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夢の延長線上

大学生の頃住んでいたアパートの下の階にヨシダさんという方が住んでいました。ヨシダさんは私の通っている大学を卒業した後W大学の文学部に学士入学したのだとアパートの大家さんから伺いました。
私はほぼ毎日夕方からアルバイトをしていましたのでアパートに帰り翌日の予習が終わるとたいてい深夜でした。そろそろ寝ようかと雨戸を閉めようとするといつもヨシダさんの部屋にはまだ明かりが灯っていました。

友人から新聞に関するアンケートの回答を出来るだけ集めて欲しいと頼まれたことがありました。私はヨシダさんにお願いしてみました。ヨシダさんは快諾してくださいました。それからも顔を合わせるとご挨拶したりちょっと立ち話するようになりました。
ある時ヨシダさんは2冊の絵本を貸してくれました。それは、エルネスト・クライドルフの絵本アルプスの花の物語でした。当時はまだその絵本の日本語訳が出版されていませんでした。
毎晩毎晩辞書を弾いてその絵本を訳しました。
この絵本は一枚の絵にひとつの物語が書かれています。一冊の絵本にいくつかの物語が入っていました。
絵本のページをめくりまずじっと絵を見ます。それから訳していく。とても不思議なことに絵に描かれた花が動いているように感じてくるのです。不思議な感覚でした。それは一枚絵の絵本の持ち味だと思います。絵に言葉がつくと絵だけの時と別物になる。それが面白くて、絵本を翻訳したいと思いました。
当時私は大学の他にドイツ語の語学学校にも通っていました。たまたまその学校でスピーチをする課題が出た時に私はドイツの絵本を翻訳する仕事をしたいと話してしまいました。実は心から思っていたわけではないのですが、他に話す内容が見つからなかったのです。

すると後日ドイツ人の担任の先生から呼び出されました。奥様が富山房で絵本や児童書の編集をしているので一度奥様に連絡をとって欲しいとのことでした。

奥様に連絡をとると友人の編集者がアルバイトを探しているのでやらないかという話でした。そして文化出版業の編集者さんを紹介してくださいました。

その編集者さんにお会いするとドイツ語の絵本のレジュメを書く仕事をして欲しいとのことでした。ドイツ語の絵本を翻訳家に依頼する前にどんな内容なのか把握するためにレジュメが必要なのだそうです。それから卒業するまで何冊かレジュメを書きました。当時としては割りのいいアルバイトでした。

私が学生の頃は原稿を編集者に手渡しすることが普通でした。
仕上げたレジュメを担当の方にお渡しする時に私はクライドルフの絵本と私の訳を持っていきました。「いい絵本ですね。版権がどうなっているか調べてみますね。」との話しでしたがそのままになってしまいました。
それからしばらくして1982年この本は矢川澄子さんの翻訳で別の出版社から出版されています。

出版社童話屋から出版された「アルプスの花物語」

学生の頃レジュメを書いた絵本のうち何冊かは翻訳され出版されましたが、もちろん出版されなかった絵本も何冊もありました。
特に私が気に入った本も出版されませんでした。それはヤーノシュという絵本作家が書いたクリスマスのお話でした。
ヤーノシュの絵本は何冊も日本語に翻訳されています。なかでも「おばけりんご」が有名だと思います。登場する人や動物はどこかお人好しで間抜けでそれでも憎めない、そんな作品が多かったように思います。

私の気に入ったお話は戦争で瓦礫になってしまった街のなかで主人公がクリスマスのケーキを焼いたお話でした。
瓦礫の中から型をみつけたり、卵をもらったり粉をもらったりして、立派なオーブンも無いので瓦礫の中から見つけたら物を工夫して小さな小さなクリスマスケーキを焼くのです。材料をくれた人たちに渡そうとして、ケーキを人数分に切り分けます。切り分けると1人分はほんの小さな固まりになってしまいます。
お世話になった人たちにケーキを持って行きメリークリスマスと言って渡すのですが、見向きもされないのです。それでも、主人公はメリークリスマスと言えたこととケーキを焼けたことでとても幸せない気持ちになります。

そんなお話しだったと記憶しています。
あの絵本はその後日本の子どもたちに紹介されることもなく忘れ去られました。私は自分の記憶だけに留めておくのが勿体なくて何年も経ってから原書を探したのですが見つかりませんでした。

長い時間が過ぎました。その間ヤーノシュの絵本に登場する人物や動物たちのように一生懸命にやったことが報われないことの方が多かったように思います。
ずっと〇〇くんのお母さんと呼ばれて、固有名詞で呼ばれることもなく時間が過ぎました。絵本の翻訳本を出版する前にドイツ語も忘れてしまいました。

数年前子どもが社会人になり、〇〇くんのお母さんではなく固有名詞で呼んでもらえる機会が少しずつ増えてきました。私が私の名前を取り戻すにつれ、いったい私がやりたかったことの原点はなんだったのだろうと考えることが多くなりました。
私は今、学生時代に描いた将来の夢とはかけ離れてしまった所にいます。それでも今出来ることを精一杯、丁寧にやっていけば、いつか昔の夢の延長線上に立っている自分に気づくのではないか。
そんな期待を膨らませ始めています。
今やっと本来の私の道が始まったように思えるのです。


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