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話し手になれない私は書き手になる。


私の愛する彼は、聞き下手の話し下手。
致命的だと思われるかもしれないけれど、仕事のときには彼の中の聞き上手スイッチがONになるんだと思う。
私が彼と付き合う前とか、付き合いたての頃、彼は非常に聞き上手だったから、あの頃はスイッチONにしてたんだと思う。

どうしてちゃんと私の話を聞いてくれないの。
と不満に思うことは今でもあるし、その不満が溢れることもある。
聞いてくれているようだけど目線はスマホだったり、話していても、1テンポ遅い相槌だけが、私のトークの継ぎ目にポツンポツンと置かれるだけだったり、私がどこかで見知ったことを、うきうきと話した最後が「そりゃそうでしょ」だったり。

こちらもなんだか具合が悪いなってときは、途中で話す気がなくなってしまう。

かといって聞き手に回ることも難しい。なぜなら、何か一つ質問を投げ掛けても、彼の答えは抽象を極め、さらに詳細を聞き進めていくうちに、あれ、これ客観的に見たら、私が彼に疑いの目を向けているみたいだな、まるで事情聴取だ。と感じる時もある。

口から生まれてきたような私。実家にいた頃は一日中母に話し続け、自分のターンが終われば聞き手にまわり、母の日々の不満から愛猫の可愛さまで話を展開し、姉が帰ってくれば、姉のその日のムードを見極めて、姉の機嫌が改善されるお馴染みのテーマで話を紡いでいた。これぞ中間子のお家芸!私が我が家の中間管理職!と思っていた。実際そういう役割も担っていた自負がある。

でも、今思えば、いつでも彼女たちが真剣に私の話に耳を傾け、共感し、欲しい言葉をくれていたから、私は役割を全うできていたのかもしれない。

私はよく、「人は不変ではない」と胸の内で唱える。
前はあぁだったのに。とか、この前と言ってること違うじゃん。みたいな場面に出くわすたびに何度も立ちかえる言葉。
人は不変ではないけれど、かといって私が人を変えることはできない。
なら私が考え方を変えてみよう。視野を広げてみよう。懐を深めてみよう。という思いにいつも辿り着く。

何度も何度も同じ言葉に立ちかえり、何度も何度も同じように不満を感じる。

やっぱり私は今、誰かに話を聞いてほしい。たわいもない日々の瑣末な話を。聞き下手な彼を変えることはできない。なら私の方がそんな彼の受け取り方を変えてみよう。話したいという欲求の捌け口を友達にしてみる?いや、書こう。

ひとまず
話し手になれない私は、書き手になろう。

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