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マクドウエル【2】 椰子酒の世界

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。




インドの蒸留酒は酒税法や製造設備の規模などによって、インド製洋酒(IMFL)とインド製インド酒(IMIL)に分類される。ただ(州によって)このどちらにも入らないのが、椰子の樹液を発酵させた手作り酒である。

こうした酒は、実はインド農村部の至るところで、非常に古い時代から現代に至るまで、幅広く作られ飲まれている。インド各地の手作り酒はそれぞれの地域でどのような名前が付けられ、どんな素材を用い、どんな場所でどんな人々によって飲まれているのか。それを探っていくと、飲酒に厳しいはずのインドにおける、もう一つの飲酒文化が見えてくる。

まずは中部インド、少数民族の宝庫・バスタル地方へわけ行ってみたい。チャッティースガル州、アーンドラ・プラデーシュ州、オディシャ州という三州が接合する密林の奥深く、下界の人々が容易に近寄れない立地だからこそ手つかずの先住民文化が色濃く残り、ヒンドゥー化する以前のインドの姿が見られることから「原インド」とも称される一帯。その中心地がバスタルだ。

このバスタル地方を特徴づけている先住民たちが、ことあるごとに酌み交わしているのが「マフアー」「セルフィー」と呼ばれる発酵酒。これらの発酵酒は通常、ハートと呼ばれる定期市の露店で、アルミ製の大甕に入れられて売られている。ハートは週に一度、場所を変えながら開催される物産市で、周囲の村やジャングルから収穫した獲物、畑で採れた野菜、自家製の漬け物や干し魚などと共にお手製の発酵酒も持ち込まれ、白日のもと堂々と売られている。前回紹介したような、隣席の男の顔すらわからない薄暗いバーで飲むのとは180度異なる価値観だが、存外イスラム教やヒンドゥー教が入る前のインドにおける飲酒シーンとは、本来このようにおおらかなものだったのかもしれない。


アルミの甕に入った発酵酒を売る女性たち
アルミの甕に入った発酵酒を売る女性たち

ハートに集まった先住民たちは、自らも収穫物などを売り、その売上金を持って発酵酒の露店に集まっては三々五々酒を飲んでいく。驚くことに客の男女差はほとんどない。おばさんであっても誰はばかることなく太陽のもと堂々と飲んでいる。女性が公然と飲酒する姿など、都市部では決して見られない光景だ。酒は葉を編んで作ったコップに注がれ、もう片方の手には同じように葉にのせられた岩塩を持っている。岩塩をチビチビなめながらグイっと酒をあおる、何とも粋な飲み方である。もちろん周囲には、岩塩だけでなくぶつ切りにして油と香辛料で炒めた骨つきの豚、揚げた淡水魚、山積みされたゆで卵などのおかず類を売る露店がたくさん出ていてアテに困ることはない。周囲の村々からやって来た、ゴンド族やマリア族、ドゥルヴァ族といった人たちに囲まれて、インド中部の青空のもと、じっくり飲む酒の味はまた格別である。

続いてケーララの「トディ」。トディToddyは英語名称で、地元ケーララでは「カッルー」と呼ばれる。主としてパルミラヤシから産するが、ココヤシ由来のものもある。トディはインド全土だけでなく、スリランカや東南アジア、アフリカなど椰子が育成する地域で世界的に作られている。中には発酵したトディを蒸留して、より度数を上げたものも存在するが、ケーララでは発酵酒が一般的である。

トディ・ショップで先客のおじさんと世間話しつつ飲む
トディ・ショップで先客のおじさんと世間話しつつ飲む


その製法はきわめて単純で、パルミラヤシの表皮にキズをつけ、縄でくくり付けた壺に一晩樹液をためる。たまった糖分の多い樹液を放置しておくとそのまま発酵して酒になる。ただそれだけである。これをそのまま飲ませるのが州政府管轄のトディ・ショップだが、午前から昼すぎにかけてはまだ酒になりきってなく、夜になると発酵が過ぎて酸っぱくなっているので飲むタイミングが難しい。ベストなのは中途半端な午後の時間帯ということになろうか。この、ヒマ人しか都合のつかない時間帯を狙ってトディ・ショップを訪れてみると、やっぱり自分と同じようなヒマそうなおじさんが先客としてトディの入ったグラスをチビチビ飲っていたりする。おじさんのテーブルにはほかに、鶏や牛、豚肉のスパイス炒めなどがのっていて、つまりこれらをアテにトディは飲まれている。もちろんトディなしに、食事するためだけに入店しても全く問題はない。

このトディ、北インドでは「タリ」と呼ばれている。ビハール北部、ミティラー地方あたりに行くと、土壁にきれいな装飾画が描かれた家の前に、白濁した液体が入った数本のボトルが置かれて売られている。これが「タリ」である。ケーララのトディ・ショップのような看板があるわけではなく単なる民家である。その庭をみると切り傷だらけになったヤシの幹に、縄で土甕がゆわえ付けられている。日々、こうして取れた樹液を自然発酵させ、ひと瓶35ルピー(約70円)程度で売っているのだ。売り主のおばさんにお酌してもらいながらタリを傾けるゆったりとした時間は、北インド旅の中でもハイライトの一つとなるだろう。

自宅前でタリを売るおばさん


こうしたインド全土で見られる椰子酒文化は、飲酒に厳しいタブー意識を持つインド社会でも、おおむね好意的な目で見られているように感じられる。それは酒へのタブーなどといった概念が発生するはるか昔から、同じ製法で作られ、連綿と飲み続けられているからだろう。







著者近景

小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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