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ビール純粋令の考察〜功と罪〜

純粋例は美談か
愛飲家の皆様の中では、ドイツのビール純粋令をよくご存知の方もおられるかと思います。
ドイツビールの高い品質が担保されているのは、純粋令のお陰であるー。
教科書的な説明ではこの様に書かれることが多く、実際にその面は間違いなくあります。
では、そもそもなぜ、純粋令は作られなければならなかったのでしょうか。
そしてそれが、今のドイツビールや世界のビール醸造の中において、どの様に機能しているのでしょうか。
これらを史実から考察した時、美談として語られることの多い純粋令が、決して美談だけでは語りきることのできない、功と罪を併せ持った法令であることが見えてきました。

ビール純粋令の原文

純粋令のおさらい 〜複雑怪奇な背景〜
純粋令は、時のバイエルン公ヴィルヘルム四世によって制定されました。時は1516年のことでした。
その時の原文にはこの有名な文言が含まれています。
「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」
では、これはなぜ、制定されなければいけなかったのでしょうか。
それを読み解くには、当時のビール醸造におけるパワーバランスを見ていく必要があるのです。

ミュンヘンビールは、今やドイツが世界に誇る最高級のビールであることは疑いの余地がありません。
しかしこの純粋例が制定されるまで、ミュンヘンのビール醸造は、はっきりと北部ドイツに劣っていました。
「ビールの都ミュンヘンにケチをつける訳ではありませんが、それが現実なのです」とは、「ビール世界史紀行」の著者、村上満氏の言葉です。

ミュンヘンには北方から質の良いビールが盛んに輸入されており(現在のドイツは一つの国ですが、ご存知の通り当時はいくつもの小国の集合体でした)、ミュンヘンの財政にも問題を起こさんとしているほどでした。
ミュンヘンを初めとするバイエルンの領主たちは、北方のビールがこれだけ輸入されるのは、ひとえに品質の差であると十分に分かっており、自分たちのビールの品質改善が至上命題であると捉えたのです。

ビール醸造を巡る、不正の嵐
そもそもビール醸造の歴史は、不正との戦いとも言える歴史がありました。「醸造業者に協調的な行動を取らせるなど、到底無理な話だった」とは、「発酵食品の歴史」のクリスティーン・ガースバー氏の言葉です。
世界で4番目に古い(完全な形で揃っている)法令であるハムラビ法典にも、ビール醸造に関する記述がありますし、中世イングランドや古代エジプトにも、ビール醸造に一定のルールを課す記載があります。

その内容はなかなかに苛烈なものです。混ぜ物をしたビールを販売したもの、量をごまかして販売したものは死刑というものや、健康に被害のある様なビールを販売した者は、それを全て飲みきらなければいけないというものまであり、想像するに背中を冷たい汗が通って行きます。中世イギリスにおいては、当時の飲みシーンの中心がエールハウスであり、エールハウスを取り仕切ったのは女性が多かったことから、多くのエールハウスの女主人が刑に罰せられていきました。女主人の悲哀を歌った歌も、残っているほどです。

これだけ苛烈な罰が設定されたのも、それだけ不正との戦いは長い長いものであったことの証拠です。ヴィルヘルム四世の純粋令は1516年の制定ですが、その雛形は1156年の「赤髭皇帝」フリードリヒ一世のビール品質保持に関する法令にまで遡ります。兎にも角にも世界中の領主たちは、ビール醸造における不正と戦い、品質保持を何としても実現しようという強い意志に動かされていたのです。ヴィルヘルム一世の純粋令にも、この不正の是正という大義が大きく働いていたのです。

ところで純粋令の文言では「大麦」が規定されていますが、「小麦」など他の穀物の記載はありません。愛飲家の皆さまには、これがどういうことかお分かりになる方もいることでしょう。ヴィルヘルム一世は「大麦」の使用を絶対条件として提示しましたが、領主権力側の者たち(修道院なども含まれる)は依然として小麦などのビールを作り続けました。
これはつまり、利権のためと言われて仕方がない事象でしょう。香り付けや抗菌のために使われていたグルート(数種類のハーブなどのブレンド品)の使用権の付与からくる利益を守るために、長らくホップが使用禁止であったことなど、歴史がそれを物語っています。

ヴィルヘルム一世は財政逼迫の要因に、北方ビールの輸入費用が
関連しているとして、自国のビールの品質保持に力を注いだ。

1556年の改訂に見る、ビール醸造の大きな転換点
純粋令は、時代時代に応じて相応しい形に変更が施されますが、その中でも特筆すべきだと考えるのが、1556年の改訂です。
現代のビール醸造に関して少し検索をしてみただけで、ビールの基本的な原料は「水、麦芽、ホップ、酵母」であるという旨の記載を見つけることができるはずです。
1556年の改訂で明記されたビールの原料は「大麦、ホップ、水、酵母」でした。そう、1516年のものから、今や当たり前となっている「酵母」が加わったのです。これは大きな転換点のような気がします。

