見出し画像

【新刊試し読み】 『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』 本文公開! (その1)

<わたしの旅ブックス026>『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』の発売を記念して「第1章旅する理由」から本文の一部を公開します。

<第一回目は “スリリングな国境越え” を公開>

世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方─目次

【1章 旅する理由】
スリリングな国境越え/旅する理由とは?/伝説との邂逅/消え行く旅の文化/カオサン通り/旅と留学/最初の旅/旅の終わり

【2章 地球の〝ヤバい〞歩き方】
■取材危険地帯の情報はナマがいい/賄賂を渡すなら上手にやろう/タバコは危険地帯取材に不可欠/スラム取材の心得/スラム案内はハウマッチ?/危険地帯取材のコネクション/振る舞い酒の正体/裏社会の写し方/なぜ危険地帯を旅できるのか
<コラム海外ウラ事情1 警官のトリセツ>
■スラム街スラム街が危ない本当の理由/スラム街最強の生物/スラムのニッチなビジネス/スラム再編の動き/スラムの食事/スラムに違いはあるのか?/ゴミはグローバル・ビジネス?
<コラム海外ウラ事情2 ホームレスと電気>
<コラム海外ウラ事情3 味覚とは何なのか?>
■ドラッグワルい薬を手に入れてみる/大麻の育て方/ドラッグ相場は何で動く?/シャブ中が嫌われる世界/スラムで流行するドラッグ/機内食の意外な落とし穴
<コラム海外ウラ事情4 バンコクの裏社会>
■犯罪・トラブル銃弾の行方/麻痺する危機感/危険地帯の先客は?/危険地帯で格闘技は通用するか?/12月は強盗の季節/職業・殺し屋に聞いたこと/週末窃盗団/危ない穴/命の値段
<コラム海外ウラ事情5 逃亡者の生活INバンコク>

【3章 旅の流儀】
■旅のテクニック荷造りと荷物で危険を回避!/旅のトラブルに備えたアイテム/空港での過ごし方/旅と読書/旅と官能小説/旅人の言葉/激安ツアー会社破産のこと/簡単に旅を楽しむ方法/旅で出会ったビールの話/食中毒を回避せよ!/俺流の体調管理/NYで一番安い宿/意外な場所に宿選び/Uberを使った旅のスタイル/お土産選び/海外ナンパは成功するのか?
<コラム海外ウラ事情6 駐在妻の闇>
■旅のファッション危険地帯のファッションはこれだ!/危険地帯の靴選び/危険地帯の服選び/危険地帯取材の鞄の中/ニューヨークでNYロゴはアリ?/寒暖差の克服方法
<コラム海外ウラ事情7 美人とはときに悲しい才能である。>

旅をはじめよう(あとがきにかえて)
ホントのあとがき 


スリリングな国境越え

 民主制に転換したミャンマーが、旅行者に対して国境を開放するというニュースが入ってきたのは2013年のことだった。

 ミャンマー国境を陸路で入るには、これまで限られたエリアだけしか認められてこなかった。仮に入れたとしても、厳しい警備と検問により、自由に動くことなどできなかった。ある種、外国人にとってのフロンティアともいうべき場所であったのだ(潜入取材によって奥地へと踏み込んだ旅行者やジャーナリスト、研究者もいたので、厳密にはまったく知られていないということではなかった)。

 そんな国境に正規の手続きで堂々と入っていけるとなれば、「通ってみたい」と思うのは自然なことだ。少なくとも私にとっては。

バンコクからバスでひと晩かけてたどり着く東の国境の街・メーソート。川沿いに引かれた国境を越えると、ミャワディというミャンマー側の街になる。ここではタイバーツが流通し、タイ製のSIMカードと携帯電話が使える。エリア的にはミャンマーでありながら、経済や文化はタイに依存しているといえるだろう。それでもこの街はれっきとしたミャンマーの領土である。

それを証明するかのように、かつてこの街に潜入取材をして拘束された経験のある山路徹氏からも「一見すると穏やかな街ですが、いまだにテロや殺人も起きています。十分に警戒してください」とのメッセージが届いていた。

 私がミャワディから入ったのには理由があった。ミャワディから国境を抜けてヤンゴンに向かうルートならば、いまだに外国人がほとんど通っていないからだ。もしかしたら山路氏のメールにもあるように、内戦に参加していた兵士たちがたむろしていて危険がくすぶっている街があるのかもしれない。実際、想定ルート上に、かつて反乱軍とよばれたカレン軍(現在は一部政府軍に編入)の拠点だったコーカレイがある。この街はミャワディから車で3時間ほど山道を抜けたあたりの辺鄙なところだ。行ってみたいなと思ってミャワディの街でコーカレイ行きのミニバンを手配しようと代理店に入った。

「こんなところに何しに行くんだ?」
 代理店のスタッフらしき男たちから、いきなり疑問を投げかけられた。客に対してなにを言ってるのだと思ったが、紳士的に対応することにした。相手を怒らせてうまくいく交渉なんてありはしない。

「日本では知られているんだよ。CNNとかで『コーカレイ』って場所の名前が流れているのさ。どんなところなのか知っている?」

 わかりやすい噓のはずだったが、それ以上の追求はなかった。

「ヤンゴン行きの途中で降りることになるけど」

「それでいい」

 そんな感じで、いまいちコーカレイへ行く理由に納得できていない連中に金を払って出発することになったのだが、今度は道路事情が私の進路を遮った。

「この道路が通れるのは明後日なんだ」

 実はこれまで内戦状態にあった国境エリアは車の交通量が少なく、また戦略的な意味合いもあって道路幅が制限されていた。当時はその道を拡張している最中だったのだ。おかげで、山道を抜けるミャワディ〜コーカレイのルートは往路と復路を一日交代で通行しているということだったのだ。

