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<連載第10回>あなた、国はどこ? 移民じゃないよね。|北澤豊雄「野獣列車を追いかけて」

<連載第9回>ついに、野獣列車へはこちら


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 自らの国を出てアメリカを目指す移民たちの間で『野獣列車』と呼ばれている列車がある。貨物列車ゆえに乗車ドアも座席もない。移民たちは、屋根の上や連結部分にしがみつき、命の危険にさらされながら祖国からの脱出を図る。『野獣列車』、それは希望へと向かう列車なのか、それとも新たな地獄へと向かう列車なのかーー。


当連載『野獣列車を追いかけて ― Chasing “La bestia” ―』が収録された
北澤豊雄氏の最新刊『混迷の国ベネズエラ潜入記』
2021年3月15日発売されます!


 移民の家の前にタクシーが止まると、ちょうど堅牢な黒のガレージが開いて、数人の移民が列になって建物の中に吸い込まれているところだった。昼下がりのまぶしい日ざしが彼らの横顔を照らしている。
 私はタクシーを降りると転がるようにして彼らに続いた。首尾よく最後尾で中に入れた。電動式の扉がゆっくり閉まっていく。扉の上枠は剣先フェンスになっており、まるで大使館か何かのような重々しい雰囲気があった。メキシコ第二の都市ハリスコ州グアダラハラの中心地からタクシーで20分ほど。
 メキシコ西部の移民を支援するNGOの移民の家「FM4 パソ リブレ」(FM4 Paso Libre)である。


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[移民支援団体「FM4・パソ・リブレ」の事務所]


 ほっとしつつ視線を走らせる。入口は20畳ほどのリビングになっており、部屋の壁際に椅子が15個ほど並んでいる。リビングの向かいは奥へ通ずるドア、右側は事務所スペース、左側はアクリル板を乗せたテラスになっていた。
 私たち8人は言われるがままに椅子に座って旅装を解いた。靴とバッグ以外の身なりはやけに新しく、そのアンバランスさが彼らが中南米方面からやってきた移民であることを物語っていた。
 始発のアリアガ駅からここまで10駅目。一度は必ずどこかの移民の家もしくは前出の「アミーゴス・デル・トレイン・メヒコ」のような支援ポイントで衣服を替えているはずだ。


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[グアダラハラの街の様子]


 私たち以外は先行して到着していたとおぼしき若い女性が4人と子供が3人いた。
 やがてグラスに注がれたオレンジジュースが回ってきた。みんな旨そうに一気に飲み干すと、荒々しく口元を手の甲で拭って息をついた。私は隣の浅黒い男に尋ねた。
「野獣列車で来たのですか? いつ着きましたか?」
 男の体からはドブ臭い匂いが漂っている。
「今朝だよ。飲み食いしていない。お腹空いた。君は」
「コロンビアから来ました。フェルナンドです」
 彼らはホンジュラスとエルサルバドルから来ている20代から40代ぐらいの混合グループだった。男は壁に背をもたれて目を閉じた。よほど疲れているのだろう。
 次いでお皿が回ってきた。フランスパン、スクランブルエッグ、中南米でフリホレスと呼ばれているウズラ豆の煮付けがのっていた。一人だけ東洋人の私がいても咎められないところを見ると、これまで同じような顔立ちの人がいたということだろうか。

 食事を終えみんな壁に背をもたれてくつろいでいると、事務所の若い女性スタッフが部屋の中央に立って、「皆さん、身分証をお願いします」と声を張り上げた。
 私はアントニオ・フェルナンド・ボレの身分証を財布から出した。順番に回収していく女性に渡すと、私の2つ隣の男が「俺はないよ。必要なのか」と険のある声で鋭い眼差しを向けた。スタッフは小刻みに頷きながら柔らかな笑みを浮かべると、彼の前に立った。
「うちに泊まれるのは最大3日間、1回泊まったらその日から向こう2年間は泊まれません。そのための確認です。身分証がなければ、所定の用紙に名前や住所などの必要事項を記入して下さい。今、持ってきますね」
 男は渋々ながらも頷いた。身分証をどこかで落としたのか、それとも、身分証を出せない事情があるのか。
 しばらくしてスタッフが戻ってきて男に用紙を手渡すと、彼女は、「フェルナンド」と呼んだ。一瞬、誰のことか分からず周囲を見回して気が付いた。俺の偽名じゃないか――。慌てて返事をして視線を合わせた。
「こちらへ来てもらえませんか?」
 事務所スペースのほうに誘導されてキャビネットの事務机の前に座ると、彼女と向き合った。なりすましだと気づかれたのかもしれない。私の身分証を返しながら彼女はきっぱりとした口調で告げた。
「フェルナンド、これはコロンビアの本物の身分証じゃないですよね」

 多くの移民と関わっている慣れと自信のようなものを感じた。昨今、コロンビアからの移民は少ないが、1980年代から2010年頃まで、中南米の移民といえばコロンビア人が定番だった。300万人以上が国を出ている。彼女たちはコロンビアの身分証の各年代のフォーマットを把握しているのだろう。
「あなた、国はどこ? 移民じゃないよね……」
 雰囲気でバレてしまったのだろうか。どうしよう、と考えていると彼女は笑みを絶やさぬまま続けた。
「ここへはどんな目的で来たの? 何か協力できることがあれば協力するわ」
 私は迷った末に肩掛けのショルダーバックから日本のパスポートを取り出して机の上に置いた。
「実は野獣列車のルポを書きたくて日本から来ました。移民の家がどういう様子なのか知りたかった」
「なるほど、そういうことね……。話してくれてありがとう」
 彼女は私のパスポートを捲りながら聞いた。
「プレスカードは? 所属は?」
「フリーランスなので、公的なものは何も持っていません」
「私たちは移民を守らなくてはならないの。悪い人がここに紛れ込んで来たら大変。だから確認しなくちゃならないの。プレスカードがないと取材は難しいと思うけど、代表に相談してみて」
 彼女はそう言って代表の電話番号とメールアドレスをメモ用紙に書いてくれた。そして立ち上がると、入口のほうに手を向けた。
「ひとつ質問があります」と言いながら私も立ち上がった。
「野獣列車は今、どのルートが主流ですか」
「あくまでも個人的な意見だけど、太平洋沿岸のルートだと思うわ」
イラプアトで出会った支援団体「アミーゴス・デル・トレイン・メヒコ」の推奨ルートだ。やはり近年はここが主流なのだ。
 私は調子に乗ってもう一つだけ尋ねた。
「この街の野獣列車の発着ポイントを知りたいんです」
 彼女は微苦笑を浮かべた。
「あなた、質問はひとつだけじゃなかったの? 仕方ないね、いいわ。ここを出て右へ行くと線路がある。そのあたりに今朝ここを出た移民がたくさんいるはずよ」
 私は礼を言って建物を出た。


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北澤豊雄(きたざわ・とよお)
1978年長野県生まれ。ノンフィクションライター。帝京大学文学部卒業後、広告制作会社、保険外交員などを経て2007年よりコロンビア共和国を拠点にラテンアメリカ14ヶ国を取材。「ナンバー」「旅行人」「クーリエ・ジャポン」「フットボールチャンネル」などに執筆。長編デビュー作『ダリエン地峡決死行』(産業編集センター刊)は、第16回開高健ノンフィクション賞の最終選考作となる。


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