当時は「酵母」というものの知識がなく、またコントロール能力も不十分でした。仕込み樽の中などに、粘性を帯びた「澱」が沈澱しており、どうやらこれが発酵に作用しているらしいということは認識していましたが、それは目に見えない、見えざる力に等しかったのだろうと思います。ビールの発酵現象が、酵母による生物学的現象であるとケリがつくのは、19世紀半ばのルイ・パスツールの偉業を待たなければいけません。酵母については、それだけで記事が一本簡単にできてしまうので、またの機会に・・・。

1556年の改訂で「酵母」が追記されたことと合わせて、有名で大きな決定事項が「ビールは聖ミカエルの祭りから聖ゲオルクの祭りの間に仕込みを行う」というものです。これは9月29日から4月23日を指しますが、夏を避けたのは冷蔵技術の無い当代において、ビールの品質を保持するためのもので、やはりビールの品質に対するきめ細かな配慮を見ることができます。
ところで愛飲家の皆さまの中には、高級ビールとして「三月ビール」をご存知の方もおられるかと思いますが、三月に仕込むビールは冷蔵技術の無い時代の過酷な夏を乗り越えるビールなので、特別丁寧に、かつ強めに仕込まれたことに由来します。

ビールの発酵は酵母による生物学的現象であることを証明したルイ・パスツール。
酵母の話は長くなるので、別の記事で・・・。

純粋令、ドイツをかける
長い歴史の中で(大きく)変わらないものは、一種の神聖さを帯びることは常ですが、純粋令も例に漏れずある種の神聖さを帯びていきました。
中世が過ぎ近現代に入っても、純粋令はその効力を保ち続けました。それによって統一された方法の元でドイツのビール醸造は世界の中でも最高の品質を実現するに至ります。これにより、純粋令は一種の不可侵な崇拝の対象になっていきます。

諸侯による小国の集まりという国家形態が終わりを迎え、ドイツ帝国が誕生する折にも、当時のバイエルン領主はドイツ帝国への参入の条件として、純粋例がドイツ全土において効力を発揮する様に求め、何とこれが通ります。これにより、ドイツ全域で「大麦、ホップ、水、酵母」のみによるビール作りが浸透します。純粋令はその後ナチスにも手が出させないほどの不可侵なものへと進化していきます。

しかしこれは、ドイツにおけるビール醸造に一定の道標を示すことでビール醸造保持を相当に高いレベルで実現したのと同時に、土地土地によって異なるスパイスなどを用いていた土着のビール製造を駆逐していきました。実際、諸都市の醸造家たちは純粋令がドイツ全土に効力を持つことに反発を抱きました。しかし、そうした反対の声は、当然に歴史の闇の中に消え去っていきました。

フレーバービール、小麦ビール全盛の現代
純粋令は現代においては、急先鋒のフランスを筆頭に、非関税障壁であるとの誹りを受け、(西)ドイツ国内で消費されるビール以外には非合法化されます。現在でも純粋令は、他の法律と組み合わせたりするなどしてその効力を依然として発揮している面があり、ドイツ醸造家たちはこれを誇りとしてビール醸造の品質を常に高めています。この様に、純粋令は現在にまで通じる、ビール品質を格段に向上させたことは疑いの余地がなく、ビール史に燦然と輝くハイライトの一つでしょう。

しかしここで敢えて、近年のビール市場の傾向から考察をしてみたいと思います。ここ5年で、大きくシェアを伸ばしたのは、実は小麦ビールなのです。マイルドな口当たりの白ビールは年を追うごとに愛飲家の舌を掴み、(2017年のデータなので少し古いですが)ドイツにおいても小麦ビール(白ビール)は市場の過半数を突破しました。伝統のエールに誇りをもつイギリスが、ぎりぎり過半数突破を許していないが時間の問題だ、という様相です。現代の純粋令では上面発酵ビールには小麦の使用が許可されていますが、「純粋令原理主義」の方からすれば、歯がゆい思いがするものでしょう。

そしてもう一つの大きなうねりが、むぎうぎも多数取り扱っている「フレーバービール」などのクラフトビールです。クラフトビールの魅力は、様々な副原料にあることは周知の事実です。特に街おこしの文脈で語られますが、クラフトビールはその土地土地の魅力的な食材を副原料にすることで、女性層を始めとする新しい層のビール愛飲家を獲得しています。ビール市場が縮小を始めて久しいですが(ドイツやイギリスなどは僅かな右上がりですが、白ビールが押し上げています)、クラフトビール市場は右肩上がりで、民間のデータ会社によると2026年には、2019年比で約4倍のシェアを獲得すると見られています。

むぎうぎが取り扱うビールは、個性的なフレーバービールが多数

重ねて断っておきますが、純粋令の意義や果たしてきた功績は疑いの余地がありませんし、筆者自身相当にドイツビールのファンです。特に日本では19世紀半ばの遣欧使節団の影響でドイツビールの影響を余すことなくうけていますから、幸せな国だとすら思います。
しかし敢えて別の角度から考察してみると、純粋令が負ってきた役割は一つとして、もっと色々な実験的なビールがどんどん登場してきても面白いのではないか、とも思うのです。

歯切れは悪いようですが、こうした伝統のお酒と革新のお酒の飲み比べや、ビールに関する議論の場を設けるといった試みも、是非今後は開催していきたいと思います。

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