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026【わたしが教師になったとき】

宮沢賢治の詩で「わたしが教師になったとき」というのがあります。

私が教師になったとき
自分が真理から目をそむけて
子どもたちに本当のことが語れるか

私が教師になったとき
自分から未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか
  
私が教師になったとき
自分が理想をもたないで
子どもたちにどうして夢が語れるか
  
私が教師になったとき
自分がほこりを持たないで
子どもたちにどうして胸をはれと言えるのか

私が教師になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるのか

私が教師になったとき
自分がたたかいの外にいて
子どもたちに勇気を出せといえるのか

最近、ぼくは、教員になったときと比べて、随分と考え方が変わってきた。なったばかりのころは、なかなか話を聞いてもらえなくて、どうすればいいのかとにかく全力だった。それが2年目くらいから、指導が通るようになった、というか学校が普通、もしくは楽しくなってきたように思います。そのころはこんな風に考えていた。

・指導力が上がった。
・年齢を重ねて、貫禄が出てきた。 
・話し方がうまくなってきた。
・じつはイケメン。高校生のころは、かなり・・・(笑)

中にはそんな様子に
・あなたのクラスはたまたまうまく行ってるだけ。
・もともといい子たちだったんだよ。
・必ず波はある。
と妬みなのか、警告なのか、周りから言われることもあった。

臨採経験も含めると15年以上になる。そんなことは百も承知と無視していた。そのころから、おそらく、子どものせいとか、経験とか、そんなことではないと思っていた。

『人間性』の違い

毎日、6時間、何かに挑戦している子どもたち。少年団に入っている子はそれ以上。それに比べて、知っていることを、上から教えている(押し付けている)先生。『熱量』の違いは言うまでもない。何かに挑戦するということの熱量。この熱量の違いこそが、共感・信頼を生むのだ。

子どもにとっては、何を言うかではなく、誰が言うかが大事。同じ言葉でも、熱量の高い人から言われる言葉は重さが違う。思いが違う。響きが違う。ぼくは、いまピアノを習い、バスケの審判、コーチに挑戦し、日々、勉強をする。暇があれば全国どこへでも研修に出かけ、知らない人たちの中で、顔を真っ赤にしながら、質問したり、討論したり。毎日一冊以上本を読み、年間千冊は読む。映画は100本観る。あのドキドキ感、チクチク感、それこそ、日々挑戦している子どもたちが感じている感覚ぞ。

「わたしが教師になったとき」

生意気だが、少しわかった気がする。もしこの熱量がなくなってしまったら、きっと教師をやめるときなんだ。50才まで本気で子どもと遊んだり、話したり、おにごっこしたり、語ったり、挑戦を続けたい。って、2年目は本気で思ってた。でも、7年目が過ぎ、14年が経ち、ちょっと違うことを考えている。『熱量』は変わらない。いや、数年前より、より高く熱く燃え滾っている。でもそれを見せちゃだめなんじゃないかって。私が持つ熱量で子どもたちに影響を与えるよりも、子どもたち自身から熱量を湧き出させるようにならなくては。ぼくが熱量を開放させてしまったら、子供たちの限界を決めてしまうような気さえしている。同じことのようにも思えるが、全然違う意識。

「わたしが教師になれるとき。。。」

ぼくは小さな庭で野菜と花を育てながら、何人かの教え子を家に招き、カフェのまねごとをしているんじゃないかな。そして、教え子の『熱量』を感じて、にこにこと笑っている気がする。どんなことがあっても、ぼくはこの仕事が一番だ。

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