見出し画像

自分を愛するって何だよ。

「大切なのは自分を愛することです。」って、真理だし素敵な言葉だけど、もう自分を愛するって何なのか分からなくてどうしようもないまま聞き飽きた。
自分を大切に、とか自分を愛する、って具体的にエステとかデパコスだとか美容にお金をかけたりジムや習い事を始めて自分を磨くとか、そんな自己投資のことを言っているのか、自分の好きな部分を見つけて書き出して、そして嫌いな部分に目を瞑りながら、プライドと自信を守ることなのか、それとも自分の欲望のままに日々生活することなのか。
答えが分からないまま、自分を愛さなきゃ誰も愛せないよなんて羅列された言葉を見るたびに心がキュッと締まっていった。

「なんかさ、割れ物注意みたいな声色だよね」
高校時代の合唱コンクールの練習中。同じクラスの子がわたしに言った言葉がすとんと腑に落ちすぎて思わず笑ってしまった。
彼女とは別に仲のいい友達ではなかった。
でも、彼女が何気なく言ったその一言が、今でもふとした時に蘇ってくる。
それは歌う声色だけじゃなくて、わたしの電話の声、ビデオに撮られてた笑い声、そして誰かとおしゃべりしてる時の声。
どことなくくぐもって、ぽわんと突き抜けない声をしている。
それは紛れもなく何重にも白いクッション材に包まれて、ダンボールの箱を突き抜けないような後ろめたさがたっぷりと含まれていた。

そうだ、あの頃のわたしは鏡で自分の姿すら見たくないような、自分が自分でいることがとてつもなく嫌だった。

よく繊細な人に、ガラスのハートなんて言葉を使うけど、わたしのは磨りガラスのハートだ。
誰かに心の内を見せるのが怖かったから、おしゃべりの輪には何となく入っていながら、決して自分の話はしない。
それでもみんなは自分のおしゃべりに夢中で、誰かがずっと笑って聞いているだけだったとしても、誰にも気付かれない。それがすごくありがたかった。
好きだったアイドルグループの名前だって誰かに話す勇気がなくて、密かに応援を始めてから誰かに実はこのグループが好きなんだって話すまでに1年はかかった。
彼らが出ている音楽番組を録画しておきたかったのに、好きだってことがバレるのが怖くて録画が出来なかった。彼らの話題で盛り上がる友達の話に入ってみたかったのに、わたしも好きだというのが怖かった。
笑ってしまいそうな些細なことですら、自分のことを話したくなかったのだ。

自分の好きなものを語れる人は、それが好きな自分を愛せる人だと思う。
自分を愛するということは、決して自分が大好き!っていう人だけじゃなくて、コンプレックスを抱えている部分もいくつかありながら、でも自分の好きなところもちゃんと持っている人だ。
そして、その好きなものを愛する自分をちゃんと肯定出来る人。
わたしは、好きなものを愛する自分を恥ずかしいと思っていた。
似合わない服を身につけているときの居心地の悪さみたいに、誰かに、え、意外だねとか、そんなのが好きなの?と否定をされるのが怖かった。
どんな些細なことでも、自分が好きだと思うものを否定されることが、あんたは恥ずかしいと言われ続けた記憶と重なって、まるで自分を否定されているようで嫌なのだ。
割れ物とはわたしの中の傷つきたくないちっぽけな自尊心で、それを覆う段ボール箱は、秘密にするということ。
わたしの感性、見ている世界、考えていること、好きなもの、好きな人、好きな時間、そして密かに抱いている夢。
全てが、傷つきたくないがゆえに、誰にも語ってはいけないものだった。

それなのに、好きなものを好きだと言えないストレスは予想以上にわたしを蝕んだ。
「わたしはこれが好き」と言えないだけ。
たったそれだけなのに、生きているのがつまらない。
自分が自分の中で閉じ込められて死んでいくのを感じながら、呼吸が止まらないから生きている毎日はひどく憂鬱だ。
本当に嫌いだったのは、自分の容姿よりも性格よりも何よりも、自分の好きなものすら愛せない自分だということに気付いた真夜中に流した涙を今でも覚えている。
自分の欲望を初めて直視した恐ろしさと、悔しさと、そして真っ黒な曇天に淡い光が見えたような感覚。
それは、叱られた後の優しさに似ていた。

好きなアイドルグループの話には続きがある。
ある日、晩御飯を食べながら見ていた音楽番組に彼らが映っていたとき何気なく「わたし、この人たち好きなんだよね」と家族に言った。
すると、家族は心底意外そうに、「あんたが好きって言うなんて珍しいねぇ。あんたの好きなもの全く知らないもん」と驚きながら、それから彼らがテレビに出ている時にはわたしに教えてくれるようになった。
勇気を振り絞って言ったことが、あまりにすんなりと受け入れられて、あ、わたし好きって言っていいんだと呆気にとられた。
今ならば、どうしてこんなことに悩んで苦しんでいたんだろうと笑い飛ばしたくなるくらい些細な転機。
けれど、それからはストレスからきていたわたしの体調不良は、嘘みたいに消えていった。

自分を愛さなきゃ他人を愛せない。
そんなことないだろう。だって自分が一番に可愛かったら、他の誰かは自分の愛する人ランキングで自分以下になっちゃうってことでしょ?って捻くれたわたしは解釈をしていた。
でも、そうじゃなくて、それは、自分の好きなものに自信を持てないから他人も愛せないって意味なのかもしれない。
誰かに自分の好きを胸を張って言えるようになること。いや、誰かに言わずに自分の胸にそっと秘めておいても良い。でも、誰に何と言われようと、自分が愛すると決めたものを愛すること。
それが、自分を愛することで、自分の愛する誰かを愛することなのかもしれない。

わたしは愛するという気持ちだけは、繊細なガラスだとしても決して割れ物じゃなくて、しなやかに曲がってパンと戻る、竹のようなものであって欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?