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四国大戦 二番札所 極楽寺3

 ジョンは極楽寺の破戒に備え、大麻山の中腹にある岩陰で対仏ライフル分解、整備を行っていた。洞窟での一件以来、金剛杖は口をきいていない。
「怒っているのか、大師」
 布を巻き付けた棒で、銃身のライフリングを洗浄する。部品の汚れを拭きとり、砂や泥などの異物を除き、可動部に油をさす。破壊僧にとっては、この過程も悟りに至る修行の一つとなる。
「怒りに囚われるなどと言う未熟は既に克服している」
 金剛杖が答える。
「私は今、極楽寺に対する戦術をシュミレートしているのだ」
「そうか」
 ジョンは各部品の整備、点検を終えて対仏ライフルを組み立てる。
 天気は昨日と同じく快晴、緑の葉を付けた木々が青い木漏れ日をジョンに投げかける。谷を流れる清流の響き、鳥の声に茂みの中へ鳴く虫、遠くから好奇心を持ってこちらを見る鹿、和やかな光景だ。
 その平和を地響きと共に打ち破るものがあった! それが通るとき、鳥は木から逃げ出し、獣は巣から這い出た。
 ジョンは座禅を組み、心を鎮めてそれを待つ。次にジョンが目を開いたとき、それは食べかすを宙に放り投げた。人間だ! 徳を吸われて干からびた人間が、ロボットアーム『木魚』が人間をポイ捨てしているのだ!
 ジョンは未熟な僧侶である。金剛杖に組み込まれた弘法大師に比べれば、大抵の僧侶はそうかもしれないが、それに比べてもやはり未熟である。ポイ捨てされる人間を見て、心を鎮める効果はどこへやら、ジョンの怒りのボルテージは臨界に達した。
 立ち上がって、左腕に鏡の盾を付け、叫ぶ。
「来い、極楽寺! 貴様が寺を名乗るというなら、俺は最大の仏敵となろう! 俺はジョン・田中! 破壊僧である!」
 極楽寺の反仏質感知センサーがジョンを捉える。センサーが大きく感知したのはジョンの輪袈裟の裏に隠した反仏質弾ではなく、彼の阿修羅の如き怒りであった。
 極楽寺が阿弥陀如来に由来する光線をジョンに放つ。それは五キロ先にいる豆粒のようなジョンへ過たず命中した。
 その光をジョンは、レイジの仕立てた銅の盾で受ける。目には溶接用の遮光版、もうすぐ正午になろうという日差しが、瞳孔を狭めていたのも追い風となった。
「昨日のようにはいかぬぞ!」
 冴えわたる青空、萌えいずる緑の中で、破戒活動が始まった。

 仏教において血は穢れである。物理的な汚れは洗えば落ちるが、穢れは人間の内面、精神にこびり付く。
 それを啜る吸血鬼が忌み嫌われるのは、仏教の世界では当然のことであった。
 どうしてこのような忌まわしい生き物が生まれたのかは定かではない。一時は口にすることさえ穢れるとされたそれらは、伝承の中でさえ記述を憚られて今や口伝にすら残っていない。彼らは既に文化の中では撲滅されたのである。
 しかし月が雲に隠れた闇の中、コウモリの隠れ住む洞穴、光の差さない鬱蒼とした森の中、誰も済まなくなった廃屋の中に、時折それは見出された。闇と闇を繋ぐ橋、囁きと囁きがその存在を辛うじて伝承した。
 レイジはこのような悍ましきものの末裔である。彼がどのように生まれたのかは彼自身、定かではない。
 彼を洞穴の闇の中に見出したのは寿眼と呼ばれる仏具屋であった。良質な鉱物を求めた末のことである。
 寿眼には子供がいない。妻帯していたが、妻に先立たれて身寄りもなく天涯孤独であった。その孤独がレイジを育てることを決意させた。忌まわしき生き物であると知ってのことである。彼はレイジを見出した洞穴に、一切の道具を引き込んでレイジを育て始めた。
 レイジは寿眼の作る仏具に触っては、怪我をした。仏アレルギー反応である。太陽光に当たると火傷をした。紫外線アレルギー反応である。
 寿眼は毎朝、空海が建造したという極楽寺に参拝してレイジが人間になれるように祈祷した。僧侶を育てるようにレイジには肉、魚を食べさせなかった。
 そのせいだろうか、レイジは現在に至っても吸血衝動を発していない。彼自身も、自分を吸血鬼だと思ってはいなかった。だが相変わらず仏具に触れると手を火傷した、陽の光を浴びれば皮膚は焼け、義父が参拝する寺の敷地内には立ち入ることすらできない。
「どうしてなんだパパ! どうして僕は太陽の下で暮らせないんだ! どうして他の人のように暮らせない!」
 レイジは度々、洞穴の中でこのような癇癪を起こした。
「それはお前が仏敵だからだ」
「僕は仏敵じゃない! 僕がいったい何をやったっていうんだ!」
「そうだ、だけど私がお釈迦様に許してくれるように毎朝頼んでやっているからね」
「無駄だよパパ! お寺でお祈りをしたって、それが僕の体質にどのような影響を与えるっていうんだ! ぶっ飛ばしてやる! 仏なんかぶっ飛ばしてやるんだ!」
「駄目だレイジ、そんなことを言っては……」
「どうして?」
「誰も仏をぶっ飛ばすことは出来ないし、してはいけないんだ。でも、もしそんなことが出来るとするなら、それは破壊僧だけだ」
 破壊僧! 人類の歴史において仏教が邪悪な権力に利用されるケースが度々発生した。その際に、特別の認可を得て仏を破戒する僧侶たちが邪悪な権力に対抗したのである!
