マガジンのカバー画像

全国最中図鑑

78
日本を代表する和菓子の一つである「最中」。香ばしいパリパリの皮とともに餡を頬張れば、口の中にふわっと広がる品のよい甘さ。なんとも幸せな気分になるお菓子です。編集スタッフが取材の途…
運営しているクリエイター

#和菓子好き

「全国最中図鑑」33 古里もなか(佐賀県小城市)

「九州の小京都」と呼ばれる佐賀県の小城町はまた、羊羹の町でもある。 佐賀では昔から良質の小豆が採れ、長崎街道もほど近いため、貴重品だった砂糖も比較的手に入りやすかったことから、明治初期に「小城羊羹」が誕生。戦後間もない最盛期には、町は50軒を超える羊羹店がひしめき、大層賑わったそうだ。現在も小城町には19軒の羊羹店が営業している。 側が砂糖で硬くなり、中は柔らかい昔ながらの手作り羊羹は、口に入れるとシャリシャリとした懐かしい歯ざわりで、今も全国にファンのいる名物羊羹である。

「全国最中図鑑」25 都電もなか(東京都)

明治44年から都民の足として都内を縦横に走っていた都電が、自動車交通量の増大により全面撤廃と決まったのは昭和40年代のこと。47年には全ての都電が廃止となった。だが、三ノ輪橋〜早稲田を結んでいた荒川線だけは、10万人を超える利用者がいたこと、軌道の9割が道路と分断された専用軌道で道路渋滞の影響が少なかったことなどから、存続が決定した。 その都電荒川線「梶原」駅前商店街の入り口にある菓匠明美が、今回のお店。都民の足として慕われていた都電の廃止が決まった時、当初は荒川線も廃止の予

「全国最中図鑑」19 鶴亀もなか(広島県広島市)

お菓子の老舗「高木」が、戦後の復興をめざす中、おめでたいお菓子を、という願いを込めて作ったという「鶴亀もなか」。 「鶴」という字の「へん」と「つくり」の間に「亀」の字を入れたユニークなデザインの鶴亀マークが、皮に刻まれている。 広島県産の餅米を使ったもなかの皮に、備中産の大納言小豆の粒あんと、抹茶あんの2種類のあん。程よい甘さで、滑らかで上品な味わいだ。ちょっと大きめだが、皮に溝が入っていて食べやすい。小豆あんと抹茶あんがそれぞれ小豆色とうぐいす色のパッケージに入っている。

「全国最中図鑑」18 ねこもなか(埼玉県行田市)

埼玉県行田市にある前玉神社は、さきたま古墳群に隣接する由緒ある古社である。この神社、なんと埼玉県の県名発祥となった神社なんだそうな。知ってましたか? ま、それはともかく、県名発祥以上にここを有名にしたのは、実は猫ちゃんたち。神社にはガガ、ミント、さくら、きなこDXという4匹の猫がいて、ゆっくり境内を散策していると必ずどの猫か、あるいは全猫に遭遇する。しかもどの猫も人懐こくて、撫でてやるとゴロゴロ喉を鳴らして喜ぶ、というので、各地から猫好きが集まる名物神社なのだ。 そんなわけで

「全国最中図鑑」16 最中印籠(茨城県常陸太田市)

常陸太田市にある西山御殿(西山荘)は、水戸藩2代藩主・徳川光圀(別称・水戸黄門)が藩主の座を退いた後の元禄4(1691)年から元禄13(1711)年に死去するまでの晩年を過ごした隠居所である。 光圀はこの家で「大日本史」の編纂に専念したといわれている。 小林製菓の「最中印籠」は、この常陸太田市に深い所縁のある黄門様の印籠を象った最中。あずき粒あん、ゆずあん、しそあん、巨峰あんの4種類の味があり、特に県内有数の巨峰の産地である常陸太田市ならではの巨峰あんが美味しい。 小林製菓

「全国最中図鑑」15 杵の最中(山形県上山市)

山形県上山市にある創業200年を超える老舗・杵屋本店が製造販売している最中。餅つきでお馴染みの竪杵と呼ばれる縦長の杵の形をした皮で3種類のあんを包んでいる。 最近では杵は横杵が主流だが、昔は何人もの男たちが竪杵で餅をついた。その古来の姿を思い浮かべて作られたものだという。 粒あん、抹茶あん、白ゴマあんの3つのあんを、薄い皮に丁寧に手詰めしており、昭和35年の発売以来、半世紀にわたって愛され続けているロングセラーだ。 単品販売はなく、全て3つの味の詰め合わせになっている。 杵

「全国最中図鑑」14 塩もなか(長野県大鹿村)

南アルプスの雄大な自然に包まれた人口1,100人ほどの小さな村、大鹿村。 映画『大鹿村騒動記』で一躍有名になったこの村には、ここでしか味わえない名物もなかがある。甘さを抑えた白餡に、村内でとれる山塩を加えた、約50年の歴史を持つベストセラー「塩もなか」である。 大鹿村では、地元の鹿塩温泉の源泉を煮込んで山塩を作っているが、山塩は全工程が手作りで、1リットルの塩水から30gしか作れない貴重な塩なので「幻の塩」とも呼ばれている。 この山塩を白餡に練り込んだ餡は、ほんのり塩味が利い

「全国最中図鑑」13 貝がら節もなか(鳥取県鳥取市)

鳥取市の浜村海岸では、昔、板屋貝が大量に獲れていた時期があった。その頃、漁師たちが作業しながら唄っていたといわれる民謡「貝がら節」。板屋貝の不漁と共に忘れられていたが、昭和初期の民謡ブームを受けて復活し、また地元で歌われるようになった。 浜村温泉「貝がら節の里 旅風庵」から徒歩10分ほどの場所にある菓子店みどりやが、この歌にちなんだ最中を売り出した。皮は二枚の貝合わせの形になっていて。小倉あん、生姜味の白あん、柚子あんの3種類の味がある。3種ともそれぞれ個性を生かした味だが、

「全国最中図鑑」12 とおあし最中(群馬県安中市)

安政2(1855)年、安中藩主板倉勝明は藩士の鍛錬のため、藩士98人に安中城の城門から碓氷峠の熊の権現神社まで、7里の道の徒歩競走を命じた。「とおあし」と呼ばれたこの競走は、日本におけるマラソンの発祥といわれている。 2019年にはこの史実をもとに映画「サムライマラソン」が作られ、安中のとおあしは全国的に知られるようになった。 この出来事を最中にしたのが、安中市の小野屋が製造販売している「とおあし最中」。安中藩の家紋「左三つ巴」を配した皮に小豆あんと白あんを包んだ、サクサクと

「全国最中図鑑」11 樽丸最中(千葉県野田市)

樽丸最中は、創業170年の老舗菓匠・丸嶋屋が明治中期に考案した、醤油の郷野田市の銘菓。 野田は約400年前、永禄年間に生まれた醤油の産地。昔は、野田の醤油は樽で作られていたという。 樽丸最中は、野田の代表的醤油ブランドであるキッコーマンとキノエネの醤油樽をかたどったもので、あんは小倉あん、白あん、ゴマあん、そして野田ならではの醤油あんもある。醤油あんは、甘くてねっとりしているが、ほのかにさっぱりとした醤油の風味も感じられて、なかなかの逸品だ。 丸嶋屋 千葉県野田市野田355

「全国最中図鑑」10 奥州二本松 拾万石(福島県二本松市)

奥州二本松藩は、織田信長家臣の猛将・丹羽長秀の孫、光重が10万石で入府して以来、明治維新まで11代続き、丹羽家は今でも「にわ様」と呼ばれ愛されている。 二本松藩が歴史上もっとも知られているのは「二本松少年隊」の悲劇だろう。戊辰戦争で二本松藩は新政府軍と戦ったが、この時、12〜17歳の少年兵部隊が、二本松城落城の際、戦いの最前線で取り残され、戦いに巻き込まれて殉死した。この悲劇は会津の白虎隊と並び称せられ、彼らの最期はNHKの大河ドラマ「八重の桜」でも描かれた。 「奥州二本松

「全国最中図鑑」 9 翁最中(長野県松本市)

松本の老舗和菓子店・翁堂の看板菓子「翁最中」。能面をかたどった最中は全国にあるが、この翁の面はともかく柔和で優しい顔をしているのが特徴。ほっぺた、額、あごがすべてぷっくりと膨らんで、深く刻まれたシワもユーモラス。手にすると思わず微笑んでしまう最中だ。 あんこは粒あんかこしあんか? と思いつつ皮を割ってみると、意外や意外、深―い緑色の抹茶あんが飛び出してくる。さすがのサプライズ! なかなか風流な最中である。 翁堂 長野県松本市大手4-3-13 「全国最中図鑑」をまとめて読み

「全国最中図鑑」 8 白ふくろう最中(栃木県那須郡)

栃木県と茨城県の県境にある鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)は、別名「フクロウの神社」。もともとフクロウは不苦労と書き表わせることから、昔から縁起のいい鳥とされてきたが、この辺りでは特に、古代からフクロウが神様の使い、幸福を呼ぶ神の鳥として崇められてきた。境内には日本最大級の大フクロウ(地上7メートル)をはじめ、数多くのフクロウの像があり、運気を上昇させてくれるパワースポットとして人気を集めている。 その、幸運を呼ぶ白いふくろうをかたどったのが、那須湯本にある扇屋の「

「全国最中図鑑」 7 纏 〈まとい〉 最中(東京都北区)

纏とは、江戸の町火消が用いた旗印である。町火消は8代将軍吉宗の時代に始まった町人による火消で、身体能力の高い鳶職が中心となって構成されていた。江戸の町内約20町ごとを一組として、隅田川から西を担当するいろは47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられていた。 各組の目印としてそれぞれ纏(まとい)と幟(のぼり)を作ったが、それが次第に各組を象徴するものになっていった。 梶野園の纏最中は、この各組の纏をかたどった手焼きの種(皮)に、北海道産の大粒一等小豆をさぬき和三