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乾杯はどこから来たのか 〜今こそ杯を乾かそう〜

「乾杯」に甘美な想いを馳せる

ビールの魅力と言えば、皆様は何を思い浮かべられるでしょうか。炭酸の爽快感、爽やかな苦味、艶やかな黄金色など、ビールには数多の魅力が詰まっていることは言うまでもありません。それこそいつまでも溢れ出る炭酸ガスのように、それは尽きることはありません。

しかしビールを飲む時に最も大切な儀式、「乾杯」の気持ちよさも間違いなくビールの持つ魅力の一つではないでしょうか。気の合う友人、共に仕事で戦う仲間、愛する家族。そんな心許せる人たちとグラスを合わせる行為は、これから始まるめくるめく楽しい時間の号砲であることは疑いの余地がないでしょう。私たちはビールを飲む時、ビールの味わいや香りと同様に、乾杯という行為に生じる居心地の良さをも楽しんでいるのです。

それは古代においても変わらぬ行為でした。ビールを生み出したとされるシュメール人から始まり、古代エジプト人、ゲルマン人を主とするヨーロッパ人(ローマ帝国のように、ワインこそ至高でありビールは下賤な飲み物であるとする地域もありましたが)、ブリテン島の人々、そして新大陸、アジア、南米に至るまで、乾杯という行為はとても大事な役割を担ってきました。

「チェック」の名前を冠したエールハウスが多いのは、
社交の道具としてよくチェスが興じられたため。

「乾杯」は超特殊な機能を持っている!

ややポエム的な文章を書き連ねましたが、乾杯という響きには、私たちを非日常へ連れ出す見えざる力があるような気がしてならないのです。繰り返すようですが、乾杯は古今東西、社交の最も優れたツールで、身分や出自の壁を取り払い、胸襟を開き、コミュニケーションの潤滑油としてこれ以上ない機能を発揮していました。

だからこそ、エールハウスやタバーン、インといった、中世以前に沸き起こった酒場は社交場として使われていましたし、時には政治的に重要な密会や密談の場にもなっていました。「国家の転覆を図る会合を聞きながら報告を怠った者は死刑」という法律のもとで数多のエールワイフがその命を散らしてきたと言えば、ビールを囲うことの意味に重みが少しでも加わるでしょうか。

乾杯の起源を探そうとすると、古代メソポタミアのシュメール人の石碑にまで遡ることができます。石碑には、何人かで甕を囲んで、葦のストローでビールを飲む人々が描かれています。これが何とも想像力を掻き立てられる見事な絵なのです。まず当時のビールは、今のように大麦とホップという単純かつ洗練された技法では作られておらず、様々なハーブ類や雑穀をやたらめったら投入して作った、泡はなく、粘度があり乳白色に濁った、不純物が多く滞留しているようなビールでした。キリンビールなどが古代ビールの再現プロジェクトをしていますが、その見た目はとても現代のビールとは似ても似つかないものです。

古代ビールの製法で作られたビールは、現代とは全く違う飲み物

そのためこれを飲むにはストローを使う必要があり、小分けにもできないため自ずと何人もの人たちと一緒に甕にストローを挿して飲む必要があったのです。この「同じ甕の酒を飲む」は「同じ釜の飯を食う」のと同様の効果があったことでしょう。親近感や連帯感をそのコミュニティに育んだはずです。ちなみに当時のストローは葦という強靭な植物によって作られていましたが、SDGsが叫ばれる現代において、悠久の時を超えて再び人々の重要なツールとなっていることは何とも面白い話です。

「同じ甕の酒を飲む」ことは、私たちが思うよりもずっと大事な意味を持っていました。例えばパンを分け合う時は、ちぎって一人一人取り分け、「自分のパン」を食べたことでしょう。これに対してビールを飲むという行為は文字通り同じものを口にするという性質を持っているので、ずっとずっと意味のある行為だったのです。同じものを口にすることで、毒が入っていないと示すことができるのも、当時にとっては実際的なメリットであったことでしょう。

同じ甕のビールを、葦のストローで飲む壁画

今こそ杯を乾かそう

今回の記事では、副題として「今こそ杯を乾かそう」としました。これまで見てきた通り、乾杯には古今東西、人々の重要なコミュニケーションのツールでしたし、連帯感や親近感を醸成し安全を保証する行為でもありました。はるか5000年も前から、人々はビールを通して平和を築いてきたと言っても過言ではないような気がします。

今の世界情勢を見ていると、古代シュメール人に倣って、乾杯を通してコミュニケーションを深めていくことができたらと思う次第です。

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