 結局ミャワディで一日を余分に過ごし、私はコーカレイに向けて出発することができた。

そのときに乗ったのは日本車の四駆だった。最近ではISなどのテロリストがトヨタの四駆を使っていることをアメリカが問題視しているが、日本車の性能がいいことだけは実感できた。

 道中、横転したり、立ち往生している車を何台も見かけた。車種はあえて言わないが、日本車ではなかった。私を乗せた車はものともせずに、そうした車を追い抜いていった。

今になって思うが、「この性能ならテロリストも買うだろうな」と妙に納得してしまった。

 さて、車の性能もあって予定よりも早くコーカレイに到着することができた。正直な印象としてはなんの変哲もないただの田舎町だった。建物も通りに沿ってあるだけ。それ以外は目立った特徴もない。

 とりあえず歩いてみるかと車を降りたところで袖を引っ張られた。

「こっちに来い」と物陰に引きずり込まれた。

 声をかけてきたのは同乗者のひとりで、タイでビジネスをしているという50代の男だった。車中ではヘラヘラした表情で、自分のビジネスがいかにタイでうまくいっているのかをうるさいぐらいに話しかけてきたオヤジだった。そんな男が真剣な表情で言ったのだ。 

「暗くなる前にこの街を出るんだ」

 何を言ってるのかわからなかった。ただ、彼の真剣な目が印象的だった。適当に言っているわけではないのは明らかだった。背筋に冷たいものが流れていく。

「どういうこと?」

「いいか、この街は危ない。とにかく早くに出て行くことだ。暗くなる前にだゾ!」

 強く念押しされたものの、状況が飲み込めずにいた。そうこうしているうちにオヤジは車の方へ戻っていった。ついさっきまでの真剣な表情が噓のように、軽いノリで周囲に話しかけながら車に乗って行った。その変化が異常に恐ろしく感じた。

 入れ替わるように今度は運転手が私のところに来た。

「この街に何の用があるんだ?」

「いや、だからここは……」

「見てのとおり何もないぞ」
 強い口調でこちらの答えを遮ってくる。ここまで周囲に止められると逆に何があるのか見たくなってくる。

「そうかもしんないけどさ。ここでいいんだよ!」

 運転手にここに残る意思を伝え、彼らを見送った。気になったのは運転手とその助手がどこかに電話していたことと、その際に私の様子をチラチラと窺っていたことだ。

 わからないことはいくら気にしても仕方ない。むしろ思考が鈍って行動の枷になってしまう。とにかく道行く人に声をかけることにした。ところが、ミャンマー語ができない私と英語が話せないミャンマー人とではなかなか意思の疎通ができない。それでも身振り手振りで街の中心部がどこにあるか尋ねると、大きい通り(といっても二車線の通りだが)を進んでいけばいいということがようやくわかったのだった。

 それから市場のようなエリアに出た。別に欲しいものもないが眺めて回ることにした。農機具や日用雑貨の並ぶ露天には興味が持てなかったが、ミャンマーの民族衣装であるロンジーが売っていたのが気になった。筒状の布をズボンのかわりに巻きつけて着用するもので、涼しそうな感じがして急に欲しくなったのだ。

 だが、こちらはミャンマー語ができない。右往左往していると不意に声をかけられた。

「日本の方ですか?」

 流暢な日本語だった。40代の男で笑顔を浮かべていた。驚きつつも話してみると、彼はミュウさんといい、千葉大に留学していたことがあるという。そして、「たまたま」私がロンジーを買うために日本語まじりで交渉している現場に出くわしたのだという。さらに彼は「近所のチャイ屋でお話しでもしよう」と言ってきた。

 大変にありがたい申し出ではある。しかし、あまりに出来過ぎた話だ。疑いつつも彼についていき、お茶をご馳走になった。

「なんでここに来たんですか?」「この街に泊まりますか?」「なにか特別な仕事をしているのですか?」

 口調はソフトだったが、彼が私に対して興味を抱いているのではなく、まるで尋問されているように感じられた。

 私の疑いを決定づけたのは彼の持ち物だった。机の上に置かれた荷物から衛星電話が飛び出ていたのだ。私の視線に気づいた彼は「電波状況の良くないミャンマーではみんな持っている」と説明した。

 さすがにそんなはずはない。どこか、この街はおかしい。確かめるすべはないが、それでもこの街にとって私が招かれざる客であることはわかる。人の良さそうなミュウさんだって秘密警察の人間かもしれないし、違うかもしれない。今は判断できる要素がない。しかしこれ以上この街に留まることはリスクでしかないのは間違いない。私はミュウさんに「次の街に行きたいのだけどバス乗り場を教えてくれませんか」と告げた。彼は快く応じてくれた。

 まるで待ってましたと言わんばかりの空気を背に感じながら、この街を出ることにした。

 2020年になった現在は、地方都市でも外国人がこのような扱いを受けることは少なくなったらしい。それでも軍事政権で活動した「秘密警察」の名残りは各地で発揮されることがあるという。

 今では、開放直後ならではのある意味、貴重な体験ができたと思うことにしている。


<第二回目“なぜ危険地帯を旅できるのか”はこちらから>


画像1

丸山ゴンザレス(まるやま・ごんざれす)
1977年、宮城県生まれ。ジャーナリストであり編集者。國學院大學学術資料センター共同研究員。大学院修了後、無職、日雇い労働、出版社勤務を経て独立。危険地帯や裏社会を主に取材している。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)『世界の混沌を歩く ダークツーリスト』(講談社)『世界の危険思想 悪いやつらの頭の中』(光文社)などがある。


『世界ヤバすぎ!危険地帯の歩き方』の購入は書店もしくはこちらから↓