「破壊僧なら、破壊僧なら仏をぶっ飛ばしてくれるんだね!」
「そうだけど」
 寿眼はしゃがんでレイジの目線に立つ。
「彼らも仏を信じている。レイジはパパを信じてくれるかい?」
「うん!」
「じゃあ、パパをぶっ飛ばせるか?」
 レイジは首を横に振る。
「だけど破壊僧はぶっ飛ばすんだ。破壊僧はみんなを助けるために、誰よりも辛いことをしているんだよ」

 ジョンは木々の間を飛ぶように駆ける。
「木々を盾にするんだ! 懐に飛び込まねば勝機は無い!」
 ジョンが極楽寺へと接近する。下り坂は速度が出たが、筋肉にも負担がかかった。足元へ注意を払う。極楽寺の攻撃も脅威であるが、山に置いて気を払うべきは滑落である。加速する体を、木の幹に捕まって適度にブレーキを駆けつつジョンは駆け降りる。速度に緩急を付ければ攪乱にもなる。
 光線を受けて発熱した鏡の盾からは既に熱が引いていた。銅は熱伝導率の極めて高い金属である。一点で集められた熱がすぐに全体に拡散し、空冷されていった。
 知っていて銅鏡を採用したのなら、あの吸血鬼、大したものだ。
 金剛杖がそう感心するのも束の間、彼らに向けて再び阿弥陀光線が放たれようとしていた。
刹那、レーザー砲の口径が絞られる。
「いかん! ジョン、伏せろ!」
 金剛杖が叫ぶと同時に、ジョンはスライディングの要領で斜面に滑り込んだ。次の瞬間、今まで所なる赤く細いレーザーがジョンの笠を掠めた。
 一瞬の間をおいて、周囲の木々が根元から切断され、次々に倒れ込んだ。斜面の上では土ぼこりを上げて地滑りが起きようとしている。
「うおおおおおおお!」
 降りかかる大木を、ジョンは驚異的な筋力と動体視力で回避する。
 この間、極楽寺による追撃は無い。あれだけの出力のレーザーを放つには、十分な徳の充填を必要とするのだ。
 だがその必要も無かったかもしれない。木々を避けるジョンに、レーザーによって切り取られた山肌が土ぼこりを巻き上げながらジョンを飲み込んだ。
「ぐあああああああ!」
 砕ける大地に飲み込まれ、ジョンの意識が喪失する。
「喝!」
 しかし煮えたぎる怒りと衆生救済の大義が、コンマ二秒でジョンの意識を覚醒せしめた。だが気が付くと彼の体は大量の土砂と木材に挟まれ、上半身だけが辛うじて地面に出ている有様であった。
 地滑りに飲み込まれた状況を考えれば、その程度で済んだことは仏の加護以外の何物でもないのだが、彼の頭上にはまさしく極楽寺が六本の足を屹立させ、レーザーをジョンへ向けていた。極楽寺もまた仏の加護を持つ存在なのである!
 ジョンは鏡の盾を探すも、それは既に左腕からひき剥がされ、届かない場所に転がっている。下半身の戒めは筋肉によって解決できそうだが、時間が足りない。懐の般若心経は徳を失っている。地滑りに巻き込まれたダメージを中和したせいだろう。
 打つ手なし、そう思われたとき黒い影が鏡の盾を拾ってジョンとレーザー砲の間に立った。
「グワアアアアアアア!」
 レイジだ! 彼は仏敵なら一撃で灰燼に帰すことが出来るレーザーを、まばゆい日差しを浴びながら銅鏡で受け止めていた。冬用の厚い着物、頬冠した頭に笠を被ってなお、日差しは彼の肌を焼き、極楽寺の徳が彼を蝕んだ。
 会ってまだ一日も経っていない彼がジョンを助けるのは何故だろうか?
