ!」
 紅は馬の腹を踵で蹴る。


 移動する二人を金泉寺は追う。東からは相変わらず矢を射かけられているが、機動寺院にとっては、彼らの登場は不意打ちでも何でもなかった。
 徳によって強化された寺に、矢は意味をなさない。木造の柱や床部分に突き刺さるが、自己再生能力ですぐに傷は無くなる。
 金泉寺の優先順位は今のところ、破戒兵器を持つジョンにある。しかしそれもセンサーが熱を感知したことで順位が入れ替わった。
 紅の連れて来た兵士が、矢に火を点けて火矢としたのだ。
 火は家屋の天敵である。徳によって守られている機動寺院ではあったが、それを差し置いてなお、やはり火は脅威である。
 金泉寺内部の本尊が、徳を搾取している衆生の一人である、足腰の弱い老人が消耗していることを感じ取った。
 ちょうどいい、生きの良い念料を見つけたところだ。
 金泉寺は木魚を使って足腰の弱い老人をポイ捨てすると、兵士たちへ向かって八本の歩を進めた。


 極楽寺は前脚を二本破壊され、天井には穴が開き、廃墟のように街中へ崩れ落ちていた。それらが静かに物語る戦いの激しさに、紅は馬上から思わず息を飲む。紅とジョンを乗せる紅の愛馬『ショウガ』もぶるるる、と戦慄するように首を震わせた。
 背後で何かがべしゃりと泥の中に落ちた。ジョンだ。体力が尽きて落馬したのだ。
「ジョン!」
 紅も馬から降りて、泥まみれのジョンを介抱する。
「極楽寺へ運べ!」
 金剛杖が指示を出す。確かにこのまま雨に打たれているよりはマシだろう。恐るべき機動寺院の体内に避難するのは気が引けたが、四の五の言っている余裕は無かった。紅はジョンの体を担いで極楽寺へ入る。
 身長百八十センチ、体重八十キロを越えるジョンを担ぐ紅の強靭な足腰は、並外れたものがあった。
「おぬし、修行でもしているのか?」と、問う金剛杖に紅は「米俵より軽いよ」とうそぶく。
「それで、廃寺へ逃げ込んでどうしようって言うんだい?」
 畳の上にジョンを優しく降ろし、頭には枕代わりに座布団を丸めたものを敷いた。ジョンのすぐそばで、天井から降ってくる雨水が傾いた畳に川を作った。
 こんなところへ逃げ込んでも籠城は出来ない。機動寺院は容赦なく撃ち、踏み潰し、粉々に消し飛ばしてしまうだろう。
 しかし次に金剛杖が発した言葉は驚くべきものであった。
「極楽寺を再起動する。これを操縦して金泉寺と大日寺に対抗するのだ」

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