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六番札所 安楽寺 および 七番札所 十楽寺 2

 安楽寺が歩き出して半年が経った。
 上坂の町の経済状況は、目に見えて悪くなっていった。安楽寺によって人間が食べられていった結果ではない。機動寺院の襲来によって、人々は何となく外出するのを避けるようになったからである。また、隣町からの往来も絶えた。アッパーボード牧場における牛乳の出荷量も減少の一途を辿っている。
 光太郎が聞くところによれば、それでも四国の中では比較的マシなようで、周辺の機動寺院による被害は安楽寺と比べ物にならないならしい。なまじ福祉特化型の寺院であるがゆえに、安楽寺は食われた人間の寿命が長いようだった。
「父上、国府からの返答はまだなのだろうか?」
 牛の世話を一段落させた光太郎と真央は、光太郎の父親と共に火鉢を囲んでいた。既に年は明けて二月である。寒さも一段と厳しい。
「国府からの返答は無いようだ」と、昨日、庄屋の新太郎諸兄と会議を終えた父の談である。
「国府も自分たちを守るだけで手いっぱいらしい。他の町、村、集落では既に無政府状態と化した場所もあると聞く。暴徒と化した集団が集落を支配して、弱い者を奴隷にして支配しているようだ」
「暴徒と言うと、あのデモ隊のような?」
 真央の言葉に父親は首を横に振った。
「分からん。俺の話も伝え聞いたものだ、実際には無政府状態なんてものは噂に過ぎんかもしれぬ」
「税は?」
 真央が訊ねた。税はこのアッパーボード牧場にも牛乳と言う形で割り当てられている。その量は牧場の面積によって数学的に取り決められていた。
 牛乳の出荷量が減少し、余剰分のストックが貯まっている現状では、むしろ税と言う形で出荷した方が返って無駄にならずに済む。
「確保しておくが、払えるかどうかわからない。京までの輸送ルートが確保できんのだ。鳴門までの連絡が断絶している」
 その原因は、とりもなおさず機動寺院だ。各集落ごとに情報を集める使者が、機動寺院に捕捉されて食べられてしまっている。辛うじて戻って来た使者が、周辺の現状を伝え、もたらされた僅かな情報をもとに新太郎さんらが四国の状況を組み立てている有様だ。
 要するに現在、四国の状況を正確に理解している人間が誰一人としていないのである。今、四国は陸の孤島が密集する霧の諸島と化しているのだ。そのような状態で今後の方針をどう決めろというのだろう。その間にも、機動寺院は人間を食べ続けている。
 平安時代の政治・行政は中央集権化が進んでいる。京が方針を示し、国府がそれをもとに各集落へ目標達成のノルマを課す。そうした慣行が続く中で――。
 新太郎さんが独自の判断を下すのは厳しい、か。
 光太郎も庄屋の新太郎のことはよく知っていた。人と人との調整に長ける、どちらかといえば大人しく優しい性格の新太郎さんは、押しの弱い部分がある。このような状況で、率先して大胆な判断が出来る人間ではない。現状維持に徹するのが関の山であろう。
 だが仮に光太郎が新太郎の立場に立ってみたらと仮定して、光太郎自身もこれと言って考えは浮かばなかった。寺が歩いて人を食べるという異常すぎる事態に、どう立ち向かえと言うのだろうか。
 まさか本当に機動寺院と共存を?
 ありえない。
 光太郎はかぶりを振る。しかし現状では――。
「どうした、光太郎」
 父親が光太郎の様子を見て言った。
「父上、このままでは」
 光太郎はためらいつつ、言葉を絞り出す。
「四国は滅亡します」
 その言葉は、想像以上に絶望的な響きを孕んでいた。隣に座っていた真央は声にならない呻きを上げて、父親は腕組みしてため息を吐いた。
「例えそれが運命だとしても、最後まで抵抗するしかあるまい」
 父親は立ち上がって部屋を出た。出る際に、父親は呟くように言う。
「こんな時代に産んですまん」
 障子戸が締められる。光太郎は目をつぶり、自分の発言を後悔した。
 それからしばらく、光太郎と真央は火鉢を黙って見つめていたのだが、やがて真央が意を決するように光太郎に言った。
「光太郎」
「なんだ」
「俺は、どうせ死ぬなら好いた女と一緒に死にたい」
「そうか」
 光太郎は、自分の中の何かが音を立てて断たれたのを感じた。
「いいだろう。真央、お前はレンレンと一緒になるがいい」
 光太郎があっさり言うので、真央は拍子抜けして「どういうことだ光太郎。お前だって」と言い返す。
「そうだ。だが俺にはもう、その資格がないような気がする。俺は四国の滅亡を予言し、実の父親にあのようなことを言わせてしまった。ならば俺は残りの生涯をかけて、自分の言葉を撤回する他あるまい。最後まで神仏を信じ、一念を持って四国の滅亡を防ごうと思う。先祖代々伝わりしこのアッパーボード牧場を守り抜くのだ。俺は今、誓うぞ。ここにいるお前と、レンレンにかけて」
「神仏を信じるも何も、相手はその神仏だぜ?」
「そうだ、それでも信じて戦うのだ」
 自分でそう言うと、不思議と信じられる気持ちと、勇気と、力が湧いてくる。
 俺はあの足が生えた滑稽な寺などには負けん!
 だが一方で、機動寺院との共生を謳うデモ隊は、日毎にその勢力を増していたのである。


 翌日も早朝、光太郎と真央はいつものように牛の世話をしていた。昨日、ああは言ったものの真央はまだレンレンに何も言っていない。明日、四国が急に滅亡するわけでもないように、真央のアプローチも早急になされるものではなかった。だがいずれ、時間の問題であろう。
 光太郎の方はと言うと、これもいつも通りである。いや、いつもより牛の世話を丁寧にしていた。これが彼にとっての戦いであった。自分が出来ることを、出来る範囲でよりよくやることが、彼なりのせめてもの抵抗なのである。
 厩舎の掃除をし、牛の寝藁を取り換えて糞の掃除を済ませると、光太郎と真央は牧場一角にふらふらと人間が迷い込んでいるのに気が付いた。
 牛泥棒か!
 と、光太郎は思わず身構えたが、自分たちが作業をする白昼に堂々、盗みを働く牛泥棒がいるはずもない。それに人影は頼りなさそうにフラフラと右へ左へ揺れつつ歩き、小柄で、着ている服も薄汚れていた。まるで遭難者のようである。
 いや、本当に遭難者かもしれない。
 山から遠い平地の高原で、そんなことはあり得ないのだが、この時の光太郎と真央はまさしく人影を遭難者だと思い、掃除用具を放り投げて走り出していた。
「大丈夫ですか!」
 駆け付ける二人を見てホッとしたのだろうか、人影が草むらの中へ崩れ落ちた。
「おい!」
 いち早く駆け付けた光太郎が人影を助け起こす。それは泥にまみれた美しい少女であった。


 光太郎と真央は少女を家へ連れ帰り、母親に体を軽く拭かせて布団へ寝かしつけた。痩せさばらえた体からは、栄養失調の痕跡が伺えた。それを差し引いて考えても、年齢は光太郎と同じか、一つ二つ下くらいだろう。
 見慣れない顔である。この付近に住んでいる者ではない。恐らく隣の村から来たものだろう。方角からすると阿波からだろうか。
「国府の使者だろうか?」
 光太郎が言うと父親が「国府の使者をこんな女の子一人に任せるとは考えにくい」と答える。確かにその通りだ。光太郎は静かに少女が起き上がるのを待った。
 すぐに少女は目覚めた。
「母さん、目が覚めたぞ」
 父親が言うと、母親が温めた牛乳をなみなみと茶碗に入れて持ってくる。少女はそれを受け取ると、ゴクゴクと一気に飲み干してしまった。よっぽど喉が渇いていたのか、お腹が空いていたのか、あるいは両方か。
「お前さん、名前は?」
 父親がたずねた。すると少女は布団から飛び出して三つ指を着き「この度は助けてもらいありがとうございました」と礼を述べた。その所作としっかりした声、態度に、逆に父親の方がドギマギしてしまう。
「いいっていいって、布団の中にいなよ。困ったときはお互い様さ、なぁ、光太郎?」
「ええ」
「私の美奈、隣の阿波からやってまいりました。阿波は今、十楽寺によって壊滅的な被害を受けています。私たちは隣の上板まで、支援を求めに来ました」
「こんな小さな女の子一人でかい? それはちょっとひどいんじゃないか?」
 母親が同情すると、美奈は首を振った。
「私たちは家族で上坂を目指しました。夜、寝静まった頃に家を出て、丘を越えて上坂に行こうとしたのです。しかし十楽寺は十里先から私たちを見つけて襲い掛かって来ました。足腰の弱かった祖母は十楽寺に踏みつぶされ、上手くしゃべれないほど幼かった弟と妹はレーザー光線で焼き殺され、父と母は十楽寺に食べられてしまいました。転倒して泥を被り、木の洞に隠れていた私だけが、十楽寺の襲撃を生き延びたのです」
 美奈のおぞましい独白に、光太郎と両親、真央は戦慄した。
「だが、阿波は国府だ。国府は武士が守っているはずじゃないか?」
「武士の武力では、十楽寺に太刀打ちすることは出来ません。ただ十楽寺の攻撃の優先順位を少しだけ減らすだけです。国府は役人と武士、およびその家族を守るのに精いっぱいで、農民はあえて放っておくことで私たちを囮に生きながらえているのです。おかげで人手は次々奪われて荒廃し、国府から配給される僅かな食糧で食いつないでいる状況ですが、それももう無くなりそうなのです」
「そんな、ひどい!」
 光太郎が拳を固めて憤る。
「確かにひどい。だが正しいやもしれん」
 父親が腕を組んだ。
「国府は京への窓口だ、そこが生きていれば外部との支援が繋がる。四国の住民が食いつくされれば、機動寺院は人口の密集する京へ向かう可能性が高い。彼らとしても、機動寺院は放っておくことが出来ないはずだ」
「しかし、もう三ヵ月も音沙汰がないではありませんか」
 真央が言った。
「役所の仕事は遅い。半年、一年かかっても不思議ではない」
「半年、一年も持つのでしょうか?」
「信じるしかない。今は助け合うときだ」
 そう言うと父親は美奈に向き直る。
「あんたのことを庄屋の新之助さんに話してみよう。幸い、上坂はあんたの所とは違って、まだ余裕がある。どれだけのことが出来るか分からないが、やれる限りのことはやってやろうじゃないか」


 美奈と牛の面倒を母親と真央に任せて、光太郎と父親は庄屋のところへ向かった。まだ庄屋に知らせる段階で、父親だけが行けばよかったが阿波の現状を聞いた光太郎はいてもたってもいられなくなったのだ。
 二人が庄屋の屋敷へ来たとき、家主の新之助は縁側で茶をすすりながら一服しているところだった。
 新之助は二人を認めると愛想よく手を振って「やぁ、牛乳屋とその息子じゃないか。二人揃ってどうしたんだ今日は?」と声をかけた。
「実はですね」
 光太郎の父親が美奈のことを説明すると、新之助は険しい顔で腕を組んだ。
「なるほど、国府からの通達が来ないとは思っていたが、阿波ではそんなことになっていたのか」
 新之助はしばし黙考して「支援するにしても、どれだけのことが出来るのか集まって話し合う必要がある。そもそもそれだけの支援が必要なのか、我々の方からも阿波へ赴いて、一度現状を見てみる必要があるだろう」と言った。
「なら、俺が行きます!」
 光太郎が視察を買って出るが「ならん!」と、父親に制止された。
「お前は牧場の跡取りなのだ。そんなことはやらせん。視察には俺が行こう」
「そう焦るな、二人とも落ち着け。それもこれから決めることだ。すぐにみんなを集めよう」
 父親は庄屋と共に町内の人々を集め、光太郎は牧場の仕事もあるので先に帰った。
 家に帰ると美奈が母を手伝って竈の火を起こしているので驚いた。
「もう起き上がって大丈夫なのかい?」
「ええ、助けていただいたのに寝てばかりというのもどうかと思いますし」
 美奈は伏し目がちに言った。
「お父上は?」
「阿波に支援をするのと、どれぐらい支援を送ればいいのか調べるために、みんなで集まって話し合っているころだと思う」
 光太郎の言葉を聞いて、美奈の顔が明るくなる。
「私たちを助けてくれるんですね!」
 美奈が光太郎の手を取った。竈の火を起こしていたせいか、その手は暖かかった。光太郎は自分の顔が熱くなるのを感じた。
「うん、庄屋の新之助さんも前向きだし、どれくらいのことが出来るか分からないけど」
「帰ったか、光太郎」
 後ろから真央に呼びかけられて、光太郎は思わず美奈の手を離した。
「父上はどうした?」
 光太郎は美奈にしたのと同様の説明を真央にして、牧場の仕事へと戻る。
「それじゃ、また後で」と、光太郎は美奈に手を振って厩舎へと向かった。

 午前の仕事が終わって、光太郎が真央と縁側へ休憩に帰ると美奈がお茶を淹れてくれていた。
「ありがとうございます、美奈さん」
「ありがとう」
 光太郎と真央はそれぞれ礼を言うと、縁側に座って美奈とお茶を啜った。
「牛が見ていますね」
 不思議そうに美奈が言うので、光太郎が放牧場を見やると、確かに牛たちが集まって柵の向こうからこちらを見ている。
「見慣れない人がいるから、気になるんでしょう。牛にも好奇心がありますから」
 真央が説明すると「おーい」と、牧場の入口からレンレンがやってきた。
「なーんか、うちのお父さんが呼ばれてったけど、阿波の人が来てるんだって?」
 そう言いながらレンレンが縁側に近づいて行くと、レンレンは縁側の座敷に座る美奈に目を止めて「あれ? あらららら」と口を押えた。
「もしかして、あなたが阿波から来たって人? あたしレンレン! サトウキビを育ててる農家なの」
「美奈です」
「よろしくね」
「は、はい」
 レンレンの元気さに美奈がたじろぐ。
「女の子だね」
 レンレンが光太郎に耳打ちした。
「だからなんだよ」
「あ、これお母さんが阿波の人に食べてもらいなって、持たせた奴」
 レンレンが風呂敷を光太郎に渡す。中に入っていたのは砂糖を固めて作った砂糖菓子だった。
 光太郎は母も呼んでみんなと一緒にお茶を飲み、砂糖菓子を食べた。
 やはりみんなで集まって過ごすのはいいことだ。
 口元に付いた砂糖を拭いながら、光太郎は思う。やはり人間は一人で生きるべきではない。
 柵に集まる牛がいつの間にか増えていた。彼らも砂糖菓子が食べたいのだろうか? やめておけ、腹を壊すぞ。
 父親は昼過ぎに家へ帰って来た。
「視察のメンバーが決まった」
 光太郎の父親を筆頭に、体力のある農家の次男、三男坊が阿波へ向かうことになったようだ。

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