 そんなことはどうでもよい!
「があああああ!」
 ジョンはうなりを上げながら、自分の足を挟む木々を両腕の筋肉で退けた。痛む体はもう癒えた。ジョンに対仏ライフルの引き金を引かせるのが怒りならば、身体を癒すのは施しと優しさに他ならない。
 斜面を駆け下り、光線を受け、木々を躱し、土砂崩れに巻き込まれたジョンの体は、レイジの献身によって全快していた。
 いや、それ以上だ!
 極楽寺がレーザーを撃ち終えると同時に、ジョンは寺を支える六本の足の内、手前の二本へ向けて対仏ライフルを放った。
 足は爆発して砕け、極楽寺の態勢がやや前のめりになる。
 そこへジョンは数珠を放った。数珠は極楽寺を構成する柱の一つに絡みつき、ジョンはそれを力強く引っ張って極楽寺の懐に飛び込んだ。
 地上ではレイジが銅鏡を構えて消沈したように動かない。あるいはもう死んでしまったのだろうか。
「喝!」
 近づく極楽寺の向拝に対仏ライフルを撃ちこんで、ジョンは賽銭箱を越えて寺の内部へと突入しようとする。
 そこへ寺の内部からロボットアーム『木魚』が飛び出してジョンの体を掴んだ。
「こしゃくなっ!」
 刀を抜いて木魚を両断し、空中で一回転してジョンは極楽寺の屋根に着地した。その途端に、極楽寺は残った四本の足を延ばし「ぎいいいいい」という獣の唸りに似た音を上げ、ジョンを振り落とすべく、尾根を下りながら右へ左へ激しく揺れた。
「うぬう!」
 震度七に匹敵する揺れを、ジョンは刀を屋根に突き刺すことによって耐える。
 極楽寺は大麻山を降り、西へ大きくカーブする。それによって生じた遠心力は、ジョンの体を宙に浮かせた。
 それでもジョンは刀の柄を離さない。これを手放すということは、極楽寺に囚われた人々の命を見捨てるというに等しいからだ!
「屋根だ! ジョン、屋根を撃て!」
 金剛杖の指示にジョンは左手で刀を握ったまま、対仏ライフルを瓦屋根に向けた。
 一発、二発、三発、極楽寺は暴れ馬のようにその体を揺らす。
 四発目で反仏質弾は屋根を貫通し、ジョンは両足で穴を蹴破り、広げて寺院の内部、捕獲した人間が強制的に崇拝を捧げる本尊の前へと降り立った。
 ジョンは阿弥陀如来を模した本尊に、対仏ライフルを構える。
 次の瞬間、本尊は凄まじい後光を発してジョンの目をくらました。極楽寺最後のあがきだ!
 ジョンは遮光眼鏡を装備して、冷静に対処する。まばゆい光の中に、かろうじて本尊の影を見た。
 対仏ライフルを構えて引き金を引く、が、しかし反仏質弾は後光に反応して空中で爆発する。
「ぬう!」
 ジョンは対仏ライフルを捨てた。刀も極楽寺の屋根に突き刺さったままだ。線香手榴弾は周囲の人間を巻き込む可能性が高い。
 ならば回答は一つ! ジョンは右手に数珠を巻き付けて本尊を殴打した。後光により加熱した本尊は、殴りつけたジョンの指をわずかに焼いた。
「なんのこれしき!」
 負けじとジョンはノーガードの左手で本尊を叩きつけた。本尊の熱がダイレクトに伝わる。
 ぬるい! ぬるい! ジョンは身を挺して自分を守ったレイジの献身を想う。
「ぬるいぞ! 阿弥陀如来!」
 ジョンは本尊を連打する。
「俺たちはまだ熱くなれるはずだ!」
 本尊の後光がヒートアップする。
「うおおおおおお!」
 ジョンの拳の連打速度が加速する。本尊に亀裂が生じた。
 そのときジョンの心に迷いが生まれた。この本尊を破戒するということは、あのもん子を始めとした、この地の妊婦の加護を破戒するということなのではないのか? だがその迷いも視界の端で理不尽な祈りを強いられるもん子を捉えた瞬間に霧散した。
 衆・生・救・済!
「とどめだぁ!」
 ジョンの蹴りが本尊に炸裂し、本尊は爆発四散する。
「今だジョン!」
 ジョンは納経帳を掲げる。粒子化した本山が、納経帳に吸い込まれていく。
 四国霊場二番札所、極楽寺がここに破戒されたのである。

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