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It's All right

久しぶりに

久しぶりに、派手めなCRPS症状が出現する。
パジャマがびっしょりになるくらいの発汗が両下肢に出て。
皮膚の色が暗紫色になって、テカりも目立つことに。

発汗異常も、皮膚の色の変化も
普段からあることはあるのだけど。

パジャマがびっしょりになるくらいの発汗は
3年ぶりくらい?
暗紫色とか、2年ぶりくらい?で。

うん。
あるからね、全然。
普段は目立たなかったり
生活に大きな支障を来していないだけで。
あるのよ、わたしには。
CRPSっていう「とげ」が。

そんな風に受け止めて。
はてさて、困ったな…とか
なんでなのか?ってがっつり向き合ったりせずに
「うん、出たね」
「ちょっと休もっか」
「年末だし、好きな音楽聴いて過ごそっか」と
からだを低くして、やり過ごすことに。

ふたつの痛み

わたしには、CRPSの痛みとして
ふたつの痛みがある。

ひとつは、身体的な痛み。
いわゆる神経障害性疼痛だったり
血管の運動障害由来の痛みだったり
中枢神経系の感作性の痛みだったり
からだの感じている痛み。

もうひとつは、こころの痛み。
からだの痛みがあることで負うことになった
こころの痛み。
無理解や誤解から負うことになった傷たち。
苦悩とか、スピリチュアルペインと呼ばれるもの。

このふたつの痛みによって
心身共に衰弱することになって。
いのちの危機に直面することにもなった。

【わたしの場合】は、なのだけど。
強い痛みと共に生活していた時は
「起きて座っているのがやっと」で。
それだけで体力と精神力を使い果たしていて。

寝たきり、死にかけを経て
「ゼロから自分の体力に応じた動き」を
積み重ねることになって。
「痛みに応じて動ける」ようになってきたけれど。

今度は「動けるからだ」と「まだ十分に回復しきっていないこころ」の差に自分が戸惑ってしまって。
自責が強くなったり、と
1年ちょっと苦しい時期を経て。
やっと今、整合性が取れて来たのかな…と。

こころの痛み

【わたしの場合】は
強い痛みが和らいでいく過程で
できることが増えていくのが楽しくて。
痛みがないことも、嬉しかったけれど。

「社会はわたしを傷つけるもの」という認知があることや
深くて大きな苦悩(社会的な痛み、スピリチュアルペイン)があるので
社会生活を送ることへの不安や恐怖がかなり強くて。

それもまた、こころとからだの差を拡げてしまっていたので
「できること」と「そうではないこと」の差に戸惑ったり、自責を強めていたのだな…と。

「からだの痛みが和らぐこと」と
「こころの痛みが和らぐこと」
わたしの場合はその両方が必要で。

今は「こころの痛み」を悪化させない、再発させない
という目標に向けて歩いているのだな、と。

こころの痛みが生まれたのは

「からだの痛み」が和らいで、活動量が増えてた。
でも、「こころの痛み」はケアされていない状態で。

CRPSを発症して
「からだの痛み」を持ちながら社会生活を送っていく中で
たくさんの傷を負うことになった。

何年経っても癒えずにいて
何かの拍子に傷に触れることになって
痛みを強く感じたり。さらに傷が深くなったり、新たな傷を負うことになったり。
古傷だと思っていたものが、新鮮な傷だったり。精神的に弱いからそうなんだ、みたいな決めつけとか。
精神的に問題があるからなんじゃないの?みたいに言われるとか。

確かに精神的に「何か」はある。
でも、そこに原因を見出だそうとしたり
だからダメなんだ、みたいに貶められることもまた
わたしの傷を深めることになっていて。

最初に大学精神科を受診した時に
わたしに不登校の経験がある、と知った時の
予診医の反応は、不快過ぎて覚えているし
リハ科でも不登校のことは言わないでいた。
言う機会もなかったけど…。

生きてきた中で、不登校の経験がある。
いろんな経験がその人を作ってきているから
影響が全くないとは思っていない。

でも、不登校の経験があることで
「不登校=環境に適応できない」
だから
「痛みに逃げている」みたいに思われるのは
ちょっと違うし。
「不登校の経験があること」で
「メンタルに問題がある」でもないし。
「不登校の経験がある」からこうなっている。
でもないの。
不登校だったことを言ったらさ…
原因はここだ!みたいにさ
目がキラーンとして…。
そんな風に短絡的に結びつけないで!って。
そういうことがあるから、不登校のことは言いたくないの。

こんなことをリハ科で言ったのも
こころの痛みが反応したからで。

もっといえば
地元病院で当時の整形主治医に「信頼できない!」って言ったのも
結果的に看護師さん達を拒否していたのも
こころの痛みが反応したからで…。

みんなわかってるから。
しーちゃんがここまでいっぱい傷ついてきて
大変な思いしてきてる、って。
いっぱい傷ついて、大変な思いしてきているからなんだって。

と、いつもの病院で
関わり続けていてくれる看護師さん達は言ってくれたり。

今よりもっと認知されていなかった頃から、だから
本当に大変だったと思う。
知るひとぞ知る、だったから…
って
先生達も言ってくれていて。

ほんっと、大変だったんだからね!
って、先生達には言うけれど。

看護師さん達の言葉は
思い出すだけで、泣いてしまう。

ここら辺は、先生達と看護師さん達の「距離の近さ」の違いかな?
看護師は踏み込んだあと、フォローするけど
先生達は踏み込むけど、フォローまではしないことが多いからね。

「こころの痛み」を強めないために自分を護ろうとした。
その結果、過剰防衛になったり。
孤立化することを選んだ。

今のわたしの理解はこんな感じなのだけど。

「こころの痛み」を強めないために
まずは「こころの痛みを癒すこと」なんだよね…。

だけど、次から次に傷を負うことになったり
自然に癒えてきても、また傷を深めることになって
安全で安心して傷を癒せる環境になくて。

傷を負わないために、刃物を持って立て籠るしかなかった。
そうやって、15年頑張ってきた。

「こころの痛み」のフォローを必要だと感じていたし
フォローを受ける機会もあったけれど。
「からだの痛み」があることで「こころの痛み」が生じているという受け止めではなくて。

切り離して「こころの痛み」は「疾患から来るもの」とされてしまって。
さらに傷つくことになり…。

でももう、限界を迎えることになり。
慢性疼痛チームの精神科の先生から介入してもらうことで少しずつ「こころの痛み」が癒えてきて。

自分でも「こころの痛み」について
「からだの痛み」と同じ様に
セルフモニタリングして、セルフケアして
セルフマネジメントができるようになりつつあって。

こころとからだの整合性が取れるようになってきて。
自責が消えて、進歩を感じられるようになっているのかな…と。

It's All right

【わたしの場合】は
こころとからだ、両方に痛みがあって。
どちらの痛みとも付き合っていけるように、というのが目標になるのだけど。

これは、あくまでも【わたしの場合】の話であって。

他の慢性疼痛の当事者、CRPSの当事者も同じなんだ、って受け止めないで欲しいです。

そして
わたしのからだの痛みは、かなり和らいでいるけれど依然としてあるし。
CRPSの症状も残っている。

謎の末梢神経障害もあるし
謎の副腎皮質系の異常もある。

こころの傷も残存しているので
コミュニケーションエラーが起きやすいし
傷に触れられると反応もする。

そういうのも全部ひっくるめて
「だよね」って言える。
それが、【今現在のわたし】なのかな…。

そして
It's All right!と言える。
それが、【今現在のわたし】なのかな